第5話 君が灯したマッチの火
ハンスとジュドの肩には、みるみるうちに雪が積もります。
「このままじゃまずいな。
とりあえず、宿を探すぞ。」
背の高いジュドがハンスの風よけとなる形で二人は雪が深く積もった道を進んでいきました。
やっと見つけた宿では老夫婦が大急ぎで着替えと毛布を二人に渡して暖炉のそばへと案内してくれました。
「ひどい目にあったね……。」
「ああ、まさかここで北の都市の冬を経験するとはな……。」
ため息交じりに二人は言います。
「ジュド、北の都市にも行ったことがあるの?」
「ああ。俺は西の果てで育ったからな。
ここに来るまでに、いろんな場所を通った。」
「へえ、すごいんだね。」
暖炉の火がゆらゆらと揺れ、老婆がハンスに渡してくれたスープの匂いが鼻の奥を微かに通って二人を包みます。
「じゃあ、中心の街へは行ったことある?」
「いや、これから行く予定だった。」
「そうなんだ、それで僕と目的地が同じって言ったんだね。」
「……ああ、そうだ。」
そう答えるジュドの顔は、ハンスには少し寂しそうに映りました。
前に、後ろに、ハンスを揺らす安楽椅子は、少年を眠りの世界へと連れてゆきました。
次の日の朝、都市の吹雪は止みました。
しかし、老夫婦の話ではここ1週間吹雪と晴れの日が繰り替えしくるばかりで、春祭りを催すこともままならないそうなのです。
昨日はあいにくの吹雪で視界も悪く、見えませんでしたが、街の真ん中にある東の城が堂々とそびえたっていました。
ハンスとジュドは、老夫婦からもらった手編みのマフラーと手袋をつけて、都市のなかを歩いて回りました。
すると、
「あの……マッチを。」
声とともに二人の目の前に1本のマッチ棒が突き付けられました。
「買って、もらえませんか?」
ハンスと同い年か、少し小さいくらいの少女でした。
行き交う人々の中でも特に薄着で、履物は足に合わない大きな木靴。しもやけのためか、指先が赤くなっていました。
「……金なら出すぞ。」
ハンスの遠慮がちな視線にジュドがそう答えると、ハンスは少女に笑って答えました。
「じゃあ、一束もらえるかな。」
それから、自らのマフラーと手袋を少女に身に着けさせました。
「え……だめ、もらえないです。」
「でも、このままだと君が風邪引いちゃうから。
落とし物を拾ったことにでもしておいてよ。」
そう言って、二人は少女に手を振りわかれました。
「あの程度の金で救われるとは思えんがな。」
「救うとか、そんな大それたことは思ってないよ。
僕がああしたかったんだ。」
「ああ、俺は雇い主に従うだけだ。」
その夜の事です。
「ああ!ああ!エリサじゃないか!帰っていたのか!」
「リック、こんなに大きくなって!」
老夫婦が何もない空間に話しかけているのをジュドは目撃しました。
とっさに隣にいるハンスの様子を確認すれば、虚ろな目で父さん、と手を伸ばしていました。
「ハンス!」
手をつかみ、大きな声で彼の名を呼びました。
「父さん……」
ハンスの青い眼が、寂しそうに、懐かしそうに虚空を眺め、その手が暖炉の火へと近づいていきます。
急いでジュドは様子のおかしいハンスに近づき、その手を取りました。
「ハンス、目を覚ましなさい」
それこそまるで、父親のように言うと、ハンスはきょとんとした表情でじっとジュドを見つめます。
「とうさ……あれ、ジュ、ド?」
ハンスの目に光が戻りました。
安心したジュドはゆっくりとハンスの手を離し、先ほどハンスが見たものの正体を告げるのです。
「これは幻、魔法の一種だ。」
「幻?」
「ああ、おそらくこの都市全体に広がっている。」
「このままじゃ、どうなるの?」
ハンスが不安げに尋ねると、一瞬ためらうそぶりを見せたジュドは、はっきりと答えを口にしました。
「術者はもちろん、このまま放置すれば魔法にかけられている人間のほとんどは衰弱死するだろうな。」
「そんな……!
どうすればいいの!?」
「術者を見つけて、やめさせる以外にないだろうな。」
「ただいま。」
少女は古いドアを開けて家の中へ帰りました。
「チッ……帰ってきたか。
どうせ今日もマッチは売れず仕舞いだろう?」
少女の父は、今日も一人で酒瓶を片手に机にもたれかかっています。
「ううん、今日は1束売れたの。」
「なんだと……?」
酔いで赤くなった父の顔がサッと上がりました。
「だったらなんでもっと売り込まねぇ!!
どうせ同情だろうが!だったらもっと金をむしり取りやがれ!
たかだか一束じゃあ明日の酒代にもなりゃしねぇだろうが!!」
勢いよく投げた酒瓶が、少女のすぐ近くで砕けました。
「ご、ごめんなさい……。」
「このクソアマ!!使えないガキが!!」
父の大きな手で生み出される痛みが、少女の小さな体にいくつものあざを作ります。
それを少女は、ただただ謝りながら受ける以外に術はありませんでした。
「その湿気たマッチ全部売るまで帰ってくんじゃねぇぞ!!」
そう言って父は少女を家の外へと放り出しました。
父親にとって、もうマッチが売れようが売れまいが、少女がどうなろうが知ったことではなかったのです。
日が暮れ、家のなかへと帰る人々に少女は一人呼びかけ続けました。
しかし、雪で湿って火もつかないようなマッチを誰が買うでしょうか。
それでも少女はマッチを売り続けます。
季節はずれの雪が止んで、春になればきっと父親も優しい父に戻ってくれると信じて、少女は群衆に呼びかけます。
手にはあの一束を買ってくれた少年の手袋をつけて、マフラーを首に巻いて。
しばらくすると、人はほとんど居なくなりました。
こんな寒空の下歩き回る変わり者なんていません。
少女は人が通るのを待ちました。
待って、待って、待って、
それでも、もう誰も通りません。
少女の目に映ったのは、たくさんのマッチ棒の中にある湿っていない数本のマッチ棒。
「一本だけ。」
そう言って少女はレンガの壁でマッチを擦りました。
小さなあかりが少女を温めます。
本当に小さな光だったので、風が吹けばすぐに消えてしまいました。
「もう、一本だけ。」
そう言ってまた少女はマッチに火をつけました。
向かいに見える家では子供とその親が食卓を囲んでいました。
温かい料理なんて、いったいいつから食べていないでしょうか。
そんなことを考えているうちに、彼女の周りはたくさんの料理であふれかえっていました。
それに気づいた少女は、急いでその料理に飛びつきました。
しかし、少女が持っていたマッチの火が消えた途端、その料理は少女の目の前で霧散してしまいました。
慌てて少女が残りのマッチ棒すべてに火をつけると、そこにあったのは、少女が望んだ温かい家庭が、テーブルを囲んでいました。
『どうしたんだ?ルミア、早く席に着きなさい。』
父が笑いました。
『ほら、今日はあなたの好きなものたくさん作ったのよ?』
母が笑いました。
『ルミア、今日はどんなことをして遊んだのか、私に聞かせておくれ。』
祖母が手招きをしていました。
それに駆け寄り、少女は、永遠を望みました。
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