7年

誕生日

 ガラス戸を開けて入った店内はほのかに暖かい。蛍光灯の明かりを反射するショーケース、棚とベンチが一つだけの小さなケーキ屋。ショーケースの向こうに立つ若い女性店員が、いらっしゃいませ、言いかけて、ああ! 声を上げた。

「毎年ありがとうございます。ろうそく、今年は七本ですよね?」

 毎年同じ店員だった記憶はない。毎年同じ日にバースデーケーキを予約する客が店員の間で話の種になっているのだろうか。大方想像がつく。常連でもないのにこの日だけ、毎年ひとりで受け取りに来る若い女性客。ネームプレートの名入れを必ず断る。離婚か死に別れか。噂はそんなところだろう。

 一応愛想よくしてケーキを受け取った。来年も世話になる店だ。店を出ると、やはり夜はまだ肌寒い。通り沿いに植えられた桜が点々と街灯に照らされている。私はその下を歩きながら、上着のポケットを探った。硬く、体温でじんわり熱をもったUSBメモリ。ある。あるある。歩く度に安っぽくてけばけばしい石けんのにおいが鼻について吐きそうだ。四号のケーキがやけに重たい。

 今夜は特別だった。白伊にもっとも近い部外者の男から、次期計画図を盗んだ。直近三年の計画図に瑠璃流風、瑠璃嵐の記載はない。だが、次期は。この数日の間に二人は日本を出る。これを機に、白伊は二人の確保に本腰を入れるかもしれない。もしそうなら、計画図に名前があるはずだった。

 ポケットの中で弄んでいたUSBメモリをメール便の袋に突っ込む。封をして、ポストへ押し込んだ。

 いてもたってもいられないのに、できることは終わった。私の手持ちのソフトではあの頑丈なプロテクトを解除することはできない。だから未練がましい気持ちをポストに置いて、歩く。引き戻されないように、確かに、早く。

 三月二十二日。あの子が生まれてから七度目の春。

 そして、翼と一緒にあの家を出てから五年になろうとしている。日本中を白伊から逃げ回っている流風と嵐の居場所が知れず、あの家を出てもなお会えないまま、別れてから七年が経った。出てしばらくは瑠璃の世話になりっぱなしだったが、この数年は私が助っ人になれる程には成長した。今は自立して、会社勤めをしながらアングラで仕事をしている。知名度もそこそこだ。だが、未だ流風の女、の肩書きがついて回るものの。

 住まいは都内一等地に建つ高層マンション。家賃がばかにならないのだが、セキュリティが厳重だからここにしろとタイ兄が言って聞かなかった。タイ兄。流風と嵐が白伊を出て行ったあの日、夏子葉が裏切っていると知っていて、でもあの後誰にも言わなかったタイ兄。瑠璃で一番頼もしくて優しかった彼は、去年死んだ。仲間を庇ったからだった。

 2LDKに翼と二人暮らし。実の弟のような彼は、流風と嵐の応援に行っていてしばらくの間不在だ。真っ暗な部屋に、順々に明かりを点けながらリビングへ入りソファーへ身を沈めた。玄関からリビングまで、同居人が数日いないだけで既に荒れ放題だった。床に新聞とダイレクトメールが散乱し、ローテーブルにはコンビニ弁当の空容器が積み重なって、いつのだかわからない空コップとペットボトルが乱立している。物が少ない環境で育ったせいだと思うのだが、私は片付けが苦手だ。

 ローテーブル上のごみを適当に床へ移動させて、ケーキを置く。四号のショートケーキをワンホール。中央にホワイトチョコレートのプレートがある。おたんじょうびおめでとう。箱から出した状態のまま、付けてもらったろうそくを立てた。今年は七本。ライターで火を点ける。禁煙はまた明日からだ。

「誕生日おめでとう」

 声に出すのは初めてだ。こそばゆくて、一人きりなのに恥ずかしく、しかしなぜだか誇らしい。七歳になったあの子は甘いものが好きだろうか。ろうそくを吹き消す。

フォークを貰えば良かった。毎年思うものの毎年忘れる。弁当容器に埋もれた未使用のプラスチックスプーンを見つけ、ホールのままケーキを削り口に運ぶ。甘い物をこんなに食べるのは一年でもこの日だけだ。しかも今年は翼がいない。一人でこれを完食しなければならなかった。

 テーブルの上に皺の寄ったちらしが数枚折りたたまれて置いてある。スプーンを咥えたまま手に取った。子供服、ベビー用品、ランドセル。ちらしを見かけるとつい、取っておいてしまう。あの子は、ちらしの中で笑うモデルの少女と同じくらいの背丈だろうか。私も流風も背が高いから、もしかしたらのっぽかもしれない。痩せてる? 太ってる? 毎日なにを食べているんだろう、彼はちゃんと父親をやっているだろうか。想像の中で、記憶にある赤ん坊にちらしのベビー服を着せる。ちらしの中のおもちゃに眼を輝かせ、咥え笑いはしゃぐ姿を想像した。今の、七歳になったあの子は。あおい髪、身体に対して大きすぎるランドセル。どんな表情で、どんなことを言うだろう。

 かたん、軽い金属音は鍵の開く音だ。きい、ドアの開く音がして、ピンポン。ドアチャイムが鳴った。

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