第二章 異世界への扉
Sir, yes, sir!
「ううっゴホッゲホッ、うわっなんだこの煙」
店内は、なぜか薄灰色の煙で満たされていた。
発生源はここから3メートルほど先で、その煙がまるで加湿器から放出される水蒸気のように、もうもうとエントランスに向かって吐き出されている。
「状況的に、ひょっとして火事?」
俺の脳が、これは面接どころではない、とたちどころに判断し、回れ右をして店外に駆けだそうとした。ところが、まるで怪奇現象を起こしたように自動扉が閉ざされてしまう。
「てかさっきフツーに反応したのに急におかしくね? オイィィッ!」
焦る。
センサーに手をかざしたり、真横に引いたりもしたが、扉はまったく開こうとしない。
「開けゴマー! て古ッ、なんでこんなときに昭和時代の呪文が出てくるんだ。かくなる上はアロホモラ! てここは英語圏じゃねえのにもっとダメじゃねーか!」
背後から迫りくる煙に頬をなでられる。
やばい。火事の死因のほとんどは一酸化炭素中毒と聞いたことがある。もたもたしているとあっという間に煙に巻かれ、数時間後にはまぬけな焼死体がひとつ出来上ってしまう。やばいやばい。呪文を間違えたのも多分煙のせいだ。扉を真横に引く手に一層力がこもる。
「ふぎぎぎ開けってば! そっか思い出したあの呪文、アバガムってイッテー舌噛んだ」
舌を噛んだのは俺の不徳の致すところではあるが、それでも扉はビクともしなかった。尻が突付かれる。無視した。後ろからメラメラと炎が迫ってくる妄想にかられ余計に焦る。殊更にドアを叩いた。それにつれ尻が突付かれる速度や回数も増していく。まずい中毒症状が現れはじめている。落ち着け。引いて押してもだめなら上げるというのはどうだろうか。失敗に終わった。尻が執拗に攻められているのはなぜなのか。勢いよく振り返り、
「なんやねんさっきからプニプニプニプニしやがって鬱陶しいやっちゃなあ! こっち急いでんのに見てわからんか、火事そこまで来てんねんで、てなんだよその格好! ブーツ履いて迷彩服着てヘルメット被ってリュック背負って今からどっかの紛争地域にでも行く気か! てどうわあああッ」
人……だった。
一瞬、戦死した自縛霊を想像したがどうやら違っていた。背丈は俺の半分以下で小さいが足がちゃんとついている。
正体不明の存在が人であると認識した俺は、気恥ずかしさから軽く咳払い、気を取り直してマジマジとそいつをみる。
全身フル装備の軍人だった。
しかし、蝿の様な小汚いマスクを被っているので、どんなやつなのかまでは分からない。
「お前はなんだ?」
普通、見知らぬ人間を前にして何者かを尋ねるとき「お前はなんだ」とは言わない。あえて言わずにおくが、明らかに日本語がおかしかったし、ボイスチェンジャーを通したようなおっさんの声だった。
怪しすぎる。そういやこの煙……ひょっとして放火魔なのか? 最悪だ。いきなり犯人と出くわすとかどんだけ運が悪いんだ。誰か呼ぼう――ってダメだダメだ。こいつを刺激すると俺がターゲットとして燃やされかねん。ではどうする。そうか、間違えたことにして帰ればいいのだ。
「あのー、なんか来る店間違えたみたいなんで、見たところ邪魔なようだし、僕はこれにて失――」
ガン。(自動ドアに頭をぶつけた音)
「イッテテ……そ、そうだ、ドア開かないんだった」
おっさんが言った。
「お前……ひょっとして、バカなのか?」
「さっきから失礼ですねあなた! あ……いえ、なんでもありませんバカで結構ですハイ」
怪しい相手に対しての失言は時として命にかかわる。以後自重しなければならない。しかし困ったな。すぐそこまで火が迫っているのに、この状況からどうやって脱出すれば……というか、このおっさんこそ逃げないのか? 俺にかまっていたらそれこそ警察に捕まるのでは……まさか、証拠隠滅のために俺を店ごと燃やそうと考えてるのではないか。
ちいさいおっさんの目が、マスクのガラス越しに怪しく煌いたような気がした。
絶対に殺される。
「ああの、僕、なななにも見てないことにしますんで、いい命だけは勘弁――」
「ふひ、わかったぞ。さてはお前
「あのヒトロクマルマルってひょっとして面接の……て、わッ、これ銃じゃないですかー!」
おっさんが問答無用に渡してきたのは、見紛うことなく銃であった。名称こそ知らないが、全身真っ黒に覆われたこの銃は最新式の物であるのは間違いなかった。なぜなら姉から強引に渡された
――けっ、血痕!? うそマジで?
その部位も黒いので断定しかねるが、この銃が発している殺伐としたオーラに妙なリアリティを感じる。まるで丑三つ時に訪れた心霊スポットのような嫌な感じが、銃口から漂う硝煙の臭いと共に伝わってくる。
想像した。
いくつもの戦場を駆け抜けるこいつの姿を。殺めた数だけ銃身に星を刻みながらこちらを振り返り、狂気を孕んだ目で笑うこいつの姿を。
本物に違いなかった。つまるところ放火魔ではなく……テロリスト。
これで、上下戦闘服であるのも、面が割れないようにするためにガスマスクを装着しているのにも、回りくどく声を変声器で変えているのにも完璧に説明がつく。
背中に冷たい汗が伝い落ちる。
「あああの、こここれでどうしろと? 僕に一体何を求めてらっしゃるのでしょうか? あ、わかった。僕を共犯者にするつもりなんでしょ! 無理です。僕、銃で人を撃ったことあまりないんで無理ですよ絶対。それに若干銃アレルギー持ってますし、この前先生に「お前は銃を持つとチャールズホイットマンになるから持つな」と禁止にされたばっかりなんですもん、てかちゃんと聞いてますう?」
タタン。タタタン――
おっさんは、俺の話をそっちのけでその場で片膝をつき、奥から立ちこめている煙に向かって小銃をぶっ放している。
「もう勝手にテロとか勘弁してくださいよ。てか僕思うんですけど、こんな田舎でテロとか無意味だと思うんです。もっとこうデパ地下とか駅前とかでやらないと効果が薄れるというか、当局にダメージを与えられないというか、ISISの人だってみんなそうしてますし、もっと効率のいい場所に変えて……て痛っ、」
目先の煙幕から小石のようなものが飛んできて俺の胴体に着弾。すると今の今まで銃をぶっ放していたおっさんが、俺のちいさな悲鳴を敏感に聞きとってラクビー選手ばりに飛びかかり、
「Hit the dirt!」
「どうワッ」
どささーっ、となだれ込むように床にねじ伏せられる。
非常に痛かった。が、これは守ってくれた、と理解するべきなのだろうか。形的に助けてもらったので何も言えないが、確実にさっきの石ころの10倍は痛たかった。だが、思わず一言だけ口から不満が漏れてしまった。
「遅……」
するとおっさんは、俺の腹の上にもたれこんだままいきなり烈火のごとく怒りだし、
「Shut up! まず人体損傷を最小限に抑えられたことに僥倖しろ! そして、我が身惜しまず次弾の脅威からお前を救ってやったミーに感謝しろプライベート!」
「は? え……あ、はい。あざっス」
おっさんにとって、この返事は納得のいくレベルではなかったらしく、まるで外人のような仕草で思いっきりため息をついて首を振り、
「Listen! イエスは短く前と後にサーをつけろ。Repeat after me. Sir, yes, sir!」
「さ、サー、イエス、さあ? ……あってますこれで?」
俺が思うにこのおっさんは、戦争映画とかでよくある軍隊的な受け答えを俺に求めている。であるからこそ、今のであっているのかと訊いたのに、逆にそれが癇に障ったらしく、まるで子供のように足をジタバタさせながら怒り狂い、
「ノウノウノーウッ! この舌っ足らずの表六玉が。よく聞けこうだッ! Sir, yes, sir!」
「さー、イエっさー」
「ふににッ、お前はお猿のかごやをそんなに歌いたいのか? いいか、その乳離れして間もないファッキンマウスをでっかく開けてもう一度だッ。Sir, yes, sir!」
次こそは、と俺的に結構期待に添えたと確信したのだが、この口さがないおっさんはそれでも満足がいかなかったらしく、俺の腹から転げ落ち床をバシバシ叩いて不満を撒き散らす。
「bullshit! その腐った臓物から声をひり出せと何度言わせりゃ分かるんだ!」
くっそおおおおッ下手に出てたら調子に乗りやがって何様なんだあんた、と喉元まで出かけたが必死に抑え込んだ。しかし、ここまできたからには引き下がれない。今引いたらなんかこのおっさんに負けた気がする。
「サー、イエッサー!」
「ふざけるな! 大声だせ! タマ落してきたのかーッ!!」
「Sir, yes, sir!!」
そこでおっさんの激しい動きがピタリと止まり、
「……フン、これ以上お遊戯を続けるもんならタマ切り落としてグズの家系を絶つところだったぞ」
神よ、どうかこの銃の使用許可を私めに。
とはいえ、ようやく暴言製造機のおっさんから及第点をもぎ取ることができたようだ。
しっかしなんなんだこのおっさんは。口は悪いしチビだし中途半端に英語までしゃべるし、求めてくることはちゃめちゃだし。はぁ、なんか面接なんかもうどうでもいいから早く帰りたくなってきた……
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