裏庭

***

 計画に変更はない。翼にとっては唯一の姉である颯から届いた、白伊の次期交配計画図には流風の娘の名前が載っていた。七年ぶりに復活した記述には白伊の決意が見て取れる。国内に逃げ場を失い、国外にしか行き先がなくなるまで追い詰めてから仕留める――それまで七年もの間国内中を追い回し子ども一人捕らえられなかった白伊の、擦りきれた意地を掛けた大勝負。

 その勝負に負けるわけにはいかない。あるかどうか分からなくても、母親より工作員を取って勝つために掛けた颯の思いを、翼は無駄にしたくなかった。

 国外に出る計画を前倒しするべきだ。翼がどんなに言っても流風も仲間も聞く耳を持たない。黙らせるために飛んできた手足も数え切れない。

 今日移動してきた先もくすんで汚れた灰色の廃屋だ。斥候役が入れ替わって出発するのを、雑草にまみれた屋外で翼は見送った。流風と少女と行動を共にするのは三人、場所を変える度に次の場所を偵察する斥候として二人が入れ替わる。行き先は常に複数候補があり、囮も含めて斥候役は十数人、数十いるかもしれなかった。翼には詳細など知らされない。全てを知るのは流風と一握りの瑠璃だけだ。

 背の高い雑草に埋もれて、真黒い髪の少女がしゃがみこんでいる。少し迷ったが、環、翼は少女の名前を呼んだ。瑠璃の証でもあるあおい髪を染めているせいで黒すぎる髪が揺れる。少女は翼に手招きした。膝にはずっと手放さない図鑑が広げられていた。

 シロツメクサ。言って、環はたどたどしく図鑑の説明文を読み上げ始める。地面には濃い緑色のクローバーが密集していて、球状のしろい花がいくつか立ち上がっている。名前は初めて聞いたが、翼には見覚えのある花だった。颯が自宅マンションの近くでこっそりよく摘んでいる花だ。夜な夜な摘み集めた花と格闘しているのは知っているが、何をしたいのかは知らない。翌朝しなびてよれた花がゴミ箱に入っているのを何度か見たことがあるだけだ。

「集めて。お父さんに王冠の作り方を教えてもらうの」

 ぷち、ぷち、環は花を摘み取り始める。

「王冠?」

 これを、こうして。環は説明しようとして唸った。花を結んで、ほどく。ゴミ箱に捨てられていたのと同じ、よれた花を翼に押しつけて、花摘みを再開する。

 ぷちぷちぷち。二人でしろい花を摘んで集めた。茎が短いと環が怒って、翼は咲いている花を探す羽目になった。背の高い雑草ばかりで、地面を這いつくばるシロツメクサはぱっと見では見つけられない。かがんで雑草をかき分けると、合間に人が見えた。数メートル先。いるのはばれているだろう、だが詳細な位置はわかっていないはずだ。翼はきびすを返して走った。背後でこちらに向きなおり、銃を向ける硬くて重たい金属音がする。重すぎる。翼は音から推測する。ハンドガンではない――ショットガンか、マシンガンか。どちらにしろ環を背にしては太刀打ちできない。

 環は変わらずうずくまっていた。花を結んだりほどいたりして首を傾げている。目の前に夢中で物音に気がつかない少女を抱え上げた。走り出そうとして、環が叫ぶ。図鑑! 膝に載せたままだった図鑑が落ちて、少女は手を伸ばす。捨て置けない。買って一週間なのにすっかりくせのついたシロツメクサのページ。あの写真だけで娘と母親は繋がっているのだ。翼にはそう思えてならなかった。

 図鑑を拾いにしゃがむと頭上に銃弾と銃声が来た。咄嗟にすくんだ環の腕に図鑑を握らせる。中へ走れ。振り返るな。大丈夫だから。翼は早口に伝え、環は一度だけ大きく頷いた。背を向かせ、押す。走り出したのを確認して、翼は銃を抜いた。一般的なハンドガン。さっきの銃弾からして、敵がショットガンでないことはラッキーだった。立ち上がり、撃つ。弾倉が空になるまで、銃弾が飛んでくるまで。仲間が来るまで、環が仲間と会えるまで時間を稼げればいい。長くはかからない。

 一人は釘付けにすることに成功した。弾倉の残りが気になってきたが、敵の銃弾は底なしだ。子ども一人へ、白伊なりの本気に違いない。仲間はなかなか来ない。敵も一人ではない。何人か――銃弾の底なしさを見るに圧倒的大人数だろう。足止めされて動けないことは翼にも簡単に想像できる。白伊のひとりも対処できないのは装備の違いがあるとはいえ、翼の落ち度だった。自身で自覚もしている。だが、環が無事でなかったら。翼は目の前よりもそちらの方に恐怖していた。攻撃が止まないのは、白伊はまだ環を確保していないからだ。だからといって、環が仲間と会えたことの根拠にはならない。

 颯はこの勝負に掛けた。勝つために、娘に会うことの出来る、恐らく、間違いなく最後のチャンスを棒に振って、白伊の標的を増やすリスクを捨てるため作戦の応援参加を辞退した。

 だから翼は血も繋がらない姉の分まで、応援の役を負っているつもりだった。

 弾倉を入れ替える。これでストックはあと一つだ。立ち上がり、撃ち、走る。アタリをつけてかき分けた雑草の先にマシンガンを抱えた男がいる。あおい髪。翼は引き金を引いた。眼は合っていた。血を分けた家族。両親のどちらかが同じか、両親のどちらかが瑠璃の誰かなだけの、顔も名前も知らない家族の一人。

 撃つ。弾倉が空になるまで。

 倒れて動かない、あおい髪をした白伊の男からマシンガンを拾い上げる。ついでに聞いた無線では、環は流風と一緒らしい。廃屋正面で足止めされ、白伊は先に進めないでいる。翼が男を見つけたとき、まだ包囲は完成していなかったということだ。今なら裏から逃げられる。思い立ったところで、無線の向こうの声が問いかけてきた。定時連絡はどうした。仕留めたか。異常なし、なかなかしぶとい。咄嗟に答えたものの、一拍空いてしまった上に、この男の声なんか知らない。知っていたとして真似できたかもわからないが、翼は無線機を放り出して廃屋の中へ走った。

「まずい、ばれた」

 流風と会ってつい出た言葉を聞いて、翼と血の繋がりがある兄はいたって冷静に切り返した。

「順序立てて話せこの馬鹿」

 無事を知って翼の足に抱きついた環が二人を見上げる。翼は顔が引きつるのを感じたが、可愛い姪を前に我慢した。

「あいつらはまだここを包囲してない。今なら裏から逃げられる」

「どこで聞いた」

 あっちに、翼は自分が来た方向を指す。

「いた男の無線で聞いた。でも急いだほうがいい」

「知ったことがばれたからか」

 くそ。流風は呟く。廃屋正面から響く銃声は止まない。

「やつら、夏子葉の手下だ」

 知ってる。応えた流風の声にも焦りが滲んでいた。未だ白伊に使われている瑠璃の人間、七年前には既に瑠璃を裏切っていたという夏子葉が率いている、瑠璃の生き残り。お互いやりたくてやっているわけではないのに、これしか知らないからやる。悲しいことに、一族間で殺し合って根絶やしになりそうだった。

「行こう」

 流風の決断は早い。彼は環の頭を撫でて、少し待っててくれと言った。背を向け、仲間へ伝えに行く。ここで死んでくれ。

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