お返しはストロベリーチョコ

「悪いね、こんなにいっぱい買ってもらって」


 段ボール一杯に詰められた、高級菓子店のストロベリーチョコの小箱。


「いいんだよ、俺なんかホワイトデーに返す相手もいないんだから」


 兄貴はただ今テレビで放映中の清涼飲料水のコマーシャルで見せているより、もっと爽やかな笑顔で俺の肩を叩く。


「きっと、ろくに学校にも行けてない俺よりきちんと通ってるお前の方がまともな女の子にも好かれるんだよ」


 小学生で両親を事故で亡くした俺が今の高校に進めたのも、たった一人の兄貴が中卒で芸能界入りして稼いでくれたおかげだ。


「先月のバレンタインだって、お前は山ほどチョコ貰ってきたのに、俺はゼロ」


 兄貴の朗らかな笑顔がふと寂しくなる。


 むろん、先月のバレンタイン、人気ナンバーワンのイケメン俳優には事務所にファンからのチョコレートが大量に届いているはずだけれど、基本的に食べ物は危険なので本人の手に渡ることはない。


「彼氏にしたい一位に選ばれたって、現実はそんなもんだ」


 まだ二十歳になったばかりの兄貴は時々こういう疲れた哀しい目をする。


「じゃ、勉強頑張ってな」


 学校が見えてくるいつもの場所で俺を下ろすと、新しく買ったばかりの兄貴の洋車は瞬く間に走り去った。


 校門の前まで行くと、女の子たちがワアッと歓声を上げる。


 軽い恐怖を覚えつつ、俺は段ボール箱をアスファルトの上に置いた。


「はい、皆にお返しだよ。一人一つずつね」


 装丁は立派だが思いの外軽い小箱を一つ一つ、女の子たちに手渡していく。


 実際のところ、誰が何ちゃんかもよく把握していないけれど、とにかく全員に一箱行き渡らせれば、間違いはないはずだ。


*****


「お兄さん、あたしたちにわざわざこんないいお返しくれるなんて、本当に優しい人だね」


 小さなチョコレートの箱をまるで宝箱のように胸に抱いた女の子がぽつりと呟いた。


「皆がくれた気持ちが通じたから、こうしてお返しをくれたんだよ」


 俺の言葉に女の子たちは頬を染める。


 自分の手にしたちっぽけな箱を見詰めたまま。


 バレンタインの日、俺が持ち帰ったのは、全部、兄貴宛のチョコレートだ。


 ホワイトデーの今、ここに集まって俺を囲んでいる女の子たちの誰一人、あの日、「お兄さんに渡して」とめいめいの手紙付きのチョコレートを手渡すだけで、俺宛の分はくれなかった。


 どいつもこいつも俺を無料の配達屋としか思ってない。


 普段だって、皆が聞いてくるのは兄貴のことばかり。


 端から俺には無関心だから、こちらを傷付けている自覚もない。


 そう思うと、猛烈に腹が立って手当たり次第に可愛くラッピングされたプレゼントの包装を剥ぎ取って、中身のチョコレートをひたすら無茶食いした。


 好きな味でなければすぐに流しに吐き出した。


 夜中に帰ってきた兄貴が目にしたのは、夥しいチョコレートの空き箱と破り捨てられた色鮮やかな包装と封も開けられていない手紙の山。


「学校の女の子が寄越した」


 俺が告げたのはそれだけだが、あの時、黙っていた兄貴も本当は知っていたのかもしれない。


 だから、ホワイトデー近くになってストロベリーチョコを取り寄せたのだろう。


「お前にはどうでもいい相手でも、送った方はずっと覚えているから、お返ししないと、後が面倒だぞ」


 あの時も、兄貴は疲れた哀しい目をしていた。


 目当ての物を受け取った女の子たちはめいめい散っていく。


 まだ冷え冷えとした三月の朝の風がどこか湿った梅の香を含んで通り過ぎる。


 そうだ、今日はまだ始まったばかりだ。


 そう思うと、どっと疲れが襲ってきて、空になった足元の段ボール箱を見下ろす。


 と、がらんとしたその隅に余った一箱を見つけた。


 これは誰も受け取らなかったのだから、俺のものだ。


 無造作に箱を開け、行儀良く並んだ白いチョコレートの一粒を齧る。


 ガリリと噛み砕く音が耳の中に響く。


 予想外に固い一粒だ。


 優しく甘いホワイトチョコにコーティングされた真っ赤な苺はふと涙が滲むほど酸っぱかった。(了)

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