パリスアイランドの自宅の次に愛している
「で、俺に話したい重要な事っていったい何なんですか?」
校門を左に出てすぐの桜の木の前で止まってそう聞いた。
七花がジタバタと腕の中でもがき、
「いい加減ここから降ろせー!」
「ああ忘れてた、すみません!」
七花を降ろし、改めて用件を聞いた。彼女は神妙な顔つきで腕を組み、
「どうやら店の金が盗まれたらしい」
「えッ? マジすか」
彼女は俺の周りをゆっくりと歩きながら、
「染屋と開店準備をしていた時に店長が発見した。売上げを銀行に預けるために金庫を開けたら、レジ金ごと一週間分の売上金がごっそりなくなっていたんだ。事件発生のおよその時刻は、閉店直後から明け方までの間。これといって荒らされた形跡は残されていなかったがすぐさま警察に通報、事情聴取を終えた店長は現在本社にて報告中だ」
言葉が出てこない。入ってまだ四日目なのに、そんな事が起こりうるなんて想像もしなかった。
というか本社があるなんて知らなかった。他にも支店があるのだろうか。
彼女はおおげさに長いため息をつき、
「詳しい事情は今のところそれだけだが、北のミサイルの脅威にさらされているこんなご時世なのに警備会社とも契約してない店だからな、いずれこうなることは予測がついてた。店長に何度も警告してやったが、本社の腐ったクズの営業部長が首を縦に振らなくてな、だからせめて大勢の敵を瞬時に一掃できるほどの殺傷能力の高いブービートラップを店中に仕掛けようって提案したんだ、ミーに任せてくれたらそんなのお茶の子ちゃいちゃいなのに、店長が大丈夫って言うもんだから……て今さら言ってもはじまらないか」
七花が自分のことのように落ち込んでいる姿がとても痛ましく思える。こんな姿を見るのは初めてのことであった。
「先輩は悪くないじゃないですか、そんなに自分を責めないでも……」
七花は遠くの景色を見つめながら、
「一人暮らしをはじめてもう一年になる。店長のことはもちろん愛しているが、あの店はミーにとっては第二の故郷だ。パリスアイランドの自宅の次に愛している。そんな思い入れのある領域に北のスパイに侵入を許してしまったって思うと、どうしても、憤りを通り越して不甲斐ない気持ちにかられてしまう……ほんと情けない話さ」
「え? 先輩一人暮らしなんですか?」
七花はポカンとした顔で俺を見上げ、
「あーそういえば言ってなかったな、ミーは単身でこの黄猿島に渡ってきたのだ。ふひ、どーだ、エライか?」
「え、えらいです。正直ビックリしました」
何気なく返したつもりであったが、その質問が彼女の悲愴を取り除く一助となってくれた。
彼女は気をよくしたのか、まるで花が咲き開くような笑顔で自慢げに、
「ふひひ、そーか? まーパピィたちは仕事で忙しいからな。マミィの実家が近くにあるのだが、ミーはあえて一人暮らしを選らんだんだぞ。最強の海兵になるための訓練だって言ったらパピィたちが快諾してくれたのだ」
親元を離れ、遠い異国の地で一人暮らし、か。
すごいの一言に尽きる。
同じ境遇に身を置いてこそ理解できるそのすごさ。いや、俺と比べるなんて甚だしいにも程がある。彼女の場合、家に帰っても誰もいない、数時間かけて会える距離に親もいない、親の実家があるとはいえ、心から頼れる身内は、誰一人として身近にいないのだ。
寂しいという言葉だけでは足りない気がする。それを表現する言葉を俺は知らない。
そんな状況下でも、なんでもないように笑える彼女の強さとは、いったい何なのだろう。どこからそんな強さが、生まれてくるのだろう。
七花がこの国の学校に通うことになった理由は、親の勧めだということであった。
「あ、てかこれからどうします? 俺今からソッコウで家帰って用意するんで、よ、よかったら一緒に店に、」
「その必要はない。迎えは手配している」
「は?」
七花はそう言って、スマホを素早く取り出してタップし、
「ブラボー、こちらアルファ、用件は済んだ、直ちに二名の回収を要求する、over!」
電話で話すといつもこんな感じなのだろうか。
「現地座標、北緯12.3、東経45.6。ポイントチェリーの安全は確保した! ブルズアイ方位030より進入を開始せよ」
と一方的に用件だけを伝え、相手の返事も待たずに電話を切る。すると学園の角から、古ぼけた丸メガネの車が砂埃を巻き上げながらドリフト走行で現れ、勢いを殺さぬまま猛スピードでこちらに向かって走って来た。やがて目の前でつんのめるくらいの急ブレーキで止まり、後部座席のドアがひとりでに開かれる。
七花は飛び込むように先に乗って俺に手を差し伸べ、
「なにをモタモタしている! お前のクソ姉はもう手遅れだ! ゾンビ化して追ってくる前にとっととここから脱出するぞ!」
クラスの連中が追ってくることは確実にないが、七花に言われるがまま手を掴んで後部座席に乗り込んだ。彼女の「撤収だ!」という合図で、運転士帽を目深にかぶったそいつがアクセルを目一杯踏み込み、まるで女性の金切り声のようにタイヤを鳴かせながら車を急発進させた。
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