黝い暁

 車も電車も通らない無音の闇の中、地面を気だるげに擦り付ける足音がこちらに向かって近づいてくる。

 人影はひとつ。

 その男は、どこに何があるのかを、あらかじめ知っているかのような迷いのない足取りで、鍵の隠し場所をつきとめる。

 そして遠くの街明かりを拾って光る鍵を見つめ、


「あのヤロウの言う通りまだ隠し場所を変えてなかったみてえだな。ココのやつらは相当なマヌケか、あえてそうしなかったのか。もしそうなら、どこかに隠れている可能性がある」


 大神の再犯を促すための布石だった。鍵の隠し場所をあえて変えないという五軒邸の謀略に見事にハマってくれたのだ。


 と、そこまではよかったのだが、


「びゃあーくしょいッッ!」


 この男でもドン引きするようなクシャミの主は、もちろん七花であった。

 彼女は何を言うかと思いきや、俺を見て


『は、はにゃがでた……ち、ちゅちょーらい、ちっちゅ。ちっちゅティッシュぷりーず』


 そういえばこいつは常日頃からイライラさせられる女であった、と、先ほど帳消しにされたマイナス面が物の見事に蘇る。


『こんなクッソ寒いのにTシャツ一枚だからそうなるんだろうが!』


 彼女はおかまいなしに雑木林から大ぶりの葉っぱを一枚もぎ取り、鼻をかみはじめた。


『て今かむな! 大神にバレれたらどうするんだ、だからかむなて!』


 最早、大神に気づかれるのは当然のことであった。


予想的中ビンゴってか……オウ! 誰だそこにいンのは」


 正体不明の者でもまったく恐れないといった堂々とした口ぶりだった。

 大神が雑木林に向かってくる。


『先輩、大神が来ますよ』


 七花は暗視ゴーグルで彼の動きを監視しながら、


『姫騎士、ここはお前に任す』


『はあ? 何しれっと丸投げしてんねん。あんたがクシャミしたからこうなったんだろが!』


『こーゆーときは部下が人柱になると相場が決まっている』


『ダメだ、やっぱクズすぎるわこの先輩』


 そうこうしているうちに、とうとう手の届く範囲に大神が姿を現す。


「そこにいンだろ? 黙ってねえで出てこいヨ」


 もうダメだ、と、あきらめたその時、


「にゃあ~お」


 咄嗟の気転であった。

 七花が猫真似声を上げたのだ。


 それは聞くに堪えないほどの、猫のそれとはとても思えないほどのクオリティの低さであった。がしかし、彼女にしては上出来であった。むしろ褒めてやりたいとさえ思う。けれどそれは三文芝居よりも遥かに劣る、幼稚園児のお遊戯レベルの芸当であり、騙せるのはバカ親だけだと、あきらめて目を閉じ十字を切った。


 ところが、


「チッ、ネコか」


 音もなく地面に顔をぶつけてしまった。

 受け取り側の感性は果たして正常なのかと疑問に思う。が、通ったならばそれでよし。

 彼はあっさりと引き下がり、ツバを吐き捨て玄関へと向かった。

 七花の機転の賜物だった。


「あーヤバかった。先輩いつの間にそんな芸当身につけたんスか。ちょっと見直しましたよ」


 ところが七花は、いつものように得意げにはならず、おもむろに暗視ゴーグルを外し、見てはいけないモノを見てしまったような顔で震えながらこう言った。


「大神じゃなかった……」


「え……?」


 それを聞いた瞬間、まるで砂の城が崩れさるかのように血が引くのを覚える。

 言われてみれば、声質が少し違っていた気がする。


「え、まさか……そんなもう一回よく見て、」


「いや間違いない。なぜなら背も違うし髪形も違ってた。あれはどう見ても、大神じゃない」


 犯人は大神ではなかった、ということなのか。

 だとすれば、犯人は一体……


「とにかくいくぞ、プライベートパイパイスキー」


「え、ちょっと行くって他のみんなはどうしたんスか?」


 ずっと気になっていた。


「シッ、声がでかい! いーかよく聞けヒメ公、図らずもたったいま状況は開始された」


 七花はそう言って腕時計で時刻を確認し、


「姉さまたちは予期せぬトラブルに巻き込まれた可能性がある。よってミーたちだけで作戦を決行する」


「だったら来るまで待ちましょうよ」


「モタモタしてるうちにヤツが事を終えてトンズラかましたらどうする!」


 先ほどの男は、慣れた手付きでドアを開け、すばやく店の中へと姿を消した。

 七花はそれを確認して茂みを出る。


「先輩、マジで行くんスか?」


 彼女は両脇に収めていた拳銃を同時に抜き放ち、


「うろたえるなベイビー。とっとと終わらせて、帰りがけに一杯ひっかけよう……今度はお前のオゴリでな」


 七花はそう言って玄関へと走り、自動ドアの前で腰を落として、俺に手招きをしてきた。

 あまり気が進まなかったが、仕方なく彼女の後に続いた。ロープを手渡される。

 七花が迷いのない足取りで店内に滑り込むのを見て、続いて踏み出そうとしたが、急に誰かに呼び止められたような気がして足を止めた。


 後ろを振り返る。

 もちろんそこには、誰もいない。

 胸騒ぎがした。


 ――本当に、大丈夫なのか。


 深淵のように暗い闇色に、僅かばかりの青さを宿す不吉な空が、暁の予兆とはとても思えないほどの薄気味悪い色で、辺りの景色を染めはじめている。


 警告を知らせるように、心の中が青ざめていく。

 七花の急かす声が、後ろから聞こえた。

 ともづなを引かれる思いで、店内へと足を滑らせる。

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