お前に接客の真髄を叩きこんでやる!
ちなみにカウンターの中は、大体八畳程のスペースで、玄関側とホール側に出る扉があり、厨房にも直結しているといった構造であった。カラオケに必要なマイクとリモコンは、受付背面の棚に綺麗に整頓されており、受付の棚にはレジ、そして料金システムと客に訴求する販促物が随所に貼られている。カウンター越しの外観だけじゃ味わえないノスタルジーな雰囲気。所々にある細かい傷たちが、この店と共に歩んできた幾星霜分の物語をつめ、深みある歴史を醸し出している。
先ほど受けた罵声と銃撃の痛みが落ち着き、カウンター内を見回す余裕が回復したところで、七花が空き箱の上に乗って例のへんなアニメ声でこう言ってきた。
「ではさっそく、地球上で最下等の生命体であるお前の訓練を開始する」
クッ、チビが図に乗りやがって。
「今すぐ四つん這いになれ!」
「……は?」
言ってる意味がまったく理解できなかった。思わず手を上げ、
「さ、サー!」
「Sir, what? Were you about to call me an asshole?」
「な、なんで怒る。あ、そっか、あの、質問があります、サー」
七花は面倒くさそうに舌打ち、
「try me。前後にsirを忘れるな」
「チビ、うああぃや……サー、それは接客に関係あるんですか? サー」
すると今度は地団駄を踏んで怒り狂い、
「kick your bitchass! 日本の伝統たるおもてなしの真髄をお前の腐ったファッキンボディに叩っ込んでやるのだ。つべこべぬかすとセイウチのケツにド頭突っ込んで窒息死させるぞ」
この女に教わること自体いささか矛盾を感じるがここは我慢だ。あえて従ってやるとしよう。今に見てろ、お前からその真髄とやらを全部盗んでやる。
示された通りの体勢をとり、ドヤ顔を七花に向ける。
「good. じゃー次は両手を床についたまま両足を後ろに伸ばせ」
言われた通りにしてみるがこれは……
「二度は言わんからよく聞けアースホー。腕を伏せるように曲げて「お帰りなさいませ」、腕を立てて「ご主人様」だ。you got it ?」
腕立て伏せであった。それもヘンな挨拶付きの。
店長はさっきから見守るだけで何も言わないが、これは本当にこの店の教育方針なのだろうか。一体どうなっているのだこの店は。
「じゃーはじめるぞ。ミーに続け、one!」
「お帰りなさませ、ご主人さまー」
貧弱そうな俺の言葉にキレた七花が、
「Bullshit! I can't hear you! I'm sorry Can you say that again? one!」
言葉の意味は理解できないが、どうやら大声を出せと言っているらしい。
「お帰りなさいませッ、ご主人様ッ!」
何度もやり直しをくらい、なんとか10回目を迎えた。
腕立て伏せなんていつぶりだったか。小さいころ親父に「騎士たるもの日頃の鍛錬怠るべからず」と毎日のように野山を駆けずり回されこんなこともさせられた。あの頃は本気で『伝説の騎士シグルド』のようになれると信じて無我夢中でやったものだが、アニメの放送終了と共に、そんなモノになれないと分かりブチギレて止めたのを思い出す。
「Come on BABY! Don't give up! Keep your chin up! ten!」
「お帰りなさいませっ……」
七花がメガホンを向け、挫けそうになった俺の心にはっぱをかける。
「Bullshit! I still can't hear you! Sound offlike you got a pair! teeennn!!」
「お、お帰りなさいませッッ!」
全部罵倒だが、ありがたいことにこの時ばかりは自分に負けてはならぬという闘志が湧いてくる。負けてなるものか。
そして遂に腕立て伏せを20回を達成し、そのまま床にへたり込む。
「すぐにヘコたれると思ったが中々やるじゃないかパイパイスキー。ちょっとだけ見直したぞ。だがまだ安心するな。お前のあーいえばこーゆー性格を叩き直すまでミーの訓練は続く。そのかわりミーの訓練に生き残れたら一人前の兵士として認めてやろう。戦争に祈りを捧げる死の司祭となるのだぶわははは!」
な、なりたくねえー。
「I will P.T. you all until you fucking die! I'll P.T. you until your assholes are sucking buttermilk! That's enough! Get on your feet!」
理解しがたい接客訓練開始から、腕立ての他に号令や歩き方、そして匍匐前進など色々やらされることになった。驚いたことに、理不尽にも思えるがそれらの訓練にはひとつひとつ意味があり、接客を絡めた実に意味のあるものであった。
それから約二時間が経過。実地訓練と称し、今はカウンターの前に立っている。
現在客は昨日に同じくゼロ。昼間に何組か入っていた客も全て出払ってしまった。つい先ほど出ていた客の中にいたおばちゃん連中に「あら新人さん? 私の好みで美味しそうだわ」と、アラファーを余裕越えした熟れ過ぎ一歩手前のシワシワの果実たちからただならぬ秋波を送られた。そして帰りがけに「これから毎日通うわ」と吐き気をもよおす言葉と化粧品の濃い匂いを残し姦しく店を後にした。
もう来んでいいぞと思っていたら七花が、
「両生動物のクソをかき集めた値打ちしかない分際でやるじゃないかプライベートパイスキー」
プライベートとは二等兵の意味である。罵倒にもだいぶ慣れてきた自分がいる。
「あー先輩、いい加減そのパイパイスキーってのやめてもらえませんかね」
「先輩か……ふひ、悪くない」
七花は悪巧みするようにこそこそと笑い、
「よし! 今日からミーはお前の先輩だ!」
やはりこいつはバカだと思う。俺以上に。
オモチャを与えられた幼女のような表情で俺を褒めたおした後、打って変わった表情で大仰に人差し指を突き立て、
「何もせずして客を集められる。これ……、接客の極意なーり!」
そしてなぜかまた空き箱の上に乗ってわざわざ俺を見下せるように位置どり、
「接客ってのは人間性が滲み出るものなんだ。気分がグッドでもバッドでも、それらは接客の場で色んなカタチで具現化される。お前がやってのけたことは、ただ腐っりきったゾンビ面を晒していただけでなく、何もせずして客のハートをげっちゅしたのだ。こればっかりはどんなに努力を積み重ねても中々できるものじゃない。天性のモノだ……って、店長が言ってた」
よくできました、と店長が彼女の頭を撫でる。
ようするに接客の申し子たる俺から滲み出るオーラに触れ、首っ丈になってしまったということか。だが安全マージンをとっているとはいえ、いかんせん相手はレベル50オーバーのボス級。いくら俺とてレイドも組まず複数を相手するのは色んな意味でまだ早い。接客オーラが自然に滲み出ているのはいたしかたあるまいが、以後自重せねばならんな。
すると店長が、先輩を補足するような形で会話を繋ぎ、
「そんな人の周りにはね、人が自然と集まってくるものなんだ。また会いたいと思うことは、相手もまた会いたいと願うもの……。常連客はそのようにして形成される。僕ぁねえ、人の
店長が笑い、そして場が和む。そうして出来たこの穏やかな空気は、日曜の夕暮れ時、侘しくも充実した名状し難き幸福を感じさせるような、そんな気持ちにさせてくれる。
だが、もののあはれを平気でブチ壊すヤツがここにひとり。
「まあ、ミーの場合……、お前に二度と会いたくなかったんだけどなーぶわはは」
「それは俺もだっつーの!」
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