「あとがき」

あとがき



 一通りの文字列を打鍵し終わって、僕は奇妙な満足感を感じていた。

 あとはこの「あとがき」を書くだけ……。


 そもそもこの原稿は、僕のろくでもない思い付きが原因でうっかり書かれてしまった駄作なのだが、それでもちゃっかりと物語を締めくくるくらいのことはしておきたいと思い、この「あとがき」を顚末として添加した次第である。

 さて、まずは題名タイトルからだがこれは知っての通りかの有名なSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のもじりだ。

 この作品の場合は『卯月のショートケーキは脱稿の夢を見るか?』となっており、これはまあ、分かる人には分かる暗号ヒントだろう――そう、他でもない《ショートケーキの日》だ。

 一応説明を付け加えておくと、《ショートケーキの日》とは毎月22日に規定されている記念日である。カレンダーという媒体で見るとその由来は一目瞭然――上に「15イチゴ」が乗っているから即ち「22」はショートケーキ本体を示唆するという道理ワケだ。

 つまり題名タイトルを意訳すれば、「4月22日は脱稿の夢を見るか?」ということになる。これが何を意味しているかと訊かれれば、僕にはそのまんまだとしか答えようがない――そう、だから「****」以前の《前半》は題名タイトルの通り、「」なのである。

 誰の「夢」か――、当然それは「****」以降の《後半》にて語り部として登場する「二谷文一」だ。

 文章の体裁を比較してみると《前半》と《後半》の筆者が別人だということが分かるはずだ……例えば《後半》で「ページ」という表記が採られているのに対し、《前半》では「頁」と漢字に表記が変わっている。この他にもいくつかの表記の齟齬が見受けられる。

 加えて、《前半》の最後の一文。これが《前半》と《後半》との連関を否定している――換言すれば、《後半》で原稿用紙に大きな染みを作ってしまったことは《前半》で惰眠を貪ったことに起因するものではない。

 何故って、「僕」が「突っ伏し」たのは「机の焦茶色」であって――原稿用紙そのものではない、、、、、、、、、、、、からだ。

 まあそうは言っても、読者の側からすれば「****」の前後での「僕」の交代に気づくのは別段難しいことでもないだろう。特に《後半》内で《前半》の内容が一行目から原稿用紙ごと取り込まれているという点が、それを容易にしている。

 だがそれでは足りない。畢竟つまるところ、《前半》の最後の記述に違和感を覚えなければ不完全ダメなのだ……「筆者が交代した」だけで終わってしまう。

 実際的な物語の展開は、《前半》の「次元が後退した」夢オチだったのだから。

 だからやはり、題名は簡略であるとともに、内容も表しているのだ。事実「二谷文一」は四月二二日、、、、、に夢を見ている。

《後半》の終盤、「二谷文一」は「偶発的で局地的な共時性」と述べている。これはただ、《前半》の「僕」と同じく自分も《四月二二日に締切に追われている志波学園漫画研究部員》だということを、克明に且つ端的に言い表しているだけなのである。

 また「書いた気がする」とデジャヴを起こしてもいるが、これもただ単に、夢(《前半》)の幽かな、、、記憶によるもので、だからこそ既視感デジャヴであって、既視ではないのだ。

 けれども原稿用紙にはしっかり文章として刻まれていたのだから、これは矛盾している――誰が書いたのかという話になる……、だがしかし原稿を執筆したのは「二谷文一」で間違いないだろう――最後に彼は《前半》の題名タイトルを思い出す(これについては「四月二二日に夢を見」たことが逆説的にその証左になる……)。

 ……したがって、前述を覆すようで申し訳ないが、「二谷文一」はやはり『卯月のショートケーキは脱稿の夢を見るか?』を書いていたのである――ただし執筆も上梓も、一年前、、、ではあるが。

 さて、ここで無知が大多数マジョリティであろう読者に必要な情報を提供せねばならない。

◎ 漫画研究部(文芸班も含む)は毎週、水・金曜日に活動している(重要)

 ……《前半》の現在日時を「2015年4月22日」と仮定すると、《後半》は「二〇一六年四月二二日」であると、辻褄が合う――《前半》のその日は「水曜日」であり《後半》のその日は「金曜日」となるからだ。

 そして《前半》の「僕」をこの「あとがき」の筆者である僕と同定すると、その1年後である《後半》の「二谷文一」は、高校三年生になった僕、、、、、、、、、、という極めて滑稽な事実が捻出されるのである…………。

 この際だから結論から言ってしまおう――僕もこれ以上説明に説明を重ねるのは野暮が過ぎると思う――「二谷文一」は完成原稿である『卯月のショートケーキは脱稿の夢を見るか?』に登場する「僕」と同一人物であり、言わば彼は、原稿用紙内の世界である《前半》から執筆者のいる世界である《後半》への次元上昇アセンションを成功させた……対して《前半》の筆者である《後半、、の住人だった誰か、、、、、、、、は《前半》もとい『卯月のショートケーキは脱稿の夢を見るか?』なる小説世界内に転送されてしまった…………

 つくづく不明瞭な逆説パラドックスを説いてしまって本当に申し訳が立たないが、これが真実だと(少なくとも僕は)思っている。

 具体的に解説しよう――《前半》の筆者は『卯月のショートケーキは脱稿の夢を見るか?』の登場人物である「僕」であり(一人称小説の作者はおしなべて語り部本人である故)、《前半》を内包した《後半》の筆者――否、筆者となるはずだった、、、、、、、、、、誰かは、先刻の、文字通り先刻の「僕」と位相レヴェルを互換した……それが《後半》の場面に入ってからの展開だ。

 つまり《前半》――『卯月のショートケーキは脱稿の夢を見るか?』を読了した「二谷文一」が一年前の世界の自分と入れ替わる。あたかも空蝉の術の如く……。

 その後は延々と堂々巡りだ……過去の自分と現在の自分が、入れ替わり立ち代わりで、次元の壁を――第四の壁を破り続けていく…………。

「二谷文一」は過去の自作小説あやまちによって現実と創作の狭間を彷徨い続けることになったのである…………。

 しかし結局のところ、彼の「夢」は「脱稿」ではあった――四頁ほどの、拙くも稚気にまみれた原稿の――。

 題名タイトルは必然、…………『卯月のショートケーキは脱稿の夢を見るか?』、である……………………。


 ――ようやっと「あとがき」を書き終えることができた。

 あまりに荒唐無稽、支離滅裂なあとがき……というよりは解説を書いてしまったが、それでも僕は満足だ。脱稿できるに越したことは無いのだから。

 それに整合性などなくともいいのだ。この、卯月のショートケーキは云々という小説は完全な物語フィクションであり、そこに現実解的な解決を付記する必要は、限りなくゼロに等しい。

 ……ところで僕は「ゼロ」と、《前半》式の表記をしているのだけれど……これはどういう風の吹きまわしなのだろうか? 僕はひょっとすると、いやひょっとしなくても、《後半、、から送られてきた、、、、、、、、《前半》にいる二谷ふたや文一ぶんいちなのではないか?

 ――――否。

 僕は文一ぶんいちではないし、そして文1でもない――ただの普通の高校三年生だ。

 表記が混ざっている……もしかすると、僕の身にも断続的な「入れ替わり」は起こっているのか……?

 僕はただ拾っただけなのに…………この「あとがき」を除いた決定稿、、、を…………。

 駄目だ…………意識が途切れる……僕はもう、この世界から去らなければならないようだ…………――、


                                 二谷ふたや文一あやひと

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『卯月のショートケーキは脱稿の夢を見るか?』 二谷文一 @vividvoid

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