これでおあいこだな

「間に合うかな? いや、とにかく行けば答えが出る!」


 吐息の白が掻き消えるほどのスピードで、夜明け前の深い闇を自転車で切り裂いていく。

 公園の電灯に照らされた夜桜の角を曲がり、赤の点滅信号となった車道を確認もせず突っ切り、夢咲橋のど真ん中を堂々と渡って、区画整理でただっ広くなった町道に出る。


 自動販売機をじっと見つめている徘徊老人。事故目撃者探しの白い看板と献花。不気味に聳え立つ南無阿弥陀仏と彫られた石碑。所々錆が浮いてる薄緑色の歩道橋。


 途中、直撃する冷気で流れる涙を何度も拭った。あまりの暑さにジャンパーを脱ぎたくなった。自転車をこんなにも加速的且つ集中的に漕ぐなんて、生まれてはじめてのことであった。疲れがピークに達しようとしたそのとき、ロードサイドの看板が目の前に見えた。


 着いた。


 人の気配をまったく感じさせない静寂と月明かりのない暗闇に支配されたアルヴヘイムの駐車場に入り、急ブレーキで自転車を止める。肩で息を整えながら、軒先の奧に自転車を止め直し、改めて店を見上げる。


 そこにあったのは、外観を除けば陽気な雰囲気を醸し出しているアルヴヘイムではなく、うごめく者は死者しかいない、ヘルヘイムの闇の城であった。


「アルヴにもこんな一面があったなんて……つーか、みんなどこだろ」


 恐る恐るガラス越しに玄関の中を覗いてみるが、当然のごとく真っ暗であり、人の気配すらしなかった。

 スマホを取り出して時刻を確認する。


 午前4時30分。


「調子こいて来たはいいけど、ひょっとしてもう終わって帰ったんじゃねえだろうな。とりあえず裏にでも回ってみるか」


 体とは裏腹に冷え切った手を吐息で温めながら、店の裏手に周ろうと体を反転させる。が、そこで尻に何かが突きつけられた。

 厚いジーンズの上から身覚えのある硬い感触。

 振り返る前に声が聞こえた。


「誰か」


 鼻にかかるようなヘンなアニメ声。誰かと言ったつもりだろうが、確実に「ダリか」としか聞こえなかった。

 確信する。

 後ろにいるのは間違いなく七花であり、突きつけられているのは間違いなく、彼女が愛用しているデザートイーグルだ。

 振り返ろうとすると、


 ジャカ。


 スライドを引き抜く音が店の壁に反響していつもより大きく聞こえた。対象を黙らせるのに十分な効果を期待できる音である。


「少しでも音をたてたら、お前の脳みそを自動ドアにぶちまける」


「……あの、そこ尻スけど」


 この瞬間、敵意が殺意に変わったのを感じた。俺のつっこみが相当気に食わなかったようだ。


「Who the fuck,are you doing. 2秒以内にこの質問に答えろ。さもなければ」


「あの、先輩! お、俺っす、ひひひ姫騎士ですよ! アンタのよく知ってる腐ったパイパイスキーですよ!」


「Holy jesus. 二日前に辞めたヤツのコードネームをなんでお前が……そうか、このミーを拐かそうって魂胆だな? ふひ、だがそーはいかん。どこでその情報を仕入れたのか知らんが、そこまでゆーならお前がパイパイスキーだという証拠を2.5秒以内にみせろ。さもなくばお前の腐ったケツ穴からはらわたをえぐり取ってゾンビ共に食わせる」


「証拠? そんなのどうやって……あ! アンタの名前は七花七夏、俺の一個上の先輩で、えー神で上官で、コードネームはチョチョゲリス二世、アメリカからたった一人でこの日本にやってきた帰国子女で、またの名をナの多き幼女! そしてパイパイスキーはアンタの、戦友」


 すると、尻をつついていた銃がピタリと止まり、


「お、お前まさか……姫騎士」


 やっと理解してくれたか、と胸をなでおろしながら振りかえ、


「……の、弟」


 派手にこけた。立ち上がりざま、


「なんでそうなるんだよ! もし弟がおったとしても登場するタイミング完璧にありえんし、マンガだったら最低でも2話目には――、」


 思いつめたように下を向いている彼女を見て言葉を失ってしまう。

 七花は悲しげに口を開き、


「お前は、ミーの言うことも聞かず店を出ていってしまった……」


 ――ッ!


 七花の言葉で我に返る。

 何もかもが突然すぎて本来の目的を忘れていた。俺は、彼女たちに謝りにきたのだ。

 恨まれるのは当然で、とても許されることではないけれど、たとえ罵りを受けようが、俺はなんとしてでも、彼女たちの縁にしがみつかなければならない。


 俺は決意を改めるように咳払い、


「あの先輩、この前はその、あんなこと言って」


 そこで七花が、俺の言葉を断ち切るうように顔を上げ、


「それでもミーはお前がこの店に戻ってくることを信じていた……これでおあいこだな」


 その言葉を聞き取った瞬間、これまでに抱いていた彼女のマイナス面が、一気に帳消しにされるほどの愛しさがこみ上げ、


「せ、せんぱい――、痛ッ」


 と、彼女に抱きつこうとしたところで、顔面に硬い物がぶち当たる。

 僅かな光の反射をも拾える程度に目が慣れはじめ、しだいに七花の輪郭と風貌が明らかになっていった。

 銀髪ツインテールはいつものままであるが、このクソ寒いのに、軍事色のTシャツに迷彩柄の戦闘ズボンと砂漠色のサバイバルブーツ、といった実に気合の入った姿であった。そして、


「イテテ……先輩、顔に何つけてんスか?」


「あーこれか? 夜間偵察用の暗視ゴーグルだ。大神のやつをとっ捕まえるためにオヤヂに用意させた代物だ」


 雰囲気がいつもの七花に戻っていることに安心を覚える。


「てことはやっぱりアイツはまだ、」


 そこで七花は、何かの気配を感じ取り、


「伏せろッ!」


 突然だったので何が起きたのかサッパリだったが、彼女の号令と同時に匍匐姿勢をとれたのは日頃の訓練の賜物であったといえよう。

 七花が声を殺し「コッチだ」と先導して匍匐前進を開始したので、それに倣って軒先の雑木林に身を隠した。

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