勇者の故郷にきてみた その1
「オヤヂいるかー?」
バイト帰り。
俺は七花に、国道沿いのとあるバーに連れてこられていた。
無論当然のことながら、俺の意思とは関係なく強引に連れてこられている。
店名は「勇者の故郷」
こじんまりとしたレンガ造りのテナント物件で、似たような店が三件連った右隅の一角。
中の様子は外観と同じで、むき出しレンガで覆われており、暖色の照明は光量が乏しく、客ゼロと相まって薄暗さに拍車が掛かっており、店名は適当に付けたに違いなく、まるで洋画などに出てくる地下牢を彷彿とさせる薄寂れた空間であった。
「あの先輩……ここ、大丈夫なんすか?」
カウンターには、おあつらえむきの老人がひとり。客が入ってきたというのに、こちらを見向きもせずせっせとグラスを拭いている。
暖房がほどよく効いており、春先の寒い外気に冷え固まった体が解かされていく。
七花はすっかり怖気づいてしまっていた俺を鼻で笑い、まるでお友達を地元の駄菓子屋に連れて来た園児のような得意げな顔で、カウンターのど真ん中にどかっと乱暴に腰掛け、足をぶらぶらさせながらこう言った。
「ふひ、心配するな。ミーはここの常連だ。と言ってもこの店でミー以外の客は見たこともないが……ま、気にするな。オヤヂ、コイツが例の新兵だ、これからちょくちょく顔を出すからかわいがってやってくれ」
会社帰りに嫌々上司に馴染みの店を紹介される部下の気持ちが、今ならわかる気がする。
目の前の老人は、アルプスの山小屋で遭遇しそうな古ぼけた格好をしており、背丈は七花と同じくらいで、長い白髭、目が隠れるほどの白眉、雲をかぶせたような白髪頭の老人であった。
ちなみに七花はダボダボの白いジャージに着替えている。
そこで七花が、こんな狭い空間でしかも目の前に店主がいるというのにも関わらず、指をパチンと弾き、
「オヤヂ、今日もバーボンだ。コイツにも同じモノを頼む」
今日もて。
「お前、未成年なのにこんな所にきて毎晩晩酌しているのか? お前のほうがオヤヂだっつーの。てか酒なん飲んだことねーよ! てか人の飲み物勝手に決めんじゃねえ!」と、知らない店でいつものようなツッコミを入れるワケにもいかず、恨めしげな目で七花を睨んでいると、オヤヂと呼ばれたご老人が少し間をおいて、
「……ふぇい」
と、まるで蝋燭の火が消えてしまいそうなか細い声を発する。
それを聞いた七花が顔を引きつらせて狼狽し、
「ここここんなヤツがミーのステディなワケあるかーっ! そそそんなこと言ってる暇があったらさっさとバーボン持ってこい。さささもないと、おお老い先短い残りの人生をさらに縮めることになるぞこの腐れヂヂイッ!」
この老人の短い返事をどう訳せればそうなるのかが分からない。
七花は悪態をついて横を向くが、そこに俺の顔があったので真っ赤になって慌てて反対側を向いて「フンッ」と息をまく。
そこで老マスターが、岩のような氷と琥珀色の液体がなみなみと注がれたロックグラスを俺の前に置き、先程と同じように「ふぇい」とだけ言って、グラス拭きに戻る。
どうぞ、て言ったんだよな。
少なくとも俺はそう受け止め、その上で「マジでこれを飲めと言うのか」と怪訝な顔で七花を見たら、すかさずビンタが飛んできた。
「イッテー! いきなりなにすんねん!」
視界の中で星屑が舞い散っている。七花は目くじらを立てて怒りだし、
「黙れプライベートパイパイスキー! オヤヂはお前に「はじめまして姫騎士くん。君の噂はかねがね聞いておる。彼女もろともよしなに頼むぞよ」って言ったのだ! 礼儀知らずにもほどがあるぞ。この海兵の面汚しがーッ!」
「そんなんわかんのお前だけや!」
そして改めてオヤヂさんに挨拶をして、差し出されたグラスの中身をまじまじと見つめる。
これが噂のバーボンという酒か。
偏見は認めるが、俺の中で、背徳感に満ち溢れた正義のイケメンヒーローが必ず手にする物といえば、キューバ産のぶっとい葉巻にジャックダニエルと相場が決まっていた。
しかし今は、葉巻はともかく、目の前のこいつをどう処理するかが問題であった。
まずグラスを睨む。そして、匂いを嗅いでみる。
くっっっさ。
目がクラクラする。思わず仰け反ってしまいそうになる。
オイオイこれをいけってのか? ……いっちまうか。いやまて、冷静に考えてみると俺はまだ15で、飲んでもいい歳になるまであと5年もかかる。それに飲酒が学校にバレたら許可証の剥奪。ヘタこきゃ退学ものだ。まてよ、ひょっとして七花のやつ、長いアメリカ生活でこういった数々のおマセな経験をすでにしており、この俺を試しているのではないか。くっそおおお、そういうことか。いい気になりやがってこのマセチビが。
すると七花が、まるで洋画に出てくる生意気子役のように気取って笑い、
「ふひ、お前ひょっとして初めてなのか?」
「あ、いや、その……別にはじめてってわけじゃ……あ、そうだありますあります! 俺ウィスキーボンボン好きで毎日食べてんですよ、そういや買いだめが切れてて今日買いにいかなきゃって思って、」
「まーいい、手本を見せてやる」
と言ってグイっと一気に呷り、空っぽになったグラスをカウンターに叩きつけ、口の回りをペロリと舐めて嫌味ったらしい顔で笑う。
「海兵はみんなこうだ。よく覚えとけ、プライベートパイパイスキー」
対抗心が燃え上がる。
くっそおおおドチビの分際でいい気になりやがってえっ! よっしゃ飲んだる。目ン玉ひん剥いてよく見とけっ。これが日本男児の大和魂じゃああ!
俺は負けじと腹を決め、目をつむって鼻をつまみ、グラスを傾けて一気に、
「ごくごくごく、ブフッ、こ……これ麦茶やんけっ!」
「ぶわはははっ、騙されやがった」
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