10代:ムネヴィ帝・11代:シャリアン帝紀後編 -ふたりの忠臣-

 ヴィドリによるアントニアへの「教育」は日を追うごとに偏執さを増していった。

「シャリアン陛下は、口に出すのもはばかられますが、元々遊び人でして、皇帝としての資格があるような方ではなかったのです」

「ではなぜ、父上はシャリアン陛下に譲位したのだ」

「権力を恣にする貴族どもが、より扱いやすいシャリアン様への譲位を奨めたのです。ムネヴィ様は皇子が産まれないことで心労を重ねておられました。それでついそのような御判断をしてしまわれたのでしょう」

 とか、

「陛下に比べ、アントニア様の才能豊かなること、比べものにもなりませぬ。恐れながら、そのお歳でこれだけのきらびやかなる光を御発しになられる。誰が見ても、帝位にふさわしいのどちらかわかるというものです」

 などと繰り返した。

 最初は聞き流していたアントニアも、何度も何度も聞かされると、そういうものかと思うようになる。本人が望む答えを示されれば、誰でもその意見に好感を持つ。ましてや成長期にある若者にとって、これは教育というより、もはや洗脳である。

 さらにヴィドリは、彼に帝王学を教えるようになった。それは、皇帝が如何に権力をもつべきか、皇帝はどのような態度を示すべきか、過去の歴代皇帝の事跡を示しながら、説明するものであった。だが、ここに具体的な国家政策の話はない。これはヴィドリの「貴族らによる施政は無用であり、皇帝親政であるべきだ」という思想から来たものであった。思想教育である。

 ヴィドリにとって見本とすべきは、自ら立って国を興した初代アレクサンドル大帝の事績のみであったろう。アレクサンドルにも実際には様々な失敗や、間違いもあっただろうが、ヴィドリが見ているのは、結果だけであった。彼はアレクサンドル大帝の影と、アントニアを重ねた幻想を見ていた。

 やがてアントニアは、帝位継承の野望を持つようになった。彼にとって皇帝というのは、理想的な存在になっていたのだ。

 それが抑えきれなくなった時、彼は、とうとう父ムネヴィに会い、

「私は帝位に就くことはないのでしょうか」

 と言ってしまった。

「なにを言うのだ、いきなり」

「私には、それだけの才があると自負しております」

 ムネヴィは眉をひそめた。

「そのようなことを自らの口から出すものではない。お前に才能がないとは言わぬが、それが帝位となんの関係がある」

「お父上は皇帝であられました。その息子である私が帝位に就くことに、なんの支障がありましょう」

「帝位はシャリアン陛下に継いでいただいた。帝位継承の問題は片が付いておる」

「では、お父上は次の帝位が、シャリアン陛下の御子になるとお考えですか」

「当然だ。それが筋というものであろう」

「私には納得が行きませぬ」

「お前の意志など関係ない。それが筋だと言っておるのだ」

「わかりませぬ。お父上はまだまだ御達者でおられます。私のあとにも弟たちをお作りになられたほど。なぜ早々に譲位などされたのですか」

 それは触れてはならぬ部分だった。

 ムネヴィは顔をしかめ、

「アントニア、お前は誰からそのようなことを吹き込まれたのだ」

「誰からでもありませぬ。私自身がそう思っているのです」

「……ならば、余の不徳とするところだな。……やれやれ、年老いてから子などなすものではない。甘やかせてしまう。……もうよい、このことは二度と言うな。下がれ」

 ムネヴィは嘆いた。その態度はしたたかにアントニアを傷つけたが、彼は不満を抑えて退出した。

 ムネヴィにしてみれば、我が子が可愛くないわけがない。さらに可能な限り、我が子に帝位継承するための努力をしてきたのも事実だ。

 それが出来なかったことは、ムネヴィにとって、心の重荷でもあった。

 その苦悩をアントニアによって無遠慮に傷つけられたような気がしたのである。

 さらに問題なのは、アントニアの考えが知れ渡ると、現皇帝に対する不敬、いや、謀反の疑いをかけられかねない。シャリアンがそのように受け取らずとも、シャリアンを支持する貴族らはそう考えるだろう。それにシャリアンとの間にも微妙な溝が出来かねず、アントニア自身にとって決して良いことではなかった。

 ムネヴィは、アントニアが自らその考えに至ったとは考えなかった。そうなる危険性を考慮して、自家の歴史はほとんど学ばせなかったのである。

「思うに、側近の誰かに吹き込まれたのであろう。おそらくはヴィドリあたりの仕業だな」

 ヴィドリは下級貴族の出だったが、ムネヴィが取り立てたため、その忠誠心は厚く、シャリアンへの譲位を決めた際にも、最後まで反対した一人だった。

 気は重いが、このままにして置いたら、どのような災いを招くかしれない。

 ムネヴィはヴィドリを呼び出し、そしてアントニアになにを吹き込んだのか問い糾した。

 ヴィドリは正直に認め、帝位継承のための帝王学を教えていることを告白した。

「ヴィドリよ、そなたが余やアントニアのことを深く思ってくれているのはよくわかっている。だがな、そなたのしていることはむしろ、我が家にとって不幸をもたらしかねぬ事なのだ。わかっておるな」

 ヴィドリは数瞬の間無言だったが、頭を下げたあと、

「御館様のおっしゃりようは不本意ではございますが、おっしゃる内容についてはよくわかっております」

「このことが陛下の御耳に届けば、如何に余が先帝だったと言っても、アントニアを守ることは出来ぬ。それもわかるな」

「……はい」

 ムネヴィは家臣の顔をじーっと見つめた。

「だが、いくら言っても、そなたはアントニアへの教育を止めぬであろうな……」

「……さようでございます」

 ムネヴィは軽く息をついた。

 ヴィドリの忠誠心の対象が、いまは自分にではなく、息子に対して注がれていることを理解したのだ。これが帝位に関わることでなければ、あるいは、一般の貴族であれば、むしろ喜ばしいことなのだろうが……。

 ムネヴィは決心した。

「ヴィドリよ。そなたに暇を与える。この惑星より去り、何処なりとも行くがよい」

「御館様……」

「ただし、二度と戻ってきてはならぬ。アントニアに会うことも許さぬ。その時は……わかっておるな」

「……はい」

「そなたの功、その忠義、余に仕えてくれた日々のことを思い、今までのことに感謝しよう」

 ヴィドリは涙を流し、無言で平伏した。

 そして、その日のうちに、彼は惑星ダス=オブラビアを離れた。ムネヴィは彼のためにかなりの額の金を与えた。おそらくは、帝星フンベントにある家督を継いだ彼の息子の家へ身を寄せるだろうと思われた。

 ヴィドリが追放されたのち、アントニアは父を内心で恨むようになった。

「なぜ父上は、私の帝位継承のじゃまをするのだ。我が子を愛しておらぬのか」

 そんなことまで言うようになった。まだ若干18歳で、である。

 ムネヴィは息子の言葉に更に傷つけられたが、息子を領地から出さぬよう、側近らに言い含めておいた。

 ムネヴィが計算違いをしたのは、息子が思った以上に行動的だったことと、年老いたヴィドリを引退させれば、彼がそれでおとなしくなると思っていたことだ。

 しかしヴィドリは、諦めていなかったのである。

 彼は帝星に戻ると、貴族らの間を回り、アントニアを推す運動を密かに始めたのである。ムネヴィが与えた金もそのために使った。そして、アントニアとも連絡をとっていた。実家の家族はまったく気づいていなかった。

 そして意外なほどに、アントニア支持者を増やしていたのである。

 それは、多くが下級貴族や、貴族の次男・三男など、あまり環境に恵まれていない、と思い込んでいる者らであった。自らの不遇を、世の中のせいにする者ほど、努力をせず、他力本願であった。

 またこういうことに付け込んで、金を得ようとするものもいて、それらがヴィドリの運動を利用しようとした。

 有力貴族と、一般庶民は、アントニアになんの期待も持っていなかった。

 むしろシャリアン帝に対する支持のほうが高かった。銀河の各国を見て回っただけに、物事に精通しているシャリアンは、政策の面でも、現実的でまともだったからである。また国交の無い諸外国とも徐々に交流する方向で動きつつあり、その影響で、帝国の企業が「海外進出」するきっかけが増えつつあった。財界としてもこれは歓迎すべきことであり、景気も良い方向へと動いており、人々は概ね、シャリアンを支持していた。

 ただ、一部の保守層の中に、そういう外交開放政策や、シャリアンの履歴に不満を持つものが、アントニアを押す貴族の子弟と手を組んで、反シャリアン戦線のようなものを密かに作っていた。

 それが、思わぬ規模になったのは、そもそも貴族階級がかなり大きな規模だったこともある。私兵を持つことも許され、経済力もあり、貴族家の数も多い。そしてなにより、働かずに生きていける彼らの中には、自分勝手な不満を抱え、自分の地位に勘違いするものが大勢いた、ということであろう。彼らから見れば、真っ当な皇族出であり、先帝の意向で皇帝となったシャリアンですら、あの遊び人が皇帝とは、と軽視する傾向があった。

 そして、その動きがやがてシャリアンの耳にも入ったのである。

 陰謀の計画はずさんであった。それに規模が大きくなれば自然と漏れるものもある。シャリアンが特に国内の情報統制を命じていなくても、情報機関からは「不穏な動きあり」との報告が入るようになった。

 シャリアン帝は以前から、

「余には、もともと皇帝としての素養はなかった。それでも伯父上の重ねての懇請により引き受けざるを得なかった。余はそれによって、至尊の地位に就くことになった。聞けば、伯父上には男子が産まれたという。本来ならば、伯父上の子の誰かが帝位を継ぐべきであった。それが筋というものだ。だから、伯父上より受けたご恩を返すには、やはり帝位は伯父上の子に継がせたいと思う。それまでの間、この帝国をあずかり、豊かにして、次代に継がせることが余の役目である」

 皮肉なことに、シャリアン自身は、次の帝位を伯父の子、すなわち従兄弟の誰かに継がせるべきだと考えていたのだ。

 もし、アントニアがいらぬ野望を抱かなければ、あるいはムネヴィの死後、シャリアンからの要請で、次代の帝位を継承することになったかもしれない。

 しかし、アントニアは野望を露わにしてしまったのである。彼はヴィドリの遣わした支持者の工作でこっそり自領を抜けだすと、帝星へ潜入し、ヴィドリと再会した。そして政府に不満を持つ貴族らの前に姿を表し、彼らは興奮に包まれた。年齢18歳という若々しさも、彼らのシンボルとなった。老い先短い老人では魅力も半減する。彼らは、政権打倒を確認し合った。そのあとの具体的な政策などはない。ただ現皇帝と現政権を倒す、そのことだけで頭はいっぱいになっていた。いつの時代も、革命というのはそんな程度から始まる。成功すれば英雄扱いだが、失敗すればただのおバカさんの集団となってしまう。

 それでも彼らはもう、革命は成功したかのような幻想に取り憑かれていた。あとは行動を起こすのみ。

 とはいえ、流石に彼らでも、皇帝であるシャリアンに逆らうことは、失敗すれば、朝敵の汚名を着ることになることはわかっていた。それに「皇帝相手に反乱を起こす」と露骨に示せば、心理的にも躊躇するものが出てくるだろう。

 そこでアントニアやヴィドリが考えたのは、

「君側の奸を討つ」

 それはいつの時代にもある、典型的な、そして説得力の乏しい大義名分であった。

 アントニアが君側の奸として選んだのは、皇帝首席補佐官となっていたディブロ侯爵であった。

 シャリアンの側近であり、悪友であり、シャリアンの即位に伴ってもっとも出世した男でもあった。

 たしかに、批判をするには、うってつけの存在。最も都合の良い人物であるに違いない。

「ディブロなるものはなにか。そもそも低い身分でありながら、皇帝陛下の御学友としてその御恩を受けて出世しただけでも満足すべきところを、それにあぐらをかき、権力を恣にして、国政を壟断……」

 実のところ、この檄文を密かに入手したディブロは、満足気であった。

 彼こそが、一番、自分の役割を理解していた。

 すなわち、皇帝に向けられかねない様々な悪意を、自分に振り向けさせる。

 皇帝を守るための、いわば、「身代わり人形」としての役目であった。

 遠い銀河の彼方の惑星で、シャリアンに帝位継承の話が来た時、彼は自分の役割にすぐに気づき、そして即覚悟を決めたのである。

 実は、情報機関を動かしていたのも、ディブロであった。シャリアンは命じていなかったが、ディブロは、国内の様々な情報を調査させていた。そしてあっさりと、その網の目にアントニアらは引っかかってしまったわけである。

「やれやれ、私が言うのも変だが、不穏を企むなら、もう少し考えぬとな。これじゃ今から反乱しますよって、宣伝しているようなものではないか」

 ディブロは呆れて苦笑も浮かべなかったが、報告に来た部下に対して、

「で、首謀者は、先帝のお子アントニアとその側近か。先帝はこのことを知っているのか?」

「ご存知の様子ですが、賛意は示されておらぬようです。むしろこのヴィドリなるものをアントニアから引き離したようで」

「だろうな。自分の子に帝位をと思うなら、女帝でも良かったはず。シャリアン陛下に譲位などせぬであろう」

「はい。ただ、男子の跡継ぎが出来たわけですから、お気が変わられることもあるのでは」

「そうだな。その辺りも探りを入れておくか。しかし、いざというとき、先帝の態度がどう出るかで情勢も変わりかねん。先帝に対しては藪蛇をつつくような真似はするな」

「はっ」

 ディブロは巧妙だった。アントニアらが、君側の奸を名分に反乱を起こそうと工作を進めている最中に、ディブロの方でこれを公表してしまったのだ。

「なんの力もなく、才能もない者どもが、欲をかいて権力を得ようと反乱を企てるなど、前代未聞。帝国史上の恥である」

 そう公式に声明し、アントニアらの怒りを増幅させた。

 あえて皇帝の威を借りる態度で、反乱勢力を批判し、憎悪を自分に向かせたのである。

 案の定、アントニアらはこれに乗せられる格好で、武力蜂起を早めた。帝星の地方都市数カ所で火の手を上げたのだ。これによって反乱軍は味方を増やすための情報戦に取り組む余裕が無くなってしまった。

 反乱を受けて、ディブロは宮中に参内すると、自ら反乱討伐の指揮を願い出て、シャリアン帝から軍監という地位を臨時に与えられた。ディブロは指揮権を得ると将軍らを率いて討伐に赴いた。今回の反乱は小規模であり、帝星内で起こったことから、陸上軍と少数の航空兵力だけで対応できた。

 ディブロは、実際の戦闘は将軍らに任せ、特に作戦に介入するようなことはしなかったが、彼自身は何かにつけてメディアに顔を出し、反乱軍を見下すような発言を繰り返した。

 反乱はあっけなく失敗に終わった。

 最大の理由は、先帝が反乱を支持せず、皇帝を支持したためである。もとより多くの貴族は反乱に加わることを拒否していたが、あわよくば、などと考えていた連中も、先帝の声明を聞いて躊躇したのだ。帝国軍の多くの軍団、部隊も反乱軍に加わることを拒否した。

 そのため、反乱軍の兵力は少なく、むしろよくこれで反乱を起こす気になったものだと驚くほどである。組織的抵抗は、一撃で粉砕され、あとはてんでバラバラにゲリラ戦やテロを行うしかなかった。

 アントニアは敗北しても、諦めずに抵抗を続けようとしたが、結局殺された。

 彼を殺したのは、ヴィドリであった。

 どういうつもりだったかはわからない。逃げてきたアントニアを出迎え、そして不満をぶちまけている彼の頭を、銃で撃ちぬいた。

 アントニアが捕縛されて処刑されるようなみっともない最後を迎えさせたくなかったのか、彼をこの道に進ませたことを後悔して楽に死なせようとしたのか、それともアントニアのだらしなさに失望し腹がたったのか、こういう結果をもたらしたことを大恩ある先帝に詫びようとしたのか。

 いずれにせよ、自分が招いた結果に自分で始末をつけたということだろう。ヴィドリはアントニア殺害のあと、自ら命を断った。

 そして、反乱の最後に、もうひとつの幕が残っていた。

 ディブロの暗殺であった。

 反乱に加わった貴族出身の高級士官が、逃亡潜伏の末に、ディブロを殺害したのである。彼はヴィドリに示唆された君側の奸という大義を本気で信じようとし、帝国の未来のため、と自分に言い聞かせていた。だが、参加した反乱がほとんど人々の支持を得ること無く終わったことで、苦い失望感と、自分が社会から必要とされていないのでは、という怖さから、ディブロを取り除くことが自分の役目、という考えを持つしか、自分を納得させられなかったのかも知れない。

 それこそが、ディブロ自身が狙ったことでもあった。

 自分が必要悪から、不必要になった悪としての立場を全て背負い、この世から退場することによって、皇帝への忠誠が強化されると考えたのである。彼はそこまで考えていた。だから、王宮に隣接した庁舎の玄関で暗殺者が目の前に現れた時も、彼は慌てることなく対峙した。

「さあ、撃て。私を撃って、貴様のちっぽけな名誉欲を満足させたまえ」

 両手を広げてそう挑発し、相手を激昂させた。

 数発の凶弾を受けて倒れたディブロのもとへ、連絡を受けた皇帝は駆けつけた。ディブロは応急処置を拒否すると、皇帝の手を握った。そして、すべての騒乱の責任を自分に着せ、処断することを進言した。自分は独身で、子供もおらず、兄が継いだ実家の継承権も捨てている。誰も傷つけはしないから、と。

 皇帝は涙を流してこれを拒絶した。

「あなたは……、私の生涯で……最高の、友人……でした」

 とディブロは笑ってこの世を去った。

「馬鹿者が、それは私のセリフだ」

 皇帝はそう述べて、親友だった男の遺体を抱きしめた。

 そして、シャリアンは、帝国全土に次のように宣言した。

「この一連の騒乱は、すべて余の不徳といたすところ。余のために、多くの者を傷つける結果となった。アントニアには罪はなく、暗殺されたディブロ侯爵にも罪はない。余の友人であったディブロ侯爵は、自分がすべての責任を負うから、と罪を着せるよう余に進言してこの世を去った。だが、余はそのようなことは出来ぬ。すべての責任は余にあるのだから。それゆえに、あらためて帝国全臣民に問う。もし余に皇帝たるの資格がないと思うのであれば、構わないから、有能なる人物を推挙してくれ。余は喜んでそのものに帝位を譲ろう」

 そして、驚き慌てる重臣らに命じて、そのための準備を始めたのである。

 これは逆に、人々にシャリアンの皇帝としての信頼を高める大きな流れを生んだ。あまりイメージのよくなかったディブロ侯爵に対する考えも改まった。

 ディブロがそうなることも考えて、死の直前に皇帝にあのような進言をしたのかはわからない。

 だが、結果的に、ディブロが願ったように、皇帝への人々の忠誠心は高まり、皇帝の存在は前にもまして絶対的なものとなったのである。

 皮肉にも、この反乱が、皇帝の権力を再び強める結果となった。

 それが、帝国を大いに変化させていく力学の原点となったといってもいい。

 シャリアンは結局、12代皇帝の地位を自分の長男に継がせることになる。それは、アントニアの父親である先帝ムネヴィが、シャリアンの声明を聞いて、真っ先にシャリアン支持を公表し、そして後継についても、シャリアンの血を受け継ぐものがなるべきで、自分の後継者は皇帝になるべきではない、と言明したことも大きかった。我が子を失った上に、そういう声明を出したムネヴィの苦悩をどれほどの人が理解しただろう。

 人々が多くシャリアンを支持したことで、それまで定められていなかった皇太子は、長男のレヴィン・アイナス・スラブルト・ファルボーン・ロード・セルヴィオン・カラノベルテ・アスンシオン・ジャン・ムール・ド・フンダとなった。シャリアンは、それから10年ほど政務に務めたが、息子が帝国を維持するだけの器があると見た上で退位し、離宮へと移った。

 ある意味「自由の身」となった彼だったが、では念願だった諸国巡りを再開するかと思えば、それはなかった。伝記作家の一人レザールは、そのことについて、皇帝自身を守って死んだ親友のことがあったからではないか、と推測している。

 旅をする楽しみ以上に、親友と旅をすることを楽しんでいたのだろう。それはもう叶えられることのない幻となった。

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