十字傷をもった黄金色の人狼

「エージ、金はどうした?」


 金髪が苦しそうに答える。


「そのへんに散らばってるのがそうだ」


 大神は床に散乱している札の形に切り取られた新聞紙を見て「あのクソアマ」とぼやき、その上に吸いかけのタバコを落とした。

 一瞬にして燃え広がり灰となった一枚の札が、外から入り込んだ空気の流れによってホールの隅に追いやられる。

 大神は七花が落とした拳銃を見つけて拾い上げ、物珍しげに見たり構えたりしながら俺にこう言った。


「そういえば礼子はどうした?」


「み、店閉めてすぐに帰った」


 ある意味本当のような嘘であった。後で来るなんて絶対に言えない。しかしそれにしても、いくらなんでも遅すぎるのではないか。ひょっとして本当に事故にでもまきこまれたのだろうか。美夜と美雨は大丈夫だろうか。嘘から出たまことにならなければいいのだが。


「フーン、てことは夜中に忍び込んでカラオケデートでもしようって企んでたのか? エージと鉢合わせるなんて思いもしなかったろうな、カカカ。姫チャンにしてはやるじゃねーか、あとで礼子にドヤされても知らねえぞ」


 大神が馬鹿で助かる。

 とにかく五軒邸たちがくるまで少しでも時間を稼がなければならない。


 ふと、金髪が言った言葉を思い出す。

 ――こっちもメンドクセー兄貴を一匹待たせている。

 あの金髪、大神の弟だったのか。名はたしかエイジと言っていた。自分の手は汚さず弟を使った卑劣行為。どこまで腐りきった野郎なんだ。


「姫騎士を放せー!」


 七花の叫びが店内に響き渡る。

 大神はそれを大声で笑い飛ばし、


「彼氏がそんなに大事か、OKいいだろう。だがまずエージを放すほうが先だ」


「ダメだ、そっちが先に解放しろ! さもなくばコイツの手首をへし折る」


「なら交渉決裂だ」


 大神はそう言って拳銃を俺に向ける。


「撃つな!」


 七花の制止は空しく発砲音によって遮られた。


「痛……ッ」


 弾丸は頬をかすめただけだが、焼けるような痛さがじわりと伝わってきた。

 俺を搦め取っている手下のひとりが「猛さん、撃つならドチャクソ近くで頼んます」と大神に訴える。

 大神は彼に侘びを入れ、


「ようおチビちゃん、オメーは立場ってモンを理解したほうがいい。俺が一声かけりゃ、ここにいる血の気タップリの野郎共がこぞってお前に襲いかかる。コイツもろともスクラップにされてーなら話は別だが」


 悔しいが、今はこいつに従うべき時だ。


「先輩、コイツの言うとおりにしてやれ」


「……you got it」


 七花は渋々それを認め、関節をキメていた腕を解き、ゆっくりと立ち上がる。金髪は、解放された腕を回しながら立ち上がり、七花を一瞥してから、なぜか俺の方に向かって歩いてくる。やがて俺の前で止まり、乱れきった自慢の鶏冠をアフロコームで整えながら金髪はこう言った。


「さっきから気になってたンだが、オメー姫騎士って呼ばれてたよナ」


「ああ」


 下を向いたまま不機嫌そうに答える。


「下の名前は、たしか女みてーな名前だったよなあ、みかど」


「なっ……なんで俺の名を?」


 金髪は、驚愕で持ち上がった俺の顔を見て高らかに笑い飛ばし、


「やっぱそーか。久しぶりだな、オレのこと忘れたか?」


 英字か絵異次だか知らないが、こんなやつ会ったこともない。

 金髪は、俺の要領を得ない態度に、たらした前髪をかき上げ、


「これを見ても、思い出さねーか?」


 額に刻まれた十字傷。


 ――ドクンッ。


 何かと何かが繋がった感覚を覚える。


「そうそう、たしか昔やってたアニメの敵キャラにもこんな傷痕があって、名前もじられて周りのヤツラにこう呼ばれてたな……、てな」


 彼の言葉が電流となって俺の脳に衝撃を与えた。

 名前だけが出てこなかった夢のあいつ。言われてみれば、面影や纏っている雰囲気とか、当時のあいつと被っている。


 記憶の1ピースが、これで埋まった。


 フローズヴィトニルは、シグルドと共にオーディンの元で剣の修行に励む弟子の一人であった。彼らは同じ剣の道を競い合うライバルで親友同士であったが、シグルドの圧倒的な強さを妬んでいた彼は、人狼になる力を手に入れ、やがてシグルドに雌雄を決する戦いを挑む。彼は辛うじてシグルドを倒すことに成功するが、彼も無事では済まされなかった。


 額に致命的な傷を負ってしまうのだ。


「お、お前……まさか、そんなッ」


 金髪は底意地の悪い笑みを浮かべ、


「ようやく思い出したか。そーだ、昔オメーとよく遊んでやったあの大神オオガミ英治エイジヨ!」


 第二形態で人狼となり、最終形態で巨狼へと変体する、シグルドの友にして最強の敵。


 ――十字傷をもった黄金色の人狼、フェンリル。


 俺を散々もてあそび、過去の記憶をかき消した張本人。4年5組出席番号3番大神英治。


 またの名を、オオカミ。


 理性の糸がそこで断ち切られた。


「お、オオカミ……お前かあああああああッ!」


 全身の血が瞬間的に沸きあがる。搦め取られた両腕を振りほどくべく、とにかく暴れ狂った。しかし、手下の押さえ込みが強まり、どうにもならない。


 ――クソ、コロスッ、絶対に殺ス!


 大神英治は詰襟の内ポケットに櫛をしまい、


「引っ越して離れ離れになったと思いきや、こんな所で涙の再会か。フン、オメーとはよっぽどツエー縁で繋がってるみてーだナ」


「うるせえええッ!」


 あの時の恨みを今すぐここで晴らしたい。


 人に対して壁を作るようになってしまったのも、人の厚意を偽善だと決め付けるようになってしまったのも、全部こいつのせいだ。


 俺はこいつに、人生の歯車を、狂わされたのだ。


 大神英治が俺の胸倉をつかみ、額に無数の青筋を立てながら不気味に笑い、


「昔のオメーから想像もつかねーほどよく吠えるよーになってンのはケッコーだがヨ、あんま俺をナメてっと、命取りになンぞ、アアッ!」


 その瞬間、顔が右に振られ、コンセントをぶち抜かれたテレビ画面のように目の前が真っ暗になった。口の中に血の味が染み渡る。

 今までの俺ならここで泣きついて媚びているところだが、そんなことをしようとも思わなかった。興奮状態で痛みはあまり感じない。大神たちに袋にされた経験がここにも活かされているのだろうか。


「む……昔の俺はもう、ここにはいねえ。お前の方こそ俺をナメんじゃねえッ!」


 今できる最大限の自己主張と抵抗の意を込めた血液混じりの唾を彼の顔面に叩きつける。大神英治はそれを乱暴に拭い取ると、狂気に満たされた双眸で俺をめつけ、


「まったく何もかも規格外になりやがって。オモシレー、今度は一生消えねー思い出刻んでやンヨ。覚悟できてンだろうなッ!」


 大神英治が指を鳴らして腕を高く振り上げる。周りの奴らは後ろで笑いながら俺たちのやりとりを見ていた。

 後悔はない。

 俺の物語で俺は、こいつにどんなことをされようとも、一歩たりとも譲ってはならないのだ。


 そこで、

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