2代:ブレイス帝紀

 2代皇帝ブレイスは皇太子時代にグルバラ星系の第2惑星ダス・オブラビアの一地方の領主を意味するオブラビア大公になって同地に赴任していた。そのため、父帝の「事故」後は、フンベントの皇族病院にいる「病床」の父帝とは数度しか「会って」おらず、まさか死んでいるとは気づかなかった。ずっと側で見舞っていた母や弟妹ですら気づかなかったのだから無理もないが、それでもブレイスは、なんとなく、妙だな、と思っていたのである。ひとつには、皇帝がお倒れになった直後から、重臣や側近ら、宮殿工事関係者に不審な死が相次いだということもある。口封じで殺された人々である。さすがに隠しきれるものではない。また珍しいご病気とはいえ、すぐ側に行くことも出来ず、医者らの説明も妙に曖昧だった。とにかく「お感染りになるといけませんので」などと言われて遠ざけられていたのだ。

 ブレイスは即位後、首相とともに陰謀に直接荷担した貴族らを密かに処刑したり辺境に流刑にしたが、初代皇帝の死因は秘密にして、病気で亡くなったという公式見解をそのままにしておいた。

 彼は、首相らの陰謀で殺されたものの家族に対して、密かに手厚い生活保障を行い、犠牲になったものの冥福を祈るなど、事件には心を痛めていたようだ。また、暗殺された首相の一族や処刑した貴族らの一族も、表向きは、引退したり、病気になったり、と言った「穏健な」工作が行われた。

 これらのことは、偉大なる父帝の情けない最期の事実を隠すためだが、皇帝を病死に見せかけた首相にとっては皮肉な結果でもあった。

 このとき、処刑された貴族らの子供は助命し、幼いものは領地を減らしたり、階位を降等した上で後継者として認められ(皇帝の指名した後見人も付けられたが)、成人は何かしらの罪を作られた上で辺境へ流罪にした。

 陰謀主であるレイ=カッケ首相は、最後の陰謀を除いては、至極まっとうな政策を行った人物であり、アレクサンドルが皇帝になる前からの良き右腕でもあった。あくどい人間でもなかった。陰謀のずさんさでもそれはわかる。

 父と首相の間柄を子供の頃から見てきたブレイスとしては、彼が仕組んだ陰謀にむしろ怒りを禁じ得なかった。なぜ率直に話してくれなかったのか。そうすれば責任は問うても罪には問わなかっただろう。117人も殺されずに済んだのだ。ブレイスとしてはむしろ、その陰謀を企んだことで、父帝が信頼をおいてきた首相に裏切られた感じがしたのだ。

 それゆえ、陰謀の罪を彼らに償わせたわけだが、無関係の子供まで処刑する気にはなれなかったのである。と言って、成人らを軽い罪に処せば、いつ秘密が漏れるとも限らず、これしか方法はなかった。むしろレイ=カッケ首相よりも、ブレイス帝の方が秘密を隠すのに腐心したとも言える。

 ブレイスは政策面では初代皇帝をそのまま受け継いだ。

 性格的には事件の処理に見せた果断な対応でもわかるように、行動力と強い意志の持ち主であった。心優しい部分もあり、一方で、その陰謀めいたやり方を遂行するだけに知力も高かった。

 彼は父帝が国を乗っとり自らの帝国を築いていくさまを見て育ったし、その政策の意義も理解していた。腐敗した国家を救う、その大義を彼は信じた。

 彼は大貴族の出身であるが、同世代の事なかれ主義な貴族の子弟らとは思想面でも、行動面でも抜きん出ており、父親の遺伝子を立派に継いでいると言えた。

 一方で彼は自分の独創的な発想で政策を行うことはしなかった。

 それは能力的に劣っていたからではなく、思想的に父親と同じだったからに過ぎない。変える必要がなかったのである。

 従来からの帝国領5星系を維持し、外交的には従来からの関係のみを継続させ、いかなる対外軍事政策も採らず、貿易の拡大も行わず、内政にのみ専念した。

 これは、この5星系間で、経済が循環し、臣民の生活に必要な物資が補えたからでもある。つまり、フン帝国は、資源も食糧も製品化も自給率がほぼ100%で、大して貿易せずともやっていけたのである。そのことを理解していた皇帝の政策は、帝国がその後も続く礎ともなった。

 ブレイスは父よりも長く、38年間、帝位にあった。

 この間、帝国内では、自然災害や、旅客宇宙船の遭難や、貴族同士の刃傷沙汰など、それなりに大きな事件や事故が時たま起こったが、いずれも国家体制を揺るがすようなことはなく、よその国々に比べれば、平穏な時代を送った。

 父と同様、農業生産向上対策や、鉱山惑星の資源開発も進められて、貴族の荘園は増える傾向にあった。一方では平民の権利拡大政策も引き続き行われたが、大体は父帝の代に決められたもので、その制度的・法律的な事後処理程度のものだった。より強い民衆政策を行えば貴族の反発を買うことを懸念したのかもしれないが、父帝の政策で実行に移されたものの中には、彼の代になって始まったものもあるので、この程度でも貴族・平民両者の反発を買うことは特になかった。元の格差がそれだけ大きかったのである。父帝が改革半ばで亡くなったこともあり、父帝以前の社会体制を知っている人がまだ多く生存していたことも、ブレイスにとっては支持をつなぎとめる結果となった。

 輔弼内閣の首相は、38年間に7人いたが、その代替わりは失政などによるものではなく、老齢や健康問題などによるもので、政策に変更はなかった。首相の職に付いたものは、帝国大学の法制度や経済政策で共通する同じ学派に属する教授たちで、出身階層は貴族が5人、平民が2人だったが、ほぼ先輩から後輩へと順送りで継いでいった。これに対して批判がなかったわけではないが、社会同様、長年停滞していた学界では、もっとも先進的で、かつ現実的な政策を唱えていた学派だったため、他に選択肢がなかったとも言える。

 そういう点を見れば、ブレイス時代の治世は、初代アレクサンドルの政策を踏襲しているだけとは言えても、社会的には先進性があったといえるだろう。

 いかにも創業の2代目らしい時代であった。

 皇帝自身の身辺もさほど大きな出来事はなかった。

 父帝と違い、側室を置いていたが、特に権力闘争につながるような事態も生じなかった。この頃はまだ、後宮も規模は小さく、皇后が側室らをきっちり抑えていたため、側室に力はなく、後宮の情勢が政治権力に影響することもなかった。

 ちなみに、皇后リンダ・ドールズ・レディ・ビレオナリア・ファンブレイズ・ド・フンダは、皇帝と同年齢で、幼なじみでもあり、ふたりは20歳で結婚した。彼女は大貴族ビレオナリア家の出身で、そのお育ちから節度は守る女性だったが、ブレイスを子供の頃から知っているせいか、彼に対しては歯に衣着せぬ物言いも多かった。ブレイスも何故か彼女の前ではつまらぬ意地を張ったり、すねて文句を言ったりと、皇帝らしからぬ態度をとることがあった。時には、臣下の前でも口喧嘩することがあり、首相らが苦笑してとりなすような場面もあったとか。

 といって、ブレイスは彼女を廃位することは考えなかった。

 ある時、5代目の首相であるクーバ教授と政策を話し合ったあと、皇帝はこう言った。

「社会体制は古くなったら、新しくせねばならん。民の実情に合わなくなった制度は作りなおすのが賢明だ。皇帝といえども、民の信を失えばおしまいだからな」

「さようでございます、陛下」

 とクーバ首相が頷くと、皇帝は、

「女房とは逆だな。あれは古くなったから変えればいいというものでもない」

 やや堅物な皇帝の精一杯の冗談であったろうか。首相は恭しく一礼して、

「臣も同様に考えておりまする」

「ほう、首相もか。するとなにか? そちも古女房には苦労しているのか?」

「はい。政策のようには、なかなか思うようにいきませぬ」

「そうかそうか。そちもな」

「かつては恋女房、今は古女房、いろいろ弱みも握られておりますゆえ」

「ははは。それは困ったな」

「私も、首相だ、教授だと、世間では言われおりますが、うちではそのような肩書は一切無効でございます」

「帝国首相をしのぐ奥方か、これはご機嫌を取っておかねばならぬようだ。次の園遊会にでもお招きしよう」

「おそれいります。……それにしても、結婚した頃は、穏やかで、物静かな良き女だったのですが……はて、いつからああなったのか」

「そうそう。皇后もそうよ。あやつとは子供の頃から知っておるが……、若いころには想像もつかないものになってしまった。あれは詐欺だというものもいるな。騙される方にも罪はあるかもしれんが」

 皇帝はそう言って笑うと、首相も、

「人は未来を読むことが出来ませぬゆえ。政策もしかり、女房もしかり、でございます」

「ふふ、さすがは帝国大学教授、けだし名言を言う」

 3日後、皇帝は皇后に声をかけられた。

「陛下、古女房がお嫌でしたら、交換してもよろしいのですよ」

 皇帝はいきなり言われて絶句した。

 そしてクーバ首相を呼び出し、

「皇后にこんなことを言われたぞ。そちは余との会話を誰かに漏らしてはおるまいな」

「申し訳ございませぬ。つい、女房に話してしまい」

「首相、なんということを。そちはいい年して、まだ女の怖さをわかっておらぬようだな」

 そう言って皇帝は天を仰いだとか。

 ブレイスはなんだかんだと言いつつ、皇后を大事にした。

 好みの容姿をしていた侍女につい手を出してしまったあとも、逡巡した挙句、側室に置くことにしたいと皇后に一応お伺いを立てたし、その側室にも、生まれた子にも、権力をもたせることはしなかった。皇后も嫌味の2、3も口にしつつ、側室を置くことを認めた。この辺りの機微は、他者にはわからないものだった。二人は意外と馬が合う、お似合いの夫婦だったのだろう。

 そして、皇帝と、皇后や臣下とのこういう雰囲気もまた、新帝国創業時代の活気ある気風が残っていたということだ。

 ブレイス帝は、在位38年目に生きたまま帝位を降りた。

 医療技術によって表面的な老化こそかなり抑えられていたものの、やはり寿命が尽きそうだと感じ、後継者の体制が固まるのを自身の目で確かめてから死のうと思ったのだろう。長男のユルベンス・フアン・アルベルド・バラール・ロード・オブラビア・アンゲリス・ベラナ・ド・フンダに位を譲ったのである。

 彼は即位する息子と交替する形で、若い頃過ごしたオブラビアの離宮に移り、4年後に崩御した。この晩年は、今までできなかった趣味に没頭することに費やされた。それは伝統的な美術工芸品の収集であり、彼のコレクションは、ブレイス美術館となって今も残っている。

 以降、3代ユルベンス、4代カスペルと初代皇帝の政策を受け継ぎ、帝国はおとなしく銀河の片隅に存在し続けていく。しかし、その内情は、創業の先進的な時代が終わりをむかえ、社会の潮目も変わっていくこととなる。暗雲は徐々に近づいてきつつあった。

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