旭《あさひ》の女王
表示された各国の点数を一通り見渡すと、艶やかな黒髪を纏め上げ、緋色の牡丹を思わせる衣裳に身を包んだスケーターは大きな茶緑の目を細めた。
「ヴァレリー・チェン、マリア・イワーノヴァを抜いてトップに立ちました」
すらりとした長身と彫り深い茶緑の瞳は西洋人、滑らかな黒髪と象牙色の肌は東洋人のスケーターに再び拍手が湧き起こる。
「チェンの楊貴妃がイワーノヴァの皇女アナスタシアを下しました。アメリカのヴァレリー・チェン、ロシアのマリア・イワーノヴァを破って世界選手権二位の雪辱を果たしました。モスクワ五輪に続く二連覇に王手です」
先ほど流転の皇女アナスタシアを演じたロシアのスケーターの表情をカメラが捉える。
色素が薄いために金髪というよりむしろ銀髪に見える彼女は、氷じみたターコイズブルーの瞳を近くのモニターに向けている。
ライバルに順位を抜かれたにも関わらず、淡々とした、喜怒哀楽の滲まない表情だ。
リンクに投げられた真紅の小さな牡丹じみた薔薇の花束が片付けられ、元の白く滑らかな氷の面に復した。
「さて、最終滑走者は日本の山本あおい。世界選手権三位、今回の五輪のショートプログラムでは『蝶々夫人』で五位に着けました」
巫女じみた白と赤の衣裳に金の飾りを付けた茜色のバンダナを巻いたスケーターが姿を表す。
流転の皇女や傾国の貴妃を演じたスケーターたちよりもう一世代下の、若いというよりまだ幼い少女だ。
「テーマ曲は『日輪』。古代、邪馬台国の女王、卑弥呼をイメージした楽曲です」
切れ長い瞳に赤く目張りを入れた小さな顔は、妖しさよりもどこか粉飾の馴染まぬ痛々しさが感じられた。
「山本あおい、十五歳。初めての五輪でどこまで順位を伸ばせるか」
会場が水を打ったようにシンとなる。
ベン、ベン……。
語り物を思わせる、どこか不気味な琵琶の音色から曲が始まる。
緩やかに滑り出した少女の面持ちには、能面じみた静かな禍々しさが漂っていた。
パッと川が拓ける風に曲調が明るくなる。
目張りを入れた少女の顔いっぱいにあどけない笑いが浮かんだ。
会場全体にふっと和らいだ微笑が広がる。
氷の上にも関わらず、巫女姿の少女は春の野を駆けるように軽やかに跳び、舞い踊る。
「中学生の山本あおい、初めての世界選手権ではマリア・イワーノヴァとヴァレリー・チェンの二強と並んで表彰台に立ちました」
か細い巫女姿がふわりと宙に浮く。
「四回転サルコウ、難の無い着地です」
会場に拍手が響いた。
しかし、その拍手が鳴り止まぬ内に曲は一転して不穏な響きを帯びる。
「五輪の国内選考会では、しかし、『ジュニアの演技』との批判も受けました」
茜色のバンダナに付けた金飾りが煌めく一方、小さな蒼白い顔には重荷を背負わされた翳りが差した。
「ショートプログラムではジャンプの回転不足で減点される場面もありました」
スケーターやバレリーナとしても骨細く小柄な体いっぱいにいたいけな訴えが込められる。
会場にはどこか重い空気が立ち込めた。
「『手ぶらでは帰らない』と本人は言い切りました」
ドン!
和太鼓の厳しい音が轟く。
カッ! カッ! カッ! カッ!
戦いの
張り詰めた瞳の巫女が全てを振り払うように氷の上を走り出す。
「四回転! 四回転半! 五回転! 前人未到の五回転ジャンプ! 日本の山本あおいがついに成功しました!」
全身全霊を出し切った面持ちのスケーターに万雷の拍手が注がれた。
*****
君が代が流れる中、カメラは表彰台の中央に立つ金メダリストの顔を映し出す。
「山本あおい、第三次世界大戦で焦土と化した東京で生まれました。連合国に分割統治され、『アジアの孤児』と呼ばれた日本で育ちました。統一朝鮮初の
日の丸を抱き締めて泣く幼い「日本最古の女王」を両脇の「傾国の貴妃」と「流転の皇女」はどこか憐れむ風に微笑んで見守った。(了)
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