8代:ドルーディアス帝・9代:アウター帝紀

 8代皇帝ドルーディアスは、ボッシュル政権下での様々な弊害を払拭することを業績として残した。秘密警察を解体し、関係者を処罰し、法律を改正し、ボッシュル時代以前にまで戻した。貴族も臣民もこれを歓迎した。ボッシュル・フンゴン家の莫大な財産は一旦国庫に納められた後、その半分を、独裁政権下で滅ぼされた貴族らの遺族に慰謝料として与えられた。多くは領地の再配分であった。それでも、莫大な財産があとに残った。

「よくもここまで貯めたものよ、惑星一つ買っても余りある財産ではないか。こう言っては不謹慎だが、感嘆を禁じ得ぬ」

 とドルーディアス帝は、調査官の報告を聞くと、ため息をつきながら感想を漏らしたが、同時に首を傾げた。

「ここまですれば、皇帝の地位だって望めただろうにな。それをしなかったのが不思議でならぬ」

 ボッシュルの精神世界においては、金銭には価値があったのだが、皇帝の地位はそれ以上ではなかったということなのか。

 帝位についた彼には不思議でならなかった。

 ドルーディアスは社会の風清弊絶を進めて、帝国を良くしたことから、後世「清掃帝」などというあまり高尚な感じのしないあだ名で呼ばれることもある。それでも、人々が彼の政策を歓迎したのは言うまでもない。

 しかし、それ以上のことを行うこともなく、7年ののちに崩御した。

 死因は病死で、特殊な腸の病気を発症してのことだった。この病気はなんの前触れもなく突然大腸の腸壁に大量の腫瘍が出来る奇病で、栄養摂取能力を著しく減退させてしまう。過去に同様の症例はあるものの、1億人に1人もいないまれなものだった。そのため治療法もなく、手術でも対応出来ず、管の先につけたパルスレーザーを体内に入れて切除をくり返しながら延命を図ったが、体力の急激な消耗により、症状も悪化するという悪循環の果てに、結局助からなかった。

「なぜ、余だけがこのような目に遭うのか。帝位を手にしたことが、天命に背いたとでも言うのか。社会を浄化したというのに、なぜだ」

 と皇后に弱音を吐いたというが、発病したのが皇帝になって以降だったためであり、この科学時代に非科学的な発言をした彼を誰も責めることは出来ないだろう。それでも表向きは苦痛に耐えながら、政務に取り組んだが、病には勝てなかった。社会を良くして、自身は奇病に倒れるというのも、皮肉な話である。皇帝だけでなく、誰もが天命を不条理だと思った。ボッシュルはあれだけのことをして長生きしたのに。

 医師団は、この病気が外因性の感染症などではなく、遺伝子の突然変異であることを知ったため、遺伝子治療も検討されたが、「神聖なる皇帝の遺伝子」を作り変えることに異論を挟むものもおり、結局逡巡しているうちに皇帝は死んでしまったのである。

 過去、何度か、皇帝の急死を隠すために「皇帝が奇病にかかり崩御する」という陰謀が仕組まれたことがあったが、ドルーディアスは本当に奇病で崩御してしまったのだ。

 ただし、それは医療専門家の招集と繰り返される手術によって公然の事実であったため、何者かの陰謀だと考えるものはほとんどいなかったと言っていい。そう言う意味では、皇帝の病と死が直接社会に与える影響は少なかった。

 しかし、後継に関しては大きな問題となった。

 貴族らは皇帝が崩御した場合の後継者について、皇帝の病気が明らかになった時点で協議を持つことになった。

 ドルーディアスには幼い娘エナしかいなかった。

 エナを皇帝として即位させるべきか、と言う意見も貴族らの間で出たが、幼帝を奉って権力を握ろうとしたボッシュルの前例があるため、それは廃案となった。ドルーディアスの遺伝子を受け継ぐという点は、検査の結果、異常は見当たらなかったため問題無いと判断されたが、貴族らはそんなことよりも、お互いに不信感を抱いており、誰が権力を握るか、そっちの方が重要だった。担ぎ出すべき皇族の血を引く家は複数あり、初代アレクサンドルの次男の系譜であるビアス大公やド・ブイーター公爵、2代ブレイス帝の次男の系譜であるアルゴン公、さらには亡命したキース元皇太子など、候補が次々と上がった。歴代皇帝の女児で大貴族に嫁いだものの子孫まで引き出された。

 貴族らの協議には見えない駆け引きが繰り広げられた挙句、皆それに疲れ果てて、お互いに誰も得をしない選択、という消極的な決定がなされた。

 結局、遡ること6代バルゼー帝の下の弟(すなわちリンゼル帝の3男)ヨルフィン・アルバート・ヘイドロー・ロード・ボーロア・メギスト・ド・フンダ侯爵の長男のアウター・テノン・グリーシアス・ロード・ボーロア・アルブレヒト・ド・フンダが後継者に選ばれ、ドルーディアス帝の崩御から4ヶ月後に、9代皇帝に即位した。アウターの父のヨルフィン侯爵は病床だったため、候補には挙がらず、息子の方が選ばれた。アウターは帝位継承の話が来ると、父親から爵位を譲られた上で要請を受けた。彼の家、即ちボーロア家は、アウターの二人の姉がすでに嫁いでいることから、妹に皇族の男子から婿養子を取って継がせることとなった。妹には下級貴族子弟の恋人がいたらしいが、その恋人だった男は泣く泣く身を引き、彼女も私心を押し殺して皇族との結婚を受け入れた。貴族界では地位を守るために、身内に犠牲を強いることもしばしば行われた。

 一方、アウター帝は、まさか自分が帝位に就くとは思っても見なかった。

 父親は皇帝の子であり、侯爵という高い地位にはあったが、主流からは外れていたし、その才能が凡庸だったこともあって、ボッシュル独裁政権では全く相手にされていなかったのだ。それで生き残ったのだから、皮肉といえば皮肉な話である。

 そのため、荘園からの収入で暮らしに困らないので、アウターは芸術家の道を志した。父親も「このような時代では、下手に権力に関わるより、芸術でもしていたほうがマシだ」と反対しなかったので、画家の家庭教師を付けてもらい、さらには18歳で帝国美術院大学に進学し、そこで絵画、彫刻、彫金などいろんな技術を学んだ。

 そして卒業し、私邸にアトリエを構え、いよいよ本格的に作品を作って世に売りだそうかと思った矢先に、帝位継承の話が来てしまったのである。

 彼は帝位継承を受けざるを得なかったが、芸術家への道をあきらめたわけではなかった。

 だから、即位後も宮中で、多くの画家らを招いて研鑽に取り組み、多数の絵画を描いた。

 それはお世辞でなくとも優れた出来であり、人々を感心させたが、アウター帝自身は、自分が皇帝であるから、みなは誉めるのではないか、といつも疑っていた。

 あるとき、一人の貴族画家が、皇帝の疑問を聞いて、かなり思い切った提案をしてみた。

「それでは陛下、陛下のお描きになった絵画を、オークションに出されては如何ですか」

「オークションだと?」

「さようです。しかも、我が帝国とは外交関係のない国で」

「……どういう意味だ?」

「我が国内や、外交関係のある国のものたちは、陛下のお立場をよくご存じでございましょう。あるいは陛下がお疑いのように、媚びを売ってくるような輩もいるかも知れません。ですが、この広い銀河に、人類の築き上げた国は数百万もございます。中には全く我が国のことを知らない国々もありますれば、それらの国では、畏れ多き事ながら、陛下のこともご存じではないはず」

「なるほど、そう言った国で余の描きし絵画を出品すれば、客観的な評価がわかる、とそちは言いたいのだな」

「ご明察、恐れ入りまする」

「ふむ、オークションな……」

 アウター帝は考え込んだ。

 確かにその通りだと思った。自分の身分を隠し、名前も偽名にするなどして持ち込めば、相手はこちらの正体を調べようがないだろう。

 だが、そうすれば、絵画の評価は、そのまま技術や感性、思想などを見ることになる。

 もし、評価されなかったら……。

 自分の能力を頭っから信じている人間なんて、ほんとは銀河の中に1人もいない。

 能力がある、と思いたいだけなのだ。

 ましてや周りにかしずかれている身分の人間からすれば、なおさら客観的評価など得られはしない。

 もし完全否定されたら、自分はそれを受け入れられるのだろうか。

 アウター帝は、皇族の出自とは言え、出身の帝国美術院大学には平民出身者も多く通っており、そう言った平民らとの交わりがあったから、彼には、皇族という身分が絶対的な価値を持っているわけではないこともよく知っていた。

 それだけに、皇帝という虚飾を剥いだあとの自分にとって大事な芸術というものを否定されることは、とても恐ろしいことだったのである。

 だが、最終的には出品を決めた。自分自身から逃げることは出来ない。自分の能力の価値を知りたい、と言う欲求に勝てなかったのである。

 そして、選びに選んだ作品を1点だけ、自身の詳しい身分や事歴は出さず、名前も変えて、遠く離れた、しかも歴史が長く芸術文化の盛んな国ビヤタール連邦の、オークション運営会社ビリズィー社に持ち込ませたのだ。そこへ持ち込んだ画商は、実は帝国の人間だったが、身分を偽り、出来るだけ無関係を装わせることにした。

 オークション会社の専門家は絵画を渡されると、「拝見します」と審査をした。そして出品してみましょう、と言う話になったのだ。

 ビリズィーのオークションといえば、もちろん金銭で入札させるのだが、目の肥えた画商やコレクターが参加するために、絵画の実力を見ることで知られており、たとえ無名の新人でも、評価されれば、一夜にして画壇にその名を知られるようになる。実力を知るうってつけのオークションであった。

 皇帝は、オークションの結果を、宮中で待っていた。

 のちに彼は言った。

「余の今までの人生の中で、あの時ほど怖かったことはない」

 と。

 結果が送られてきた。

 落札したという。

「そ、それで、いかほどの値が付いた?」

 金額の多寡だけが価値とは言わないが、と思いつつ聞いてみると、

「470バイヤールでございます」

「470バイヤール……」

 ってどれくらいの金額なのだろう、と皇帝はいぶかしんだ。どうも余り高い額のようには思えなかった。帝国の通貨フンダルで、470フンダルと言えば、街角で売っているカットされたケーキ2個くらいの値段だ。庶民の物価を知っている皇帝は微妙な顔をした。

「それは、そのなんだ、我が帝国通貨でいかほどのものなのか?」

「ビヤタールとは通貨交換の取り決めがございませんので、正確なことは言えませんが……、そうですね、ものでたとえますと、……おおよそ高級車1台くらいの値段でございます」

「高級車……ほんとか?」

 と思わず皇帝らしからぬ口調で問うた。

「はい。この国での一般庶民の平均的な年収はおよそ200バイヤールです。しかも、この国はかなり豊かですので、470バイヤールは、相応に高いと思ってよろしいかと存じます」

「……さようか」

 皇帝はどういう表情をしていいのか迷った。

「実は、最初に持ち込みました時、オークション会社の専門家も、これは見事な絵だが、いつ頃描かれたものか、どのような人物が描いたものか、と聞かれまして」

 画商は、上手くごまかしはしたが、画家であること、作品は多いが、あまり発表されていないことなどを説明した。専門家は色々調べたが、本名ではなく画名で出したこともあり、結局よくわからず、わからないものの、絵は見事であり、人を惹き付けるものがあるので、出品することに決めたのだ。落札したのは、別の国の画商で、おそらくさらに高値を付けて転売するだろう、と言うことだった。

 落札後、画商は、実は、と正体を明かした。この絵を描いたのは、フン帝国の現皇帝陛下でございます、と。

 オークション会社の人は、それをなぜ先に言わないのですか、と抗議した。そしたらもっと高値が付いたのに、と言うわけだ。オークション会社は売り主と落札者からそれぞれ落札額の1割ずつをもらうわけだから、高いほどよい。

 そして、ほかにも作品はありませんか、あったら、我々が取り扱いたい、と申し出てきたのだ。

 このことがあってから、これまで国交のなかった国々でも、フン帝国の名と、芸術家皇帝アウターの名は知れ渡るようになった。

 アウターも自信を深めたようだ。前にも増して絵画に熱中することになり、一部の重臣らは眉をひそめたものの、そもそも政策は補弼内閣が決めており、その決定案を裁可する際にも、皇帝はきちんと質問をしたり、理解した上でサインをしていたので、最低限、皇帝の職務をおろそかにするようなことはなかった。

 一方、宮中は、様々な芸術家が集まるサロンと化した。芸術に興味のある貴族らも加わり、盛大な宮中文化が花開いたのである。

 やがてその文化のおこぼれが庶民にも広まり、庶民の中でも芸術ブームが起こった。なにも貴族だけが芸術の才能に恵まれているわけではない。貴族は収入の点で困らない者が多いため、芸術に取り組みやすい、と言うだけの話だ。

 庶民の中にも優れた才能を持つものが現れると、皇帝は身分に関係なくそれらのものを賞賛した。皇帝が賞賛すれば、貴族も範を真似る。庶民の芸術家が次々と発掘され、皇帝に献上される品々も増え、芸術品の価値が高まり、画商や美術商、古美術商らが急に増えた。

 また、皇帝の作品をはじめとする芸術家らの作品は、銀河のいろんな所へと伝わっていき、芸術国家の名が広まった。

 フン帝国が遠国にまで聞こえるようになったのは、このときが初めてであり、それはむしろ一種の幻想的な雰囲気を伴っていた。

 芸術の華やかなりし、銀河の果ての帝国。

 たとえて言うならば、高原にお花畑が咲き乱れ、遠く雪を頂く美しい山脈の麓には、見たこともないような豪壮なお城がそびえ立ち、その華やかな庭園では美しく着飾った皇帝と貴族と貴婦人らが紅茶を飲みつつ芸術談義に花を咲かせている、そんなイメージである。

 実際、この当時のいくつかの創作作品・映画などには、この様なイメージで見たフン帝国をモデルにした架空の国が描かれたりした。

 アウターの在位24年間は、まさに文化の時代でもあった。

 皇帝は芸術やそのための教育に熱心に取り組み、内乱と独裁政権時代に荒廃した帝国を、ふたたび華やかなものに戻すものであった。

 在位24年目にして皇帝はインフルエンザにかかり崩御した。

 雨の中、新しく整備された離宮を見学していて、体力が落ちていたところに感染したのである。インフルエンザは銀河に人類が拡がったこの時代に於いても、もっともやっかいな病気の一つだった。なにしろ毎年毎年各惑星で新たに変化したものが現れるので、人類側の対応がいつも後手に回るのである。把握できていない変種も多数あった。皇帝の感染したタイプは、分離したうえで、いろいろ手をつくして調べた結果、「A/ヒト/オプスドレム/476/3714/H21N7」という分類名が付けられていることがわかった。わかりやすく言えば、A型のH21N7型というインフルエンザで、オプスドレムという銀河のどこかにある惑星入植地の研究所で3714年に476番目に分離発見された、という、うんざりするほど多い既知のものの1つということであったが、どういうルートで来たのかはよくわかっておらず、この時はまだ完全な治療法がなかった。

 インフルエンザによってあっけなく皇帝が崩御した時、その葬儀の列には数十万の市民が駆けつけ、それぞれが一輪の花を投げて、柩を見送ったという。いかにも芸術家皇帝の葬列らしかった。

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