ただ、この俺がどうしても我慢ならないのは……仲間とか戦友だとか、そういうヤツに限って、でけえ口を叩きやがるってことだ!

「守ってくれるって言ったのに……ッ」


 歯が折れてしまうほど噛みしめた


 学校でイジメられたとき、クラスメイトたちに助けを求めても素知らぬ顔をされ続けた。夢のあいつが転校するまで、それが続いた。勝手なもので、それまでイジメてきたやつらは、あいつがいなくなったと同時に俺に対する興味も失せたらしく、イジメられることもなくなった。それよりも始末が悪いのが、蚊帳の外で傍観をきめ、時に偽善的な言葉をかけてきたやつらの存在だった。俺がイジメられていたときは何もしてくれなかったくせに、それがなくなれば寄ってきて、己を擁護するような意味合いの言葉を並べ立ててきた。「実は俺も昔あいつにイジメられたことあったんだ、みんなで返り討ちにしようって計画を立てたけど、あいつ転校しちゃったしさ、でもよかったな。あ、そうそう今度うちでゲームしようぜ」虫唾が走った。どうしようもなく腹が立った。


 そのとき悟ったのだ。世の中は所詮、偽善の上に成り立っているということを。


「……全部、嘘かよッ」


 だから俺は、この世の仕組みを理解して生きていくために、自分の記憶を改ざんしなければならなかった。イジメなんかに遭っていなかったと、毎日毎日念仏のように頭の中で唱え続けた。そしたらいつの間にか悪い記憶は上書きされて、都合のいい記憶だけが思い出として残されていた。とどのつまり、彼女たちの態度はあの時のクラスメイトたちの態度そのもの。少なくとも俺にはそうにしか見えない。


 タイをトイレに落としていたことに今さら気づき、悪態をつく。ベストのボタンを外して脱ぎ無造作に放り捨てる。


「もう無理だ。……ハッ、なんでこんなになるまで我慢してたんだ俺は」


「姫騎士、違う、聞いてくれ!」


「は? なにが違うってんだよ。ようするに、アンタらにとって義理のほうが重てえってことだろ? 最近まで赤の他人だった俺に対する情なんて薄っぺらいもんなぁ、秤にかけるまでもねえってか、それでいいんじゃねえの? 後はアンタたちでお好きにやってくれってことさ」


 そう言ったあと、七花を睨みつけ、


「ただ、この俺がどうしても我慢ならないのは……仲間とか戦友だとか、そういうヤツに限って、でけえ口を叩きやがるってことだ!」


 七花は途端に血相を変え、


「ち、違うッ、お前は勘違いをしている! ミーだって本当はそうしたい、けど今それをやれば結果的に犯行を認めさせれないばかりか、」


「ごちゃごちゃウッセーんだよッ、もう実のねえ話で踊らされんのはウンザリだ!」


「た、頼むから最後まで話を聞いてくれ!」


「ウルセー偽善女ッ!」


 七花の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。

 他のみんなは下を見て黙り込んだままであった。

 こんなときに限って切ないBGMが流れている。


「先輩、ここはあんたの言う通り、クソ地獄だったてことさ。礼子さん……」


 五軒邸がようやく面を上げる。

 本来なら筋を通すべき相手は雇い主である白銀店長。しかし、権三郎はこの店を俺たちの手に委ねている。つまり、今この店で実権を握るのは彼女以外に他ならない。

 五軒邸に筋を通すことは、店長に筋を通すことと同じ意味をもつ。



「俺、辞めます」



 レールの継ぎ目に車輪が噛合う硬い音が、走る俺の背中を追い越していった。

 夢で見たあの時と同じように、すべてを置き去りにしておもいっきり国道沿いの歩道を西へ駆け抜ける。

 やがて疲れて足が止まり、荒い呼吸で息を整えながら後ろを振り返る。国道沿いに立っている店の看板は、ここからではもう小さな光の点にしか見えない。遮断機の音が暗闇に鳴り響き、東に向かって流れる電車に向かってやけくそに叫んだ。

 そして歩く。

 乏しい街灯の下を、西へ歩いていく。

 国道を行き交うヘッドライトと赤いテールランプの群れ。ALL百円のポップが貼られたマイナー飲料のみで構成された自動販売機。ポケットサイズの時刻表を搭載した古ぼけたバス停と青山産婦人科と書かれた野ざらしの青いベンチ。入居者募集中の垂れ幕が下がった十階建てくらいの新築マンション。歴史を感じさせる木造のこじんまりとした焼肉屋とホーロー看板がベタベタと貼られたラーメン屋の匂いに、空腹だった胃が刺激される。店じまいをしている酒屋の主人と目が合い睨まれた。


 ついに言ってやった、という痛快的な感情が、今さらながら意識の表層に上りつめる。もう、誰も信じられない。もう、誰かを信じようとも思わない。


 これからはじまろうとしていた物語は、たった四日間であっさりと自らの手で幕を閉じることとなった。後悔があるとすれば、あの後味の悪い引き際によってもたらされた、新しい物語を紡ぐことさえも失われてしまったことである。

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