第九章 黄金の朝焼け
我らの国は、我らの手によって取り戻す
天使の号令でアルヴヘイムが戦場と化した。
少なくとも俺の目には、そう見えていた。
弾丸が連続で放たれる小気味よい音が聞こえる。薬莢が撒き散らされる軽い金属音も聞こえる。硝煙が立ち込める独特の匂いに混じり、生臭い血の臭いまでしている。
無慈悲な銃弾の雨が戦場に降り注ぐなか、完全に虚を突かれた敵兵たちは、どこからともなく飛んでくる弾丸を避けようとサンバを踊りだし、色気のないその踊りが跳弾の火花によって彩られる。
まるでVRMMOの世界にいるような感覚であった。
そんな仮想によって作られた戦場のような光景が、目の前に広がっていた。
逃げ遅れ背中を打ち抜かれた者は、自らの血で洗われた地面と口づけを交わし、頭部を打ち抜かれた者は、今際の際の言葉も残せぬまま天に召されることとなった。倒れて身動きすらできないのに、これでもかと言わんばかりに撃ち込まれ続ける者もいる。
次から次へと、惨たらしい屍の山が築かれていく。
とはいえ、これが現実ではないことは理解している。多分、殴られすぎと、突飛な展開に脳が興奮状態となり、一種の錯覚を起こしているのだろう。“なーぶぎあ”の説明書に、リンクし過ぎると現実世界に幻覚が見えることがあるとの、注意書きが記されてあったことを思い出す。多少なりとも、それの影響が出ているのかもしれない。最近SAOにリンクしてなかったのに、なんでだろう。
ほとんどの銃撃が上からであった。つまり、二階の廊下から射撃しているということになる。
ここからではよく分からないが、濃緑色のフリッツヘルメットと戦闘服に身を包んだ戦闘要員が数名いるのが見える。様々な形の銃を構え、逃げ惑う敵兵たちを撃ち続けている。この一斉射撃を命じた女天使といえば、先ほどから何もせず、ただ静かに腕を組み、事の成り行きを見守っている。
とそこへ、最後の一人となった雑兵が、捨て身覚悟乾坤一擲の一撃を与えんとばかりに、俺の首元に銃剣を突きつける。
――ク、いつの間に。
もう抵抗する力など残ってなかった。
諦めるように目をつむる。覚悟を決めた。
そこで、
タン――ッ。
一際大きい乾いた音が、店内に響き渡る。
最後に手柄を立てようと俺を狙ったその敵の兵士は、呻き声を上げながら銃剣を落とし、そして、全身の糸を断ち切られた人形のように、どさりと音を立て、床に崩れ落ちる。
狙い澄ました銃弾が、彼を貫いたのだ。
彼女は、そこでようやく腕を上げ、
「撃ち方やめーッ!」
その号令に、方々で聞こえていた銃声がピタリと鳴りを潜める。終わりの見えなかった戦闘に終止符が打たれたのだ。そして、この地を一瞬で血の色に染め上げた残酷な天使が、ゆっくりとこちらに向かって、歩き出す。
――カコンッ。
戦場には絶対不向きなエナメル加工のフレンチヒール。
戦火にぶち撒かれた雑兵どもの血だまりの上を歩き、踵を鳴らしながらこちらに近づいてくる。
そして、俺たちの元にたどり着き、腰の軍刀に手を当て、立ち尽くす。
俺は、戦場に舞い降りたその女天使を一目拝もうと面を上げた。
スポットライトの逆光で顔だけが判然としなかった。
――本当に、アンタなのか……?
十中八九そうであることは間違いない、が、いまだ信じることができなかった。
目の前にいるこの女性が、姉であるということを。
じっと俺を見続けているこの女性が、姫騎士美夜で、あるということを。
すると彼女は、マントを振り払ってその場に肩膝をつき、俺の頬に手を当て短くこう言った。
「みかど」
姉だった。
もう何年も見ていなかった気がした。
心が溶かされていくのが分かる。
世界中で最も気の置けない存在の光臨に、心の底から安堵した。
「あ、あねき……」
美夜が、ボロボロになった俺と無残な下着姿となった七花を順に見て、顔を歪め、小さな呻き声をあげる。そして、再び穏やかな表情に戻り、
「我らの名の由来を示したのだな、みかど」
美夜のたおやかな手が、血でにじむ瘤の出来た頭を、赤く腫れあがっているであろう頬を、切れてささくれ立っているであろう俺の唇を、慈しむようにそっと触れていく。
最早挙動一つとろうにも苦痛で顔が歪んでしまう。悲鳴を上げそうになるのをグッとこらえながら、体を起こし、
「姉貴、おれ……とにかく夢中で、その……俺、ちゃんとやれたのかな?」
認めてもらいたかった。
やられっぱなしで七花を守ることしかできなかったけれど、困難から逃げださずに、最後までやりきったことを、最愛の姉に認めてもらいたかった。
美夜の切れ長の瞳から、一筋の涙が流れ落ちた。姉の涙を見るのは、これがはじめてのことであった。
「この傷は、耐え難きを耐へ忍び難きを忍んだ何よりの証。弓尽き刀折れ、それでもなお、敵の槍衾に立ち続けたそなたの武勲は、小官の心に常しえの伝説となって語り継がれるであろう。
俺のしたことは間違いではなかった。
波打つように胸が震えだす。
「あ、姉貴、おれ、ほんとは、怖かった……何度も、くじけそうになった……でもおれ、逃げなかったよ、あのこ、みたっに、にげな、かっ、よ、うああああ」
姉の胸に飛びつき、大声で泣いた。
美夜はやさしく俺を抱きしめながら声を殺して泣いている。
「あの神社の一件から、二度とみかどを虎口に立たさぬよう自分を戒めたつもりであった……だが、その約束を果たすことはできなかった。大神が大勢の走狗どもを引き連れ、この店に入っていくのを目撃した後、直ちに非常呼集をかけたのだが、軍部召集が予想以上に手間取り、後手に回ってしまった。みかどたちをこのような目に遭わせたのは全て私の責任だ。私は最低の姉だ、そなたの姉として、失格だ」
俺はすべてを思い出していた。
美夜が軍人になると言いだしたはあの出来事の翌日のことであった。
あの頃は、なぜそのような選択をするのか分からなかったが、今となっては分かる。自分の進むべき道を捨て、ただ俺だけを守るために、そんな選択をしたのだ。
馬鹿だと思う。
いや、違う。
美夜は、俺のイジメを切っ掛けにしたにすぎない。自分の意思で、自分が歩むべき道を決めたのだ。それを証拠に姉の夢は、部活動という形で表れ、この地域一帯の治安維持に貢献している。俺ごときのために選んだ夢ならば、そこまでは大きくはならない。彼女は自分の進むべき道を捨てたのではなく、俺を切っ掛けにして、道の幅を大きく広げたのだ。
馬鹿なのは俺のほうだ。そんな姉に対して、今までただの一度も報いることができなかった。自分のことだけしか考えてこなかったこの俺こそが大馬鹿野郎なのだ。
美夜は今、俺のせいで深く落ち込んでいる。これまで俺には出来なかったことがある。しかし、困難を乗り越えた今なら、出来る気がする。
「姉貴は、これまで悪かったことなんて一度もない。だから、自分を最低だとか言うな」
美夜は、どんなときも俺の側にいてくれた。これまでずっと俺を守り続けてくれた。俺が逃げ出したり、弱音を吐き出したときでも、ただの一度も呆れず、彼女はずっと俺の味方でいてくれた。
だから今度は俺が、彼女を支えてやる。
姉に勇気を、与えてやる。
「俺にとって姉貴は、最強で美人で強くて賢くて何でもできる、この世で一番頼りになる最高の姉だ」
美夜が目を見開いて俺を見ている。
両目から流れ落ちる涙を拭ってやりながら、
「だから、弱音なんか吐いちゃだめだ。俺はもう大丈夫、今までこんな冴えない弟を支えてくれてありがとな。でもこれからは、俺が姉貴の背中を支える番だ。だからいつもみたいにデンと構えていてくれ、アンタは俺の自慢の……ね、姉ちゃんなんだから」
言って恥ずかしくなって下を向く。
そこに美夜が顔を寄せ、軽い口づけを頬に残し、耳元でこう囁く。
「ありがとう、みかど」
美夜は憲兵マントを羽ばたかせながら立ち上がり、
「次は、ねえちゃんの番だな」
「……は? も、もう気が済んだんじゃねえのか? さっさと警察に電話して、リンプー買って家に、」
「見よみかど、この、浮世に未練を残す自縛霊のごとき彼奴らのしぶとさを」
そう言われて周囲をぐるりと見渡す。
彼らの何人かは苦しそうなうめき声を上げながら、必死に起き上がろうとしていた。
死んでいないのはもちろんわかっていた。だが、あんな猛攻撃を食らってここまで早く意識を取り戻すなんて思ってもみなかった。
先ほど俺を搦め取っていたデブの方が、赤いピコピコハンマーを持って近くで倒れている。
目が合った。
彼は、一瞬ギクリとして目をつむり、死んだふりに戻った。
「は、早く警察呼ぼう。こうしてる間にコイツら全員目を覚ましたら、」
「ならぬ、この私が直に裁きを下す」
「は? 何バカなこと言ってんだ! 今度は、さっきみてーに
美夜が背中越しに振り返り、堂々たる笑みを浮かべ、
「我らの国は、我らの手によって取り戻す。案ずるなみかど、なぜなら、そなたの支えある限り、今の私は――
スポットライトの光が、彼女に後光を与えていた。
「無敵だ」
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