第七章 聖剣グラム

もっともらしい理屈は時として、割り切れないことだってある

「みかど、いるのか?」


 真っ暗な部屋のベットの上で、布団に包まって丸くなっていた。

 美夜のノックに布団からもそもそと顔を出す。

 目覚まし時計を手探りで取り、ボタンを押した。緑色の時刻が表示される。

 土曜日午後4時5分。

 ボリボリと頭をかく。 

 しつこい。昨日、俺のあとに家に帰ってきてからずっとこんな調子だ。とにかく今は誰とも話をしたくない。あんな啖呵を切ってしまったのだ、今さらどの面下げて会えばいいのかもわからない。


「みかど」


「ッせえな、頼むからほっといてくれよ」


 俺があんな目に遭わされたのに、美夜は仕返えしすらしてくれなかった。昔の姉ならいの一番に駆けつけてくれたはずなのに。


 ――何かあったらすぐ私のところへ来るんだぞ、いいな、みかど?


 その昔、イジメられて帰ってきた俺に、美夜はそう言ってやさしく頭をなぜてくれた。

 今思えば、すごく頼りになる姉で、その言葉どおり事あるごとに!姉に頼ってきたりもしたが、結局その場しのぎで終わってしまった。この界隈であんなにも幅をきかせていた姉でも、イジメを根絶することはできなかった。


 もちろん声をかけてくれたことには感謝している。だが、俺が求めていたのはまさにそこであった。中途半端に首を突っ込まれるのは諸刃の剣で、逆に恨みを買ってしまうことになる。その証拠に、あいつが転校するまでの間、たっぷりと可愛がられてしまった。


「ようやく返事を返してくれたな。とにかくよかった、ちゃんとそこにいると知って安心した。その……私たちはこれから店の奉公に出向く。何、案ずるな。みかどが帰ってくるまでの間、首尾よく代わりを務めるつもりだ。そうだ、腹も空いてるだろうから、ここに食事を置いておく。後で食べるといい」


 辞めると言ったのに、なんで戻ることを前提に話を進めるのか。

 拳に力がこもる。

 俺より、店長のことが大事なやつに心配なんかされたくないと思う。俺を見捨て、店長を取ったやつの言葉なんか信用してたまるか。


 ドアの向こうから美雨の泣き声が聞こえた。


「おにいちゃんごめんねえ、守ってあげりゅと約束したのに、悪いヤツはボクが懲らしめてあげりゅと約束したのに、これじゃおにいちゃんの性奴隷失格だようあああああん」


 そういえば、俺がイジメられていたとき、美雨は幼いながらもそんなことを言ってきたことがあった。あの頃も、そして今回も、結局こいつはその約束を果たすことはできなかった。昔は藁をもすがる気持ちで妹にすがったりもしたけれど、あの頃から成長していないとはいえ、今となってはさすがに妹に頼るのは男として恥ずかしい気がする。だから妹に関してはどうこう言うつもりはないが、約束は約束だ。結局こいつは俺を守れなかった。偽善の見本市的行動ともいえよう。それに性奴隷とかふざけている。嘘泣き丸出しではないか。

 小声で呟く。


 今回の事でハッキリしたんだ。もうお前ら姉妹の偽善にはウンザリなんだよ。


「みかど、では行ってくる。あと願わくば、大佐からの電話だけでも出てやってくれまいか? 望郷の思いに駆られながらも我らの為、帝都におわすのだ。人恋しさはひとしお。我らの比ではであるまい」


 やがて二人のやり取りが遠ざかり、玄関が閉ざされる音が聞こえた。


「やっと行ったか……しかし腹減ったな」


 考えてみれば昨日から何も食べていない。

 顔を合わせたくなかったので、美夜たちの気配が消えた時を見計らってトイレに行って戻るだけで結局何も飲まず食わず仕舞いだ。

 今のうちにトイレに行ってご飯でも食べよう、と、扉に手を掛ける。


 ヴィー、ヴィー。


 スマホの光が、闇の一部を切り取るように白じんでいる。

 手に取ると、着信の主は七花であった。

 昨日からずっとこんな調子でスマホが鳴りっぱなしである。もちろん出ていない。ラインも既読スルーだ。20秒ほど鳴り続けてようやく止まる。

 改めて着信履歴を見てみる。

 親父の件数は群を抜いていたが、店長や染屋、そして五軒邸からもかかっていていた。


 ――今動けば、計画は台無しです。


 聡明なあの人のことだ。彼女は彼女なりの考えがあって決断を下したのは分かる、けれど、もっともらしい理屈は時として、割り切れないことだってある。それは被害者になってみないと分からない理屈で、彼女たちにはけして理解することのできない気持ちだ。


 続いて染屋からラインが届き、画面にテロップが表示される。

 元気があればなんでもできるだよパイパイスキーッ!


 埒外の人間だからこそ言える、簡単でもっとも偽善らしい言葉に虫唾が走る。

 ベットの上にスマホを投げ捨てる。


「所詮、みんな赤の他人だ」


 案外、五軒邸の心の中はもっと腹黒で、俺を切り捨ててでも店のことを優先させると考えているのではないか。いや、実際そうだからあんな決断を下したのだ。彼女たちにとってアルヴヘイムとは、愛すべき店長のいる唯一無二の城で、俺さえ捨て置けば、きっての計画に実を結ばせることができる。


 絶対そうに違いない。


 七花にしてもそう、いつも俺だけに理不尽なことを押し付けて、裏では左団扇で俺を動かしてはほくそ笑み、どうやって楽をするかしか考えていないに決まっている。後輩をイジメてそんなに面白いのか。

 店長もなんだかんだ言って奇麗事ばかりだった。ならず者にも笑顔で接しろなんて誰ができるというのか。


 もう、ため息しか出ない。

 とにかく、もう、誰も信じたくない。


 鬱屈した空気を払いのけるかのごとくカーテンを開け放つ。目蓋の奥に差し込んできた情報量に目が眩んだ。

 青々とした春の空。二階から見下ろす町並みはそう遠くまでは眺めることはできない。陽が落ちるまでにはまだ時間があった。


「さて、これからどうすっか」


 テレビ。今他人の笑顔を見ると染屋を思い出すからやめておこう。

 ゲーム。こんな時にこそうってつけのFPSだが、あれをやると七花の顔がチラついてしまうからダメ。SAOはもっとダメだ。五軒邸率いるギルドの連中にリンクしたことがバレたらすぐに連絡がいくはずだから。

 そういえば、店長は家でなにをしているのだろう。


 思い出す。


「そうだ、トイレに行くことを忘れてた」

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