先輩や上司や上官で神で、戦友である前に

「やめろーッ!」


 叫び声を上げたのは七花だった。よく見ると、彼女はいつの間にか手下共に捕まっており、今にも金髪に飛び掛らんとばかりにもがいている。

 捕まった身では彼女に気を配る余裕もなかった。だからこそ余計に腹が立った。


「なに捕まってんだよ……あんた一人ならこっから逃げることもできただろ!」


 七花は俺の言葉など聞いてもいなかった。ただひたすらに大神英治を突き刺すように睨みつけ、鎖に繋がれた猛獣のごとく食って掛かろうとしていた。


「大神! こいつを放したら姫騎士を解放するって約束じゃなかったのかー!」


「残念だが、そういうことは聖者にでも言ってくれ、ここにいるのは皆、悪人だ」


 大神と共に周りのやつらが一斉に笑いはじめる。

 悔しかった。しかしそれよりも何も、足を引っ張ろうとする仲間の方が我慢ならなかった。


「逃げる時間なんていくらでもあったのに……なんでアンタはいつもそうなんだ! いつもいつも自分勝手に突っ走りやがって……俺の言うことを聞かねえからこうなるんだろッ!」


 自分にも腹が立った。

 なぜあの時、無理にでも止めなかったのか。


 だが七花は言う。


「お前が何を言おうとこれはミーの信念だ、何があろうとお前を見捨てん!」


「し、信念だあ……こんな時までカッコつけてんじゃねえぞバカヤロウッ! アンタが逃げて助けを呼んでくりゃいいだけのことなのに……ちょっと考えりゃすぐ分かることなのに……なんでこんな簡単なことが分からねえ!」


「ミーはお前の先輩であり上司であり上官であり神だ。口でクソたれる暇があったら、一緒に死んでくれと言え。それがお前の果たすべき義務だ」


 と、分からず屋はお前だと言わんばかりに俺を睨みつける。


「なんだよそれ、なんでそんな言葉がここで出んのか全っ然意味わかんねーよ! 戦友のためだとかこの期に及んでまだそんな奇麗事押し付けてくんのかよ! たかがバイト仲間ごときにてめえの身を粉にしてまで助ける価値なんてどこにもねえだろうがッ!」

 

 七花の目が驚愕に開かれる。


「だってそうじゃねえか……俺とアンタはたしかに仲間だ、それは認める。けど何の信頼も勝ち得てねえ単なる仲間にそこまでするなんてどう考えたっておかしいだろ! この前の罪滅ぼしとか思ってんならお生憎様だ、てめえはそれで満足か知らねえが逆に俺が迷惑なんだよ!」


 これまで引っかかっていたことを全部吐き出してやった。

 出会って間もないこの俺に色々手を施してくれたのはありがたかったと思う。仲間と思ってくれていたこと、後輩を大事にしてくれたこと、短い時間だけに思い出せば思い出すほどすごくありがたみを感じる。戦友のなんたるかだって理解できた。けど世の中は、自分の利益があってこそ他人の利益を考える余裕が生まれるというもの。戦友は仲間を見捨てないと謳われているけれど、それはあくまでもこのような前提条件が整っていればこそだと、俺は理解している。


 よって彼女がやろうとしていることは、自殺行為に他ならない。俺にとって、この上なく足手まといで、他の仲間たちにとっても大迷惑な行為だ。


 七花は俯き肩を震わせていた。やがて、意を決するかのように勢いよくおもてを上げた。彼女のつぶらな瞳には、大粒の涙が、溜まっていた。


「なぜって……お、お前は、そんなこともわかんないのか? そんなことも言わなきゃわかんないのか? お前はミーのなんだ? ミーはお前のなんなんだ? 答えろ……1.5秒以内に答えろッ!」


「さっきも言っただろバイト仲間って! それ以外に何が――」


「ちがーーうッ!」


 と言下に俺の答えを切り捨てる。

 追い立てられて益々意味が分からなくなった。


 七花は、ここまで言ってもまだ解ろうとしない俺を睨みつけ、


「お前はミーの……ミーはお前のッ……先輩や上司や上官で神で、ッ――



「ダチだろがダチ公ーッ!」



 と、


 友達……


 戦友をも超えられる絆。

 戦友をも超越する、ダイヤモンドの鎖で繋がれた、固い絆。

 

 七花の瞳から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。彼女はそれを拭えないまま俺を見つめ、


「ミーは……今までずっと孤独だった。外国から来たってだけで、日本語しゃべれないからって、みんなから距離を置かれて……アルヴのみんなだって最初はそーだったんだぞー!」


 帰国子女という言葉が脳裏をよぎる。

 一年前に親元を離れ、文化が180度違うこの国に、たったひとりでやってきた。


 異国の地での、ひとりぼっちの寂しい生活。

 仲間のいない、ひとりぼっちの淋しい生活。


 バイトが終わってからの彼女を想像した。バイトがない日の彼女の生活を想像した。彼女はみんなに受け入れられるために必死だったに違いない。寄り添えあえる仲間を手に入れるために必死になって、日本語を覚えたに違いない。

 俺は、七花七夏が七花七夏たりうる結果を観測しているにすぎなかった。ゾッとするという言葉の他に、この心情を譬える言葉を見つけることはできなかった。


 彼女の言葉が、胸の奥に深々と突き刺さる。


「今思えばヘンな出会いだったけど……お前がアルヴに来てから、ミーの中で少しずつ何かが変わっていった。姉さまだって「七夏ちゃん前より明るくなったね」って褒めてくれた。だからミーはその時思ったんだ、コイツとなら楽しく過ごせるかもって。そしたら、これまで寂しかったのがどーでもよくなって、毎日が楽しくなって! ……そしたら急に、お前が辞めるって言い出して……ふぎ、あの時ほんとはすごく悲しかった……」


 帰国子女と知ったのはついこの間。正直、その時はここまで深く感じることはなかった。その気になればいつでも会える距離にいる俺の親と、この国から1万キロ以上先の、容易く会えない距離にいる彼女の親。

 寂しさなんて俺の比ではないのは明らかなのに、理解してあげることさえしなかった。


 七花はずっと孤独な毎日に耐え続け、そのことを直隠しにしていたのだ。


 体のいい後輩おもちゃを手に入れるだけではなく、それに執着してきたのには意味があった。ただ構ってほしいだけではなく、心から信頼できる異国の友を、見つけたかったからだ。


 七花の顔は、涙も鼻水も拭けない状態でぐちゃぐちゃになっていた。彼女が嗚咽と引きつけを堪えようとするたびに、胸が締め付けられる。


「けど、お前は帰ってきた。ミーは嬉しかった。心からそー思えた。だからっ、ミーがどんな目に遭っても、どんなことをされても絶対にお前を離さん! お前が大神たちにやられたとき、復讐に行かなかったことを死ぬほど後悔した。もうあんなことは絶対にしない。見捨てるぐらいなら、お前を庇ってミーが死ぬ! だから、ミーにとってお前は単なるバイト仲間なんかじゃないっ。お前はミーにとって、だ! だからっ、にきまってるだろーッ!!」


 せ、せんぱい……


 遥か海を越えた異国の地で、ようやく見つけた強い繋がり。彼女にとって、友達という名の固い絆を、やっと手にすることができたのだ。裏で、厚かましい、ウザいと切り捨てていたこの俺に、友としての価値を見出していたのだ。何の役にも立たない俺を、単なる後輩でいることしかできないこの俺を、友として認めてくれていたのだ。


 涙が、涙が止まらなかった。


「先輩……助けるって、アンタも捕まってんじゃねえか」


 俺はこの店で今、ようやく掛け替えのない宝物を手に入れようとしている。


「俺、なんの役にも立たないけど、いいんスか?」


 七花は下を向いて泣きながら大きく頷いた。

 状況は依然としてピンチなのに、なんだか清々しい気持ちに包まれた。


「こんな時にバカだよあんた。……俺はアンタ以上に、バカだけどな」


「ひぐっ、お前がミーのこと、先輩先輩って……ふぎ、嬉しかったんだからな。うあああん」


 彼女は泣き続けた。

 それは嬉しさを伴ってのものなのか、悲しみに心を痛めたものなのか俺には分からなかった。この時ばかりは俺たち以外この場には誰もいなかった。子供のように泣き続ける彼女と、それを見つめる、俺だけがいた。


 そこで大神が、


「お……オイ、オメーラ! こんなくだらねー三文芝居に同情してンじゃねえ」


 よく見ると、七花を搦め取っている手下たちの他、約5名ほどが泣いていた。どいつもこいつも悪そうな顔しているのに、なんだか拍子抜ける感じがした。


「オウ、姫チャンよ、友情が深まったって勘違いしてるようだがな、ンなモンは一時いっときのまやかしだ。先の見えねえガキがしがちの、安っぽい同情みてーなモンよ」


 全ての元凶はこの男。

 そうだ、今は感傷に浸ってる場合ではない。しかし、俺の両腕を奪っている彼らをどうにかしないことには。


「オゥところで七花、オメーたしかさっき、どんなことされてもって言ったよな? だったらそれを俺たちに証明してもらおうじゃねーか」


 こいつ。


「俺のダチに何しようってンだゴラあッ!」


「まあまあ姫チャン、そうイキんなって。オメーラの小便くせえ友情ゴッコに免じて、これからオメシレーもん見せてやっからヨ、オメーも興奮するスペシャルなショータイムをな」


 大神はそう言って、弟の大神英治と数人の手下共を小間使い、俺たちを背の低いイベントステージへと引き上げる。そして、いつまでも泣き続けている無抵抗の七花の手を、販促のぼりを鎖状に繋ぎあわせたもので縛り、二階の廊下からその腕を吊るし上げた。

 その姿は、まるでゴルゴタの丘に磔にされたキリストのように見えた。

 大神が彼女に近づき、品定めでもするかのように舐め回しはじめる。


 怒りが頂点に達した。


「クッソオオオッ、俺のダチを放しやがれええッ!」


 どんなに暴れてもビクともしない彼らの腕は丸太のように太く見えた。

 何もできない自分がこんなにも歯痒く感じる。

 ――こんな風に強がってみせるのが、精一杯なのか。

 すると大神は、仰々しく両手を広げ、まるで聴衆を手玉取る宣教師のようにこう言った。


「今から、ストリップショーをはじめる」

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