こんな所でバイトなんかしてたまるか!
どれくらいの時間が流れたのだろうか。いやそんなことを考えるのは無意味だ。なぜなら、五分前に世界が生まれたという誰かのご高説があるように、これは「あの時あの場所で接吻した」という記憶を植え付けられて俺は生まれたかもしれないからだ。そうだ。よく考えてみろ、俺がこいつなんかにチュウなんてするわけがない。バラ色の人生を共に歩む女性はただひとり、憧れのシルヴィア姫に激似した女性ただひとり。だからいい加減離れ……わ、わかった。俺から先に離れるからそんなに睨まないでくれ。
背中に冷たいものが垂れ落ちる。さらに額からも、まるで突発的な集中豪雨にみまわれたかのように汗がダラダラと流れだす。
俺は、一夜漬けで勉強した期末テストのヤマカンが全て外れた時のように絶望した。そして、どうすればこの状況を打破できるものかと考えていたところ、彼女が突然俺の頭を鷲掴み、頑固に張り付いたシールを引き剥がすように引っ張りはじめ、
ちゅぽん。シャンパンコルクを抜き取ったときのような音であった。
「はーッ、はーッ、はーッ……」
頬を赤らめとろんとした表情で彼女が吐息を漏らしている。
しかし次の瞬間、胸倉を掴まれ後ろに倒れこむようにして投げ飛ばされた。
「ぐはっ」
床に叩きつけられ、激しくむせ返す。息を整える間もなく、彼女は腰裏から拳銃を取り出し、俺の額に銃口を突きつけ激鉄を起こし、
「どうやら明日のヤホートップを飾るのはお前のようだ」
彼女の目は本気だった。ここで下手な言い訳でもすれば、明日の朝食は天国の祖父と洒落込むという話になりかねない。あるいは閻魔とか。
そこで突然店長が笑いながら手を叩き、
「アハハハッ! すっごく息ピッタリだったよ? いや~若いっていいね。青春を謳歌すると言うのはまさにこのことだよ」
彼女はその反応に冷静を取り戻し、脱力したように拳銃を下ろした。そして大粒の瞳を一層潤ませ、
「ミ、ミーのはぢめては、ミーが選んだナイトさまにって決めてたのに……ぷぎゃああああんッ」
幼稚園児のような豪快な泣きっぷりである。
これではまるっきり俺が加害者だ。
理想の
俺の恨めしい視線に気付いたのか、彼女はピタリと涙を止め、ぐしゅぐしゅになった顔を上げて俺を睨み、
「乙女のピュアを奪ったクセになんで残念そうにしているー!」
「お、俺も被害者じゃねーか」
「shut the fuck up! エターナルチェリーの分際で生意気ゆーな! 腐ったブタの死骸を喉に詰まらせてその減らず口を二度と叩けないようにしてやるぞー!」
「え、
その言葉に彼女の右眉がピクリと跳ね上がる。
いち早く危険を察したのだが後の祭りだった。彼女は二挺拳銃を投げ捨て、そのまま両腕のホルスターに収めていた二本のバタフライナイフを素早く抜き取り、ド派手なアクションで開いて俺の喉元に刃先を立てる。
「ファッキン袋の緒がたったいま切れた。……地獄より。このバリソンでジャックみたいにギザギザのギッタギタでブッスブスのなます切りでお前の腐った喉ちんこを切り刻んでやる!」
刃先から、痛々しいまでの殺気を感じる。なぜナイフだけ本物なのか。
彼女の力加減は絶妙で、俺が動いてしまうと皮膚が切れてしまうほどのギリギリの致傷間隔を保たせていた。
しかしなぜ彼女はここまで怒るのか。これはうっかり事故のはずで、お互いごめんで済む話ではないか。
――ミーが選んだナイトさまにって決めてたのに。
それだ。初めてのお相手は、伝説の騎士の主人公シグルドのような相手だと決めているからだ。
たしかに俺とシグルドでは、比較にならないほど圧倒的な差がある。わかるよその気持ち。けど、俺の気持ちはどうなる。俺だって最初のお相手は清楚なお姫様と決めてたんだぞ。
彼女は思いとどまるように歯を軋ませ、目からぽろぽろと涙を流しはじめた。そこでようやく店長が、
「はいストップ、七夏くん落ち着いて。さあ、そんな危ない物はやくしまって」
「だ、だってこの童貞がミーを侮辱するんです!」
店長は彼女に近寄り、微笑みながらまるで子犬でもあやすかのように優しく彼女の頭をなでた。彼女はそれで納得したのか、また大げさなアクションでホルスターにナイフをしまい、今度はウットリとした表情に一変してなでられるがままになっていた。とにかく助かった。
「言いつけは守りました店長。ミーにもっといっぱいイーコイーコしてください。ふひひ」
このイケメンにゾッコンラブってか。フン、まぁどうでもいいが本当に疲れるやつだ。
「店長のお陰で命拾いしたな。一つ貸しにしといてやるからありがたく思え。ぶわははは」
勝手に言わせておこう。もう二度と会うこともないやつなんてどうでもいい。こんな所でバイトなんかしてたまるか!
俺は決意を改め、面接を辞退する旨を店長に伝えることにした。
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