俺はこの男を知っている

 それからけして多くはないが、昨日のおばちゃん連中や他の常連客が来たりして接客に努めた。その流れでドリンク提供やバッシングといった部屋の片付け作業に従事しつつ、新しい作業も習得していく。

 ほどなくして五軒邸が今日も早めの出勤。

 それから俺たち三人は暇になったので、昨日と同じく他愛のない会話で盛り上がり、客が来るまでの時間を潰すことにした。


「今日も暇ね~。どう、みかどくん、少しは慣れた~?」


「あ、はい……少しなら」


「POSレジの操作とかはどう~?」


「パソコンやってるんでレジはすぐに覚えました。ほぼ独学でね!」


 七花は俺の嫌みたっぷりの言い回しに反応せず、


「うげ、こいつネトゲ廃人だったのか……どーりで反論内容が表面的で薄っぺらいなと思ったんだ。まるでヤホコメや3ちゃんスレによく出没して微妙に意識の高い批判コメントを残して「俺がまとめてやった」と勝ち誇るネトウヨ共と同じさ。いやそのものと言っていい。こいつの何やらせても気に食わんといった態度とあー言えばこーいう性格を目の当たりしたら誰だってそう思うに決まってる。神にかけて誓って言ってやる。ふひひ、もーここまできたら性根まで腐りきったサックでカントのクズとしかいいようがない。……どーしたアースホー、いつもみたいに反論しないのか? あーそうか、リアルではおとなしいネット弁慶は、コメント欄にしか反論できないんだよな。ミーのアカウントを教えてやるからそこに得意の書き込みしてくれてもいいんだぞ。まー逆に返り討ちにしてやるけどな。……と、このままだと永久にしゃべり倒してしまうな。でもそんなことはしない。とにかく最後にひとことだけ言わせてもらうと、お前は宇宙一存在価値のないバクテリア以下のネット厨ってことさ」


「お前は感情込めて一筆書きする外人か!」


 隣にいた五軒邸がクスクスと笑いながら、


「みかどくんはどんなゲームするの~?」


「えっと、FPSだとグリーンベレーとか、VRMMORPGだとソードアーツ・オンラインとか……」


 そこでまた七花が、


「げ、お前グリーンベレーすんのか? だったらミーがオンラインでも鍛え直してやる。ビルの屋上で芋るしか能のないスナイパーもどきに仕方なく手解きをしてやろう。普段はキルレ「コンマ1以下」のやつと組む気すら起きんが仕方なーく付き合ってやる。仕方なくだぞ? ありがたく思え」


「あんたもネトゲやるんじゃねーか! てか俺を勝手にキルレ最低値の芋スナってきめつけんな。もうちょっとあるわ!」


「あら~、ソードアーツだったら私もやるわよ~」


 そこで七花が五軒邸を差し置き、まるで自分のことであるかのように自慢げに、


「ふひ、驚くな。ねえさまはあの世界のトップギルドマスターなのだ」


「え? マジっすか」


「マジよ~」


 あの中毒性の高い世界でその地位に君臨しているということは、紛れもなく攻略組トッププレイヤー


 むしろこの人こそネトゲ廃人なのではないのだろうか。


 とある電子機器メーカーが開発した「なーぶぎあ」という仮想空間への接続機器によって、完全バーチャルリアリティの世界が体験できるようになってから早二年。

 その時、同時発売されたのが、己の武器一本と技を繰り出す腕をたよりに各階のフロアボスを倒し、全百層からなる巨大浮遊城アーインクラッドの頂上を目指すというファンタジーゲーム、その名を――


 ソードアーツ・オンライン。


 紅髪を逆立てた女エルフのギルド長、レーコ。

 その名は、底辺プレイヤーである俺の耳にも届くくらいで、ネットでは彼女の話題でスレが何本も立つほどの、超の付く有名人である。

 ギルドの名前は、レッドエルフで、総勢100名からなるそのギルドは、コアなハードプレイヤーのみが門を叩くことが許され、1対1のプレイヤー同士が戦うバトルではほぼ負けなしで、常に上位ランキングを果たしており、一敗でも喫するならば即時破門を余儀なくされる厳しい戒律のある名門ギルド。最前線ではボス攻略に欠かせない存在として君臨している。


 システムアシストがあるとはいえ、リアルの世界での経験がそのままバーチャルリアリティの世界に反映する、そんな本当の意味である第二のリアルワールドと言っても過言でない世界で攻略組のトップギルドを走らせるなんて、この人は一体何者なんだろう。ひょっとして、誰かが所得したと噂されている唯一無二の片手用直剣ユニークスキル「二刀流」を持っているのはこの人ではないだろうか。


「無課金でギルドをそこまで成長させたのは、この黄猿島のどこを探してもねえさま以外他にないだろう。どーだ参ったか」


 そう、七花が言うように課金武器は数多くあれど、あの世界の公平なところは、技を繰り出す腕次第で、それにも劣らぬ力を発揮できるということである。

 つまるところ、確かな信頼をおけるのは自分の腕のみなのであった。


「フフ、でも最近は副隊長に任せっきりで。あ、今度対戦してみる~?」


「まさか礼子さんが、あの紅髪の不良エルフ少女レーコだったなんて……超絶無敵プレイヤーがこんな身近にいるなんて……狭い、狭すぎるにもほどがあるぞ世間! あ、お誘いの件は丁重にお断りさせて頂きます。俺の場合、ソロで細々とやってるのが生にあってるんで。そうだ、今最前線はたしか74層ですよね、」


「ぶわはははっ、ソロが生にあってるってお前の人生そのものだな」


「う、うるせー!」


 ピンポーン。


 肝心なときはけしてならないチャイムの音が厨房にまで聞こえてきた。

 俺は殊勝にも、みんなに「行ってきます」と言ってから、いの一番にカウンターに駆けつけ、


「お帰りなさいませ、ご主人様」


 挨拶も噛まず中々さまになってきたな、と内心思いながら改めて客を見る。


 全身黒尽くめの男性客だった。

 闇の隙間から顔を覗かせるような長い黒髪で、着馴染んだしわが幾重にも折れ重なった黒皮のコートを着ているのが特徴的であった。


 閉まる寸前の自動ドアの隙間から、身震いするような冷気が滑り込む。


 その男は、まるで酒に酔いつぶれるかのようにドカッとカウンターに肘を突き、こう言った。


「ア? 誰だテメえ……」


 腹底から冷えるような低い声。

 彼は長い髪をうっとおしそうにかき上げながら俺を睨み、


「相変わらずこの店の出迎えは気色ワリィな。ア? なに見てンだ、ケンカ売ってンのかヨ」


「い、いえ……そんな」


 ……知っている……


 初対面であるはずなのに直感的にそう思ってしまった。

 どこか見覚えのある飢えた獣のような目つきに、心までもが底冷えするような悪寒が体全体を駆け巡る。


 人違いかもしれないが、俺はこの男を知っている。だが、どこで見たのかは思い出せない。


 彼は、今にも殴りかからんばかりの迫力で俺を睨みつけてきたかと思うと、一転させて天井に向かって笑い、


「がはははは、冗談だよ冗談。オゥ、礼子はいねーのか?」


 ドアの向こうの暗闇には、ちいさな民家の明かりが寂しく浮かんでおり、国道を西に下るテールランプの群れが相対速度によってゆっくりと流れていく。


 彼の目はどこか空ろで、笑っているのにまったく温かみを感じることはなかった。


 春宵の闇は深く、以前にも増した冷たさを感じた。

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