それにしてもこの言葉遣い、どこかで
落ち着くまも与えまいと鳴り止まぬコール音。まるで妖怪の舌のように伸び続けるオーダーペーパー。調理具で散らかり放題のステンレス製の作業台。
いつもは談笑場となっている厨房が、戦場と化していた。
客の入りは依然として少ないのだが、注文が鬼のように殺到。夕食の時間帯を狙ってきた客が、食べながらカラオケを楽しむといったパターンである。
所詮カラオケ屋の料理と侮ると痛い目にあう。
さしもの本業の居酒屋や料理店には引けをとるものの、競合店には勝りはすれども劣りはしない、と先輩たちが自負する所以がこの店にはある。
たとえば先ほど客室に持ち上がった料理は、スレイプニルの肉を贅沢につかったお好み焼きという、アルヴ特有の銘がうたれた今月のおすすめで、あらかじめ煮込ませて保存していた馬のスネ肉を使ったこの店の手作り料理だ。
そのようなアルヴの料理は、店長や五軒邸をはじめとしたメンバーが考案し、試作試食を積み重ね、出来上がったものを店長がデジカメで撮影。イラストアプリでトリミングした料理画像と色鉛筆で手書きした説明文とイラストを合成して作ったPOPを、店内の至る所に貼り付け、接客の際におすすめする。
五軒邸はフライヤーから揚げ物を取り出し、最後の盛り付けと子供用のデザート作りを同時進行。七花はビールケースの裏を足場にしてガスコンロの前に立ち、火力を最大にして二人前のチャーハンを作るべく、鬼気迫る表情で大型の中華なべと格闘している。
俺は、熱気を散らす二人の後姿を見ながら、シルバーの上に人数分の取り皿と箸を揃え、オーダーの品が完成するのを待ち構えている。
「みかどくん~、チュールの元気な力こぶ唐揚げができたわよ~、お願いね~」
「はーい」
出来上がった品を、順に客室へ提供に上がるのが俺の役目だった。
「それではご主人さま、ごゆっくりどうぞ」
料理の提供を終え、一礼をしながら扉を閉め、客室を後にする。
同年代の男性客が、今人気のテレビアニメ「からむ量子のアモルメカニカ」の主題歌を歌っていた。
自分の好きな曲を誰かが歌っているのを見ると、無性にカラオケに行きたくなってしまう。
そんな気持ちを抑えつつ、曲を口ずさみながらホールを歩いていると、玄関の方からチャイムが聞こえた。
まだ三日目で慣れないとはいえ、この状況下では入店作業も俺の担当だ。
七花には、失敗してもいいから数をこなして慣れろと言われている。
とは言うものの、彼女は口だけで、失敗を目にされるたびに罵倒されるが、それはそれで慣れた後に叱責されるよりかは、最初のうちに間違いだと注意されたほうが自分にとってはいいのかもしれない、と思いはじめている。
彼女たちは相変わらず目前の作業に忙殺されているはずだし、店長は競合店舗の視察で、受付の中には誰もいない。
――落ち着いてやれば大丈夫だパイパイスキー。
七花の言葉を思い出しながら深く息を吸い込み、受付部屋の扉を開け放つと同時に元気な声で言った。
「お帰りなさいませ、ご……」
昨日と同じ、不気味な黒尽くめの身なり。
そいつを目にしたとき、今もっとも顔を合わせたくない人ランキング1位。そんなことが頭に浮かんだ。
大神がコートの内ポケットをまさぐり、くたびれた煙草を取り出して口にくわえ、ジッポで火を点ける。
そして内ポケットにそれをしまい、最初の一服をつけながらこう言った。
「オウ、またオメーか」
闇の中から獲物を覗きこむ獣のような目つきだった。
彼は天井に向かってさらに一服吸い込み、今度は俺に向かって酒臭い紫煙を吹きつける 。むせ返るほどの煙たさに涙がにじんだ。
「ゴホッゴホ……れ、礼子さんですよね、呼んできます」
と何気ない気持ちで五軒邸を呼ぼうとしたのだが、その態度が気に食わなかったのか、 大神は拳でカウンターを叩きつけ、
「オメーと話がしてーのに、さっそく礼子だして逃げようって腹か、アン?」
行動が読まれている。
白状すると、彼の言ったとおり、逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
物も言わさぬといった威嚇の凄みに、その場に搦めとられてしまう。
ほぼ面識のない俺に、一体なんの用事があるというのだろう。他愛のない会話を望んでいるにしても、なにも威嚇することはないと思う。それにしてもこの言葉遣い、どこかで……
こめかみ辺りがじくじくと疼きはじめる。
「き、昨日も呼ばれてたんでつい……すみません」
この場を穏便に収めるため、まったく意味のない謝罪と分かって頭を下げた。畏縮してしまった脳が、条件反射的にそのような命令を体に下したのだ。
大神は、蛙を睨んだ蛇のように俺が逃れられないことを知っている。これまでこのような理不尽で、何人もの一般人を脅してきたという慣れみたいなものも感じる。人と接するときの配慮など一切感じられない。昨日とはまったく違う、本物の威嚇であった。
大神は深く煙を吸い込んだあと、唾液がべっとりとついた煙草を俺に向け、
「許してほしンだったらコレ吸ってみろ」
混乱した。なぜそうなるのかが、まったく理解できない。
こちらの隙を狙って揚げ足を取られる見覚えのない不安と恐ろしさに、震えはじめだした手をそっとかざし、
「そ、その……僕、吸ったこと、ないんで……」
できる限り丁重にお断りしたつもりだった。大神はさも鬱陶しげにそれを払いのけ、
「俺と仲直りしてえって言ったのは口だけか、アン!」
覚えのない理不尽に手が震えだし、血走った目で脅される恐怖に足がすくみ、混乱の極みに達しようとしていた。
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