赤毛と黒髪
「ねえ、もしかしてハーフ?」
またいつもの質問だ。
訊ねてきた子以外の新しいクラスメイトたちもそれとなくこちらを窺っている。
「そうだよ」
極力さりげない笑顔で答える。
お下げに結った後ろ頭が痛い。
編む時、ちょっときつくし過ぎたみたいだ。
「お母さんがルーマニア人」
ほら、やっぱり微妙な空気になった。
日本人が白人的なハーフから予想ないし期待するのはアメリカとかフランスとか西側の血筋だ。
「あっちに行ったことはないけど」
ついでにママももう亡くなっているけれど、中学生活初日からそんな重い話はしない方がお互いのためだ。
「ルーマニア語も全然できないの」
本当は日常会話くらいは分かるけれど、こう答えると、何故か相手が安堵した表情になるのも経験則的に知っている。
多分、「良く知らない国の血の入った、不可解な言語を解す人間」という不気味さが薄れるからだ。
ちょっと罪悪感を覚えるが、嘘も方便だ。
どうせクラスの子の前でルーマニア語を見聞きする機会などない。
「
新しい担任が手招きしていた。
何だろう?
真新しい制服の胸がどきついた。
私は反抗的な服装も行動もしていないはずだけど。
連れられて廊下に出ると、隣のクラスの担任と「おかっぱにした赤毛のアン」といった風情の女生徒が立っていた。
まだ名前も知らないが、この子はさっきの入学式でもパッと目立つのですぐ顔を覚えた。
相手も何となく同じことを思っているのだあろう。
こちらを眺める薄茶の瞳に微笑みが現れた。
「この人はハーフだけど、髪の毛は
ごま塩頭に眼鏡を掛けた隣のクラスの担任が私のお下げの先っぽ辺りを指差す。
……え?
掛川さんと呼び掛けられた薄茶の瞳が再び凍りついた。
「何でクウォーターのあなたがそんなに赤い髪なんだよ」
それは明らかに疑問ではなく非難の口調だった。
「生まれつきなんです」
掛川さんは俯く。
この子、白人の血が四分の一という意味じゃなくて、日本人の血が四分の一という意味のクウォーターじゃないのかな?
髪の毛どころか目の色も薄いし、そばかすの浮いた肌もピンクの入った、白人的な肌だ。
同世代の日本人より明らかに背も高く、新中学生というより十五、六歳に見える。
「母も説明しましたよね? アメリカ人のお祖父ちゃんも真っ赤な髪なんです」
どうやら白人の血が四分の一という方のクオォーターで正しいようだ。
日本語も完全にネイティヴだ。
「あなたのお母さんとかお祖父ちゃんとかこっちは関係ないから」
ごま塩頭の眼鏡が氷じみて光った。
薄茶の瞳がそれを呆然と見上げる。
「私も母は黒い髪なんで」
自分でも驚くような強い声が出た。
白人といったって髪や目の色は様々だ。
亡くなったママは焦げ茶色の髪と目だった。
「お母さん、ロシア人だっけ?」
眼鏡の奥の細い目には、どこか敵国の人間を眺めるような底冷たい色が見て取れた。
「ルーマニアです」
背中にクラスメイトたちが見物している視線が突き刺さる。
隣のクラスのドアからも好奇の目で覗いている顔が複数あった。
皆、黒い目に黒い髪の「純日本人」なんだ。
やめてくれ、私たちは見世物じゃない。
「ああ、そう」
ごま塩頭はどうでもいいよ、という風に鼻先で笑う。
「近頃は色んな生徒がいるねえ」
本来は来て欲しくないのに、と言っているように聞こえた。
二つの教室からも微かに笑う気配がする。
「もうそろそろよろしいですか?」
やっと私の隣に立つ新しいクラス担任が口を開いた。
一体、何が「よろしい」の?
「住谷さんはもう教室に戻っていいから」
声はごま塩頭よりマイルドだが、許可というより「余計なことは言わずに戻れ」という命令の語調だ。
「ハーフやクウォーターでも色んな人がいるって忘れないで下さい!」
終わりの方は隣のクラスどころから廊下に面した全クラスに響く声になってしまったが、早足で教室に戻る身にはもうどうでも良かった。
*****
「グランパもアメリカでgingerって馬鹿にされたみたい」
放課後の公園のベンチで
そんな仕草をすると、ますますアメリカ人らしく見えた。
満開の公園の桜の花びらが私たちの真新しいセーラー服に降り注ぐ。
「それでも他の色に染めろと言われた話は聞かないけど」
白ともピンクとも付かない花びらを見つめながら付け加える声は低く苦かった。
「日本人らしいって何? 私は日本で生まれて日本で育って日本国籍なのに。ただ、白人の血の入った髪をしているから、黒髪じゃないから、お前は日本人らしくない、黒く染めろって言われる。本当は日本人らしくないじゃなくて日本人じゃないって言いたいんでしょ。ハーフだのクウォーターだのやたらと言うのはその分だけ日本人じゃないって意味だよね。だから、ハーフのナディアちゃんよりクウォーターの私の髪が赤いのが許せないって責めるんだよ」
私の名前は「住谷ナディア」で文字にしても一見して「これはハーフだ」と分かるが、この子は「掛川杏奴」と書類上は純日本人に紛れる字面だ。
外見はこちらが髪も目も黒い「四分の三は日本人のクウォーター」風で、彼女が髪も赤く目の色も薄い「四分の一だけ日本人のクウォーター」的なのに。
「そもそも『
杏奴はカラカラ笑った。
夕陽が真っ直ぐなおかっぱの髪を透かすように照らす。
この子の髪は実際のところ「赤」というより夕陽と同じ「オレンジ」だ。
「大体、校則には『髪の脱色や染色は認めない』って書いてあるのに、どうして赤毛だと黒く染めろって平気で言えるのかな」
実際のところは校則すら黒髪・黒い目の「純日本人」しか視野に入れていないのだ。
私たちは学校のあらゆる枠組みから外れたところにいる。
「私は自分を黒く染めたりしない、絶対」
日が暮れなずんできて肌寒くなってくる中、散り行く花びらがほの白く浮かび上がっては消える。(了)
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