ジギリの覚悟はできとんのやろうのう

「ほ、ほんと無理です」


 昔からそうだった。なにもしていないのに、なぜかこのような種の輩に目を付けられることが多かった。なぜ俺はこのような目に遭わされ続けなければならないのか。


 まて、昔からだと……!?


 苛立ちを募らせた大神が、カウンターに身を乗りだし、


「俺は昔っから嘘つきは大嫌ぇでヨ。どーしても嫌だ、つンなら……オメーの覚悟を見せろ」


 と威圧的に凄まれ、指輪で固められた手で首根っこを掴み取られる。

 あまりの苦しさに大神の手から逃れようともがくが、首を突き上げられているので思うように力が入らない。


「そ、そんな覚悟って、俺はなにも――」


「オトシマエをつけろと言ってンだヨッ」


 ――ジュッ。


 肉が焼け焦げる音が体内を通して聞こえた。


「熱ッ」


 咄嗟に振り払った左手の甲に鋭い痛みが走る。


 なにをされたのかは瞬時に理解できた。

 大神がけたたましい笑い声が、人を傷つけることで快楽を得るような笑いがカウンター前の廊下に響き渡る。

 細められた目に、タバコの火種の残り具合を確かめながらニヤリと笑う彼の姿が垣間見えた。


「や、やめろ!」


 それは、まるで天から落ちてくる隕石のように、くすんだオレンジ色の光と白煙を纏いながら、ゆっくりと目の前に迫ってきた。

 躊躇いなんてものは一切感じられない。

 彼はさらに快楽を得ようと、今度は俺の額に、その煙草を押し付けようとした。


 その時、


 濃紺色が目の前を一線した。


 一瞬、なにが起きたのか分からなかったが、いつの間にか苦しみから解放されており、押し付けられたと思っていた煙草が火花を散らしながら宙を舞っていた。


 咳き込みながら真横を見ると、


 五軒邸、が立っていた。


「ぐああああああああッ」


 今度は大神が苦悶の声を上げる番であった。

 彼の腕は折れ曲がるほどに捻じ曲げられ、表情は苦痛の色で埋め尽くされている。

 五軒邸は、低くドスの利いた声でこう言った。


「コラ大神ィ、ワシのボンナカに手えかけるちゅーことはジギリの覚悟はできとんのやろうのう」


 セーラー服から伸びた白い手は、大神の腕をもぎ取らんとばかりに握力が込められ、燃え盛るように逆立つ紅髪の下は、いつも閉じているばかりの目は見開かれており、不動明王のような怒りの形相を象らせている。先ほどまでの穏やかな表情がまるで嘘だったかのように変貌を遂げている。


 容貌ひとつ、台詞回しひとつにしても、あの五軒邸と同一人物とは到底思えなかった。

 七花の言葉を思い出す。


 ――姉さまを絶対に怒らせるな。


「は、離せ礼子……こんな小僧なんて、どうでもいいじゃねか」


 五軒邸はさらに力をこめ、


「オドレみたいなヨゴレはそこらじゅうにおるけどのう、ワシのカシラが認めた若い衆の代わりは、どこにもおらへんのじゃいッ!」


「ぐあああッ、……わかった、わかったから、もう勘弁してくれ」


 握力で握りつぶされる肉の音が、骨が軋む音が、今にも聞こえてきそうだった。


「フン、代貸し止まりの三下が金スジ相手に講釈たれるたあオドレも出世したもんやのう。そういや聞いとるでえ、ワシが作ったチーム勝手に復活させて仁義通さんとだいぶ派手にシマ荒らしとるらしいのう。オドレには力一本でのし上がる、ちゅー心意気はないんか? アア!」


「う、うるせえ、オメーが抜けたチームをあそこまでデカくしたのはこの俺だ……」


「アホウ、解散させたんじゃい」


「それに俺は、オメーの帰りをずっと待ってンだ、そんな言い草あんまりじゃねえか。あの頃の仲間はほとんどいねーが、帰ってきた暁にはオメーを副総長に据えるつもりでいるって今まで何度も言ってきたろ? ほんとなんだ。な、なンなら頭を譲ってやってもいい。それにオメーだって家の跡目を継ぐ前にハクがついてる方が、」


「それ以上言うな……」


「関西最大規模の五軒邸組五代目の、」


 その言葉を聞いた途端、彼女のこめかみに青筋が浮かび上がり、


「その話はせんでええ言うとるやろがいッ!」


 と叫びざま大神の襟首を掴み、力の限り顔面を殴り飛ばした。

 大神は背後の壁に激しくぶち当たり、鼻血を垂れ流しながらずるずると床にへたりこむ。


「今までおとなしゅう傍観しとったが、もうやめじゃい。今度、烈怒妖精レッドエルフの旗見かけたら問答無用でカチコんだるさかいのう。単コロ転がす耳障りなハエがのうなったらマッポも堅気もさぞ喜ぶやろう。あんじょう腹くくっとけや」


 大神は悔しそうに歯を軋ませながら、ヨロヨロと立ち上がって五軒邸を睨み、血液混じりの唾液を床に吐き捨て、


「吹っ切れたぜ。今まで下手に出てやったが、もうヤメだ。許さねェ……俺を怒らせるとどうなるか。ゼッテー後悔させてやる」


「相変わらずラッパ吹くんだけは得意みたいやのう。まあせいぜい吐いた唾飲まんようにな」


 大神は悔し紛れの悪態をついて外の闇に消える間際、背中越しに一瞬だけ振り返る。

 睨まれた。

 火傷の痕が、彼の捨て台詞を代弁するかのように疼いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る