伝説のシュヴァリエ

「ご、ごめ、ごめん……、ごめんちゃい、ふぎぎ」


 七花が訥々とか細い声でそう言った。

 あの七花が、あの傲岸不遜で高慢ちきで、なんぴとたりとも道を譲ることのなかったあの七花が、屈っしてしまうなんて思いもよらなかった。

 元同僚のありえない態度に驚愕した大神が大仰に目を見開く。ところが、


「許すわきゃねーだろ」


 と天井に向かって下品な笑い声をぶちまけた。


 実感する。

 結局俺は、大神の言うとおり、どうすることもできないのだ。


「まだ誰にも見せたことないのに……うあああああん」


 彼女を見捨てたくなかった。けど、この状況でどう足掻こうが徒労に終わってしまう。

 どうでもいいことに、俺を搦め取っているデブと痩せ型の対照的な二人が、七花の涙につられてもらい泣きしていた。先ほどの尾を引きずっているのだろうか。

 もう偽善者のレッテルを貼られた俺にやれることは何もない。それにこの人数、万が一こいつらの手から抜け出せたとしても、先の未来は見えている。七花を助け出すことなんて、俺には無理だ。


 俺の出る幕は、大神たちに捕らえられた時点で閉じられていたのだ。

 多分これが俺の限界。

 偽善者としての、俺の限界だ。


 五軒邸たちはどこに行ってしまったのだろう。

 実は俺たちがこの場所に足を踏み入れた時点で彼女たちはすでにここにいて、草葉の陰から心変わりをしていた俺を見て、興ざめして帰ってしまったのではないのだろうか。呆れて物も言えず帰ってしまった、それだと辻褄があう。そうだ、そういうことに違いない。


 待望の瞬間を待ちわび、手下どもはこれまで以上に声を上げた。不意に天窓を見上げると、空は深紫色に染められていた。


 ブラの中央にじわりと切れ目が入る。


「み、見ていいのは……ミーの、ミーのさまだけだ、うあああん」


 騎士ナイト

 ――僕の息子は、なにがあっても折れない剣を持つ、最強の騎士。

 親父は俺のことを、最強の騎士だと認めてくれた。


 その一言で、心に赤い点が生まれる。


 そうだ、さっき何が何でも諦めないと自分に誓ったばかりではないか。物語の主人公になると言ったのは嘘なのか? あの時の過ちを繰り返すつもりなのか? 不利な状況だからといって、今までと同じように、簡単に物事を諦めるつもりなのか?


 赤い点はやがて炎となり、徐々に勢いを増して燃えていく。


 ――君って案外しつこいんだね。ちょっと安心したよ。

 店長は俺の唯一の取り柄に気付いてくれた。イケメンでメガネで物知りで、少し頼りない感じはするけれど、前向きでしっかりとした情熱を持ち、いつも直向に仕事に励んでいた。そして、いつも俺たちのことを気にかけていて、色んなことを教えてくれた。そうだ、俺は何としてでも店長を奪還して、これからも色んなことを教えてもらうのだ。


 赤い炎は燃え盛り、心の中で渦を巻く。


 それは、俺の夢である、バラ色の人生を手に入れるためにどうしても必要不可欠なこと。けどそれは彼だけではない、ひと癖もふた癖ある個性豊かな仲間たちから、色んな知識を吸収して、ひとりでは乗り越えれられなかった壁を、みんなと一緒に乗り越える。


 親指、人差し指、そしてすべての指に力が戻っていく。


 俺は弱い。ちょっとしたことですぐ心が折れてしまう。

 けどそれでいい。

 何度ころぼうが、どんなに時間をかけてでも、立ち上がってやる。


 やり抜き通すことの意味。その言葉の答えが、この先の未来に見える気がした。


 拳を固く握り締める。


「たしゅ……ふぃぃ、たしゅけて……」


 七花は身も心もボロボロになりながら泣いていた。

 こんな俺のために戦い、信念を貫き、己の身を捨て去る覚悟で、彼女はここに残ることを望んだ。七花の泣いている姿が、笑っている姿が、怒ったり悲しんでいる姿が、すべて自分に向けられていたことに今さら気づく。そんな彼女を見捨てるなんて絶対にできない。


 考えろ。

 まず、大神英治の手を止めるために出来る事といえば、

 ――ッ!

 もらい泣きしているこいつらの手が少し緩んでいる。


 絶対的好機到来。


 七花七夏が俺を見る。そして――、



「助けて、みかどーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ」



 体内に蔓延はびこる神経がブチ切れる音をたしかに聞いた。手下共をなぎ倒したことを知ったのは、駆け出した直後のことであった。

 俺の名を叫ぶ、姫の元へと駆ける。


 ――決して折れない聖剣を心に宿す伝説の騎士のようになりたい。


 多分俺は、シグルドのような立派な騎士にはなれないだろう。A級騎士に憧れる自称主人公のB級騎士、がお似合いだ。

 シグルド、あんたには悪いが俺は違う道を行く。理想も困難もみんなで乗り越えて、俺は俺の物語の中だけの伝説の騎士になってみせる!


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ」


 大神英治が振り返る。

 だが、もう遅い。

 走る勢いを乗せた右腕を振りかぶり、




「俺は伝説の、シュヴァリエ姫騎士だあああああああああああッ!」




 怒号と共に雪崩れ込むように拳を叩きつける。

 大神英治は後ろに飛ばされ、頭を床に打って転がりながらステージサイドのトイレの扉に凄まじい音を立てて激突した。その衝撃によって破砕した諸々の破片を全身に浴び、ゆっくりと床に崩れ落ちる。


 俺は荒くなった息を肩で整え、立ち上がり、


「お前は地獄で育ったと言ったが、それは、お前に過去の消えない傷を負わされた俺も同じだ。そんな俺のことなんかこれっぽっちも知らねえクセに、テメエだけ悲惨な過去背負しょってるなんて思い上がんじゃねえ!」


 それだけを吐き捨て即刻行動に移す。時間が一秒でも惜しかった。大神英治が落としたバタフライナイフを拾い上げ、七花を吊るし上げていた販促のぼりを断ち切り、彼女を懐に丸め込むようにして床に伏せる。

 周りのやつらが呆気にとられていたのが幸いしてくれた。

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