我は復讐の女神となり、戦友を仇なす敵を打ち滅ぼさん

 手が疼く。

 大神を見てるだけで、焼かれた手が、昨日の事を思い出したかのようにジクジクと疼きだす。

 五軒邸の前にカラオケセットをそっと置き、後ろへと下がる。目線を合わせないよう下を向いているが、彼の目が俺に向けられているような気がしてならない。


「みかど、顔色が優れんようだが、体調でも崩したのか?」


 美夜が目尻を下げて様子を窺ってくる。咄嗟に左手を隠し、


「なんでもねえよ、気のせいだって」


 あの件は家族に知られたくなかった。遠くにいる親父とお袋に、余計な心配をかけてしまうことになるし、なにより根掘り葉掘り聞かれるのがうざったい。それに、話したところで何の解決にもならないのは自分が一番よく知っている。


 柄の悪い連中のどよめきが耳に入る。


「おおいいぜ、なんでもおごってやる。なぜなら今日の俺はすこぶる気分がいい!」


 その言葉に仲間たちが狂喜に沸いた。

 連中のひとりがカウンターのメニューをひったくり、あ、じゃあ俺は、ビュリュンヒルデが苦闘の末に倒した強イノシシは実は単なる豚でした丼やめて、あのオーディンも仰天、店長赤字覚悟のヴァルハラメガ盛りチャーハン(国産牛肉使用)! ってなんでこんなにメニューの御託がなげーんだよこの店! と言って周りを爆笑させる。律儀にもフルネームで注文したのはあんたがはじめてだよ、と心の中で思う。


「あら、このご時世に実に羽振りのよいことですわね~。そういえばそのスーツ、新調でもなさったのかしら~?」


 視線を少し上げると、五軒邸の言うとおり、彼が着ているのはいつものくたびれた黒皮のコート姿ではなく、縦縞の入った真新しい黒色のスーツであった。


 気をよくした大神は、調子に乗ってカウンターに身を乗り出し、


「ヘヘ、思いがけねえが入ったモンでヨ。ま、今日はたっぷりとゼニ落としていっからヨ、昨日のことはきれいさっぱり水に流すってことで、お、姫チャン昨日は悪かったな」


 大神が俺の存在に気づいて手を差し伸べると、その行動に反射的に動いた七花が、俺を庇うように立ちはだかり、彼に銃を突きつけ、


「If you hurt my war buddy I will kill you」


 大神は刺激しないようにゆっくりと手を下げ、


「お、おう七花、なにイカってんだヨ。オリャただ昨日の事を謝りたかっただけで、」


「huh,are you quitting on me? You cannot tell me that you've forgot about yesterday」


「何言ってるかわかンねえがホントだって、オメーラにも迷惑掛けちまった、悪かったヨ」


 幸い外傷は小さくて、治れば忘れることもできるけれど、心の傷はそう簡単に癒すことなんて出来ない。それを今、心で思っていても言葉に出せない俺の代わりに、七花が代弁してくれているのだ。

 だが、ありがたいと思う反面、余計なことはしないでほしいとも思う。これ以上こいつの気を逆撫でたくないし、関わりたくもない。それにいくら許せないとはいえ、紛いなりにも謝ってきたことは評価してもいいと思う。それが今後の保証になるのなら、終わらせるべきだと思う。


 周りの連中は大神に加勢することもなく、逆に、彼女の容姿や行動を見て、まるで自分の子供を応援するかのように、やってしまえと口々に言って盛り上がっている。


 七花は鋭い目つきで大神を睨みながら、


「これぞ我が銃。銃は数あれど我が物はこの世でたったひとつ。我は復讐の女神となり、戦友を仇なす敵を撃ち滅ぼさんことをこの銃に誓う。やがて常しえの平和が訪れるその日まで、かくあるべし。アーメン」


 静かに撃鉄を起こす。


「まて、もう終わったことじゃねえか! ちゃんと詫びも入れたし、」


「Nothing is over! Nothing. You just don't turn it off! ミーは、絶対にお前を――」


 そこで五軒邸が七花の銃を取り上げ「ここは我慢です」と小声で言って、気取られないよう前を向いた。七花は、英語の短いスラングで悪態をつぶやき、悔しさを滲ませる。


 思う。

 自分の身に被害が及んだわけでもないのに、なぜそこまで怒る必要があるのだろう。とてもではないが、俺にはその行動に対して相対的に応えることなんてできない。逆恨みされて怒りの矛先が自分に向けられることを恐れないのだろうか。

 war buddy.

 直訳すると戦友だが、俺たちの間柄を加味して訳すとバイト仲間となる。

 俺が認識しているバイト仲間とは、仕事上に存在するもので、業務遂行においての利害が一致するからこそ、協力したり助け合ったりするのだ。プライベートや仕事に直接関係のない事に関りをもたいほうが身のためだ、と巷のサラリーマンだってそれを推奨し、時に力説しているというのに、なぜ己の身を顧みず、他人のために、こんなことができるのか。


「そういえば明日、超大口の予約が入りましたのよ~」


 予約? 聞いてない、一体なんの話だろう。

 五軒邸に救われてホッとする大神が、その言葉に反応を示し、


「オオ……いい事じゃねーか。で、何人くれえ来るンだ?」


「百人ほどでしょうか~、私のご学友たちの女子会がここで開かれますの~」


 大神はスーツの内ポケットからタバコを取り出して火をつけ、


「俺がいた時でもそンなに入ったことねーぞ。売上げも相当なモンになンじゃねえのか?」


 ここからだと五軒邸の横顔しか見えない。が、その片側の目が光るのを俺は見逃さなかった。


「そうですわねぇ、軽く土曜の売上げの5倍ほどにはなるかと~」


「少なく見積もって20としてもその5倍といや……おいおいおいブっ飛ンでんじゃねーかヨ! へえ、そっかそっかなるほどなぁ。ヒヒヒ……そういえば今日、なんかこう、変わったことなかったか?」


 大神はそう言って、目線をまばらに滑らせる。五軒邸は相変わらずの仮面の笑顔で、


「店は何も変わることなく、いつもどおり営業中ですわよ~。ただ、店長がしばらくお休みになります」


「なッ、なんでだ?」


「骨休めに休暇をいただきたいとだけ聞いておりますわ。それがなにか?」


 大神は慌てて取り繕い、長い髪で表情を隠した。

 気づかないとでも思っているのだろうが、笑って舌なめずりしているのが垣間見えた。

 確信する。

 やはり犯人は、大神だ。


 大神は長い髪をサイドにかきわけ、


「あ、いや、なんでもねーヨ。あの野郎昔っから店に出ずっぱだったモンな、たまに休むことは大事だと思うぜ、うん、オメーラだっているしな。と、とにかくでけえ部屋を頼むわ、あとこいつらに好きなモン食わせてやってくれ」

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