勇者の故郷にきてみた その2
ちなみに七花が俺をここに連れてきたのは理由があった。
それは二時間ほど前、アルヴにきた不気味な黒尽くめの男に因縁をつけられたのが切っ掛けで、業務に精彩を欠き、仕事がままならない状態の俺を見かねた七花が、気分転換の意味を込めて俺を連れ出したのだ。
「まだ気にしてんのか、あいつのこと。……ハゲるぞ?」
「いや、まあ……」
七花は短いため息をつき、
「言っとくが、あんなものまだ序の口だぞ? これから色んなやつを接客することになるが、もっと酷いやつなんていくらでもいる」
それは、知っている。
とはいえ、実際に経験したのではないが、接客に腹を立てた客が店員に土下座させたり、酔っ払って店の物を壊したり、時に傷害事件や強盗を起こすといったのは、昨今テレビのニュースで取り上げられたりもしているのを数多く見てきていたし、SNSでもなにかと話題となってることがあったからだ。
「しかしだな、そんな不逞の輩は極一部の人間にすぎん。大抵は気のいいやつらばかりで、アルヴなんかまだ客質はいい方だ。ふひ、ミーはその辺りを取り締まるのが得意でな、気に食わんやつがいたらコイツで二度とアルヴに来れないようにしてやってるんだ。ふひ。どーだ、シルバースター並みの功績だろう」
と七花はそう言って、ポケットから取り出したバタフライナイフで遊びはじめる。
マイクの調子が悪いと言われたら、部屋に出向いて新しいマイクと取り替えたり、ドリンクバーのジュースが切れたと言われたら、あらかじめストックされた新品の原液と交換する。たったそれだけの事なのに、自分では当たり前の事をしているだけなのに、客は「ありがとう」と言って喜んでくれる。
その一言がすごくうれしかった。
理不尽な研修は別にして、仕事にすごくやりがいを感じはじめてきた。
そう思っていた矢先の出来事だった。
俺は、あの冷たくて人情味の欠片もない目を知っている。確証はないが、たしかに見たことがある。
大神は冗談と言っていたが、そうは取れないほどの威圧さがあった。それを思い出すだけで、自然と手が震えてくる。
「まーなんかあればミーがとっちめてやるから安心しろ。姉さまのケツをしつこく付けまわす厄介な客だが、大神みたいな客のひとりやふたり、ミーにかかれば造作もない」
POSレジのデータベースによると、彼の名前は
この名前に引っ掛かりを覚えるのはなぜなのか。
考えすぎなのか、こめかみ辺りにじくじくと痛みが感じられる。
「それに姉さまだって黙っていない」
「……礼子さんが?」
七花は例のごとく自慢げに頷き、
「ミーは一度だけ見たことがある。レーコ姉さまの真の姿を」
「真の姿?」
「ああそーだ。あのお淑やかな姉さまが烈火のごとく怒り狂う姿だ。だいぶ前の話しだが、あるハゲたキモイおっさんが、姉さまのケツを触って秒殺された。無論即病院送りだった」
秒殺て。
「いーか、お前に忠告しておく、姉さまを絶対に怒らせるな。絶対にだ! あとこれは絶対に秘密だからな、染屋にも言うなよ……ん、まてッ、誰かに盗み聞きされてるッ! そこか! 誰か!」
と言うや否やジャージの内にしまっておいたデザートイーグルを取り出し、俺の頭をカウンターに押し付け、鋭い目つきで四方を確認しはじめた。オヤヂはそれにも無反応でグラスを拭いている。
やがて七花は、ゆっくりと撃鉄を戻しながら安堵のため息をつき、
「ふう……どーやら気のせいだったようだ」
「気のせいかよ! いちいち大げさなんだよアンタ!」
それにしてもあの朗らかな性格をした五軒邸が怒り狂うなんて想像もできない。あの店の連中なかで唯一まともな存在と確信していたが、そういった本性が隠されていたなんて露にも思わなかった。
しかし、この七花でさえ一回きりだと言っていたのだから、普通に接していれば問題ないはずだし、余程の事がない限りは大丈夫なのだろう。
「あ、あの先輩……。今日はその、ありがとうございます」
短い沈黙を紛らわす、苦し紛れのお礼だった。
「お前は能無しだが根性だけはある。今まで海兵になりきれず、ゴミ以下の存在のまま消えていったやつをミーはいくらでも見ている」
それは確実にあんたのせいだと思う。
七花の口ぶりからすると、一日も持たなかったということだろうか。
俺は異常なのだろうか。
「この間のやつなんか、年末のクソ忙しい時にバイトに来たので、割と根性あるやつが入ってきたなと思っていたら、ところがどっこい、半日も持たないまま研修の途中で飛んで逃げやがった。あれは匍匐前進の最中だった。デブすぎて脂肪たっぷりのお腹が邪魔して前に進めないでいるそいつのケツに目掛けて銃弾をバシバシ打ち込んでやったら「ぶひい、七花さん痛いです。やめてください、ぶひい」ぶわはは、しまいには貸してやった銃を放り投げ「ぶきい、もうこんな所はコリゴリだ!」と言って途中で逃げ帰ろうとしたのに腹が立って、腫上がってパンパンになったケツを自動ドアの向こうに消えるまで狙い撃ちしてやったのだぶわはは」
そいつがどんなやつかは知らないが、その気持ちは痛いほどわかる気がする。
テーブルを叩いて大げさに笑う七花を見ていると、なんだかこっちまでおかしくなり、気の毒とは思いつつも一緒になって大笑いした。
――ところが、
「実はそいつ、死んだんだ」
「は?」
一瞬で笑いが止まった。
七花は一転、ただの今まで笑っていたとも思えないほどの神妙な顔つきになり、
「そいつが逃げ帰った二日後、ニュースで見たんだ。死因はショック死。なんでも、満員電車に無理やり乗って自動扉にケツを挟まれたまま電車が発進したらしい。偶然乗り合わせた乗客が「ぶひい、止めてくれ」と恐怖で発狂してたって言ってたし、ケツが大きいのが原因で、あと少し小さければ抜けられたかもって専門家も言ってた。ミーのせいではないにしろ、あの時、機関銃で追い討ちをかけていなければあるいは……って思うと、どーも笑えなくてな」
「おもいっきり笑とるやんけ!」
七花はおかわりの麦茶を呷って「ぷはあ」と満足げにため息を吐き、
「どんなことが起きるかわからん世の中になったものだ。なーオヤヂ」
「ふぇい」
「だッ、だからミーのステディではないと言っているだろがこのもうろくヂヂイ!」
なにはともあれ、七花のおかげで気が楽になった。とにかく今日の事は早く忘れて、明日からまたがんばるとしよう。
白髪白髭白眉の店主は、今も無言で俺たちの話に耳を傾け、グラスを拭いている。
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