歌の国アルヴヘイム

「ああッ、古二階さんとこの奥さん絶対誤解してる。ウチのお袋と仲良いんだよな報告されたりしたらどうしよう、ああッ――」


 逃れるように家を発ったあと、一目散に面接先のカラオケ店を目指した。


 この店を選んだきっかけは、業種なんてものはどうでもよく、求人広告の片隅に“歌の国アルヴヘイム”という店名を目の当たりにしたからだった。子供の頃大好きだったアニメ「伝説の騎士」に出てくる妖精の国と同じ名前という理由が俺の背中を押したのだ。


 鉄道と国道が連なる景色に沿って東へと進む。

 右手にこじんまりとした公園が見えはじめ、そこに咲く一本の大きな桜が、薄桃色の花弁を惜しみなくひらき、園沿いの歩道にアーチを作っている。泡沫の春の香りに癒されながらそこをくぐり抜けると、歩道際に建てられた店の看板が見えてきた。


「お、着いた」


 歩道を右にそれ、販促のぼりに囲われた車10数台は停めれる駐車場に進入して、そのまま弧を描くように店の正面を通り過ぎ、玄関右手隣の駐輪場らしきスペースに愛車を停めた。そしてスマホを取り出し時間を確認する。


 午後3時40分。


 予定時刻にはまだ余裕があったので、観葉樹が生い茂る駐輪スペースから少し離れ、店の外観を観察することにした。


 ――カラオケ歌の国アルヴヘイム――


 ブラウン一色の辺りの田舎景色と同化した建物。玄関左側には、日焼けして文字に天然ぼかしが入った縦横2メートルほどの料金表が貼られており、屋上にはロードサイドと同じくデフォルメされた妖精キャラと、店名を大きく載せた電飾看板が設置されていた。


「思い描いてた妖精の国とは程遠いけど、まぁ個人経営っぽいし大手じゃないから外観はこんなもんか」


 と上から目線の感想もほどほどにして、店の中に入るとする、のだが、


「な、なんだこの全力疾走した時のような心臓の昂ぶりは。まさか、この俺様が面接ごときに緊張を?」


 荒くなった息を抑えつつ玄関前から一旦退避して、履歴書やバイト許可書の確認を急いだ。大丈夫忘れていない。だが、落ち着こうと意識すればするほど真逆の効果が生まれ、心臓が早鐘を叩いて止まらない。


「ヤッベー! 人生初の面接がこんなにも緊張するなんて思わなかった。このまま行ったら右手と右足を一緒に出して店内でコケるとかマジしそう。てか絶対する。うおおおう落ォちつけえ!」


 するとタイミング良いのか悪いのか、ここでスマホの着信音が鳴りはじめる。


「こんな時に鳴りだすとかどんな図太い性格してんだこの携帯は。ってもしもーし」


『おーみかど、久しぶり、元気にしてた?』


 親父だ。


「くッ、誰かと思えば……焦って損したじゃねーか!」


 俺たちを置いてお袋と二人で家を出るという重罪を犯した親父である。


『パパのカワイイ美夜ちゃんから連絡が入ってね。バイトするんだって?』


「くうーっ、姉貴のやつよりによって一番知られたくなかったやつに報告しやがって……」


『あの、聞えてるよ? パパちょっとショックだな……ぐすん』


「やめれ! これから面接だってのにブルーが移っちまうじゃねーかバカヤロウ! ったく用がなかったら切るぞ」


『あー待って待って聞いて、パパが昔やってた緊張を止めるいい方法があるんだよ』


「バッバッバッバカじゃないのテメー。きききき緊張なんか、してしてしてねえっつーの!」


 受話器の向こう側からけたたましいほどの爆笑が聞えてくる。ハゲ店の次に殺そう。


『わかった百歩譲って緊張してないとしよう。なので後学のために知っておくといい。えーまず手のひらに鬱って漢字を三回書いて――』


「書けるか! 俺の中で一生書く機会のない漢字上位に入るやつや! しかもそれ書いて逆暗示かかって鬱ったらどうすんだ!」


『じゃあこれはどうかな。面接官の人をかぼちゃと思うんだ。そしたら大したことないように見えてきて落ち着いてくるはずだよ』


「か、かぼちゃ……なるほど。たしかにそう思うと大したことないな。へ、へェ……たまには親父もいいこと言うじゃねえか。だったら仮にゴーヤでも――」


『ところがどっこい、かぼちゃに見えたのは束の間、緑の固い皮がボロボロと剥がれ落ち、そこから無数の動物のような目がグチュリという異音と共に飛び出した。そしてそいつが力を込めると、かぼちゃだった頭部が真横に裂け、橙色の内部と無造作に伸びる犬歯をむき出して威嚇の咆哮を上げるキシャアアアバッバッバッバカじゃないのききききんちょきんちょ』


 ブツッ、ツーッ、ツーッ――


「チッ、あんなやつの子供に生まれてくるんじゃなかった。ああ神さま、どうかあいつがロクな死に方しませんように……あれ? そういやいつの間にか動悸が止まってる」


 とっさに左胸に手を当ててみるが、落ち着いた鼓動しか伝わらなかった。右手に持ったスマホに視線を落とす。


「まさか親父のやつ、これを想定して……な、訳ないな。危うく騙されるところだった」


 バカ姉妹のお次はクソ親父に足を引っ張られるはめになったが、とにかく気分が落ち着いたのでこれはこれでよしとしよう。

 スマホをズボンのポケットにしまい、改めて玄関前に佇む。


「フハハハついにここまでやってきたぞ。俺の青春の始まりの地、アルヴヘイム」


 まだ決まっていない。


「ここであの言葉の意味を見つけだし、必ずやラヴィアンローズバラ色の人生を手に入れてみせる!」


 何度も言うようだがまだ決まっていない。面接受かりますように。


 そしてようやく玄関より先に足を踏み入れ、自動ドアの前に立つ。静かな駆動音をたて、ドアがゆっくりと開かれる。


「……あれ、なんか静かだな」


 店内は妙に静まりかえっており、チャイムはおろかカラオケ屋を彷彿とさせるBGMすら聴こえてこなかった。


「店員のいらっしゃいませもねえし……て、なんかこの店暗くね?」


 早くも想像を覆されるが、とにかく様子を見ようと更に足を踏み入れた。

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