第3話 それは最悪の出会い
・1・
「おい、祭礼くん! どこへ行くのだ?」
新人の監督役を任された中年男性は制服のまま会社を飛び出そうとする桜子を慌てて引き留めた。彼女の肩に手をかけ止めようとする。
(……鬱陶しいオヤジだ)
キッと睨み、桜子は心の中でそう思った。
「ヤバいって。課長の逆鱗が……」
蘭子はブルブル震えていた。彼女は入社前のオリエンテーションで遅刻して散々彼に絞られたのだ。その恐怖がその身にこびり付いていた。
「……どうしたというのだ? 今日の職務はまだ終わっていないぞ? 勝手に帰るのはルール違反だぞ」
「はぁ……」
鬱陶しい。本当に鬱陶しい。
この男は研修の頃からずっとルールは守れだとか、常に周りを見ろとか当たり障りのない正論ばかりを吐いていた。
規律? 協調性?
そんなものより彼の方が大切に決まっているだろう。
だけど、ふと、桜子はその彼の言葉を思い出す。
『いいですか桜子さん。社会人に求められるのは二つです。外面と体裁です。残念なことにこれが現実です。もし気に食わないことがあっても、それを表に出してはダメですよ。逆にこっちから何かしたいときはもっともらしい理由をつけるんです。はい、復唱して』
(……外面と体裁)
桜子は心の中でその言葉を復唱する。春哉の言葉が脳内で再生されると、桜子は落ち着きを取り戻した。
「聞いているのかね? 祭――」
「はい課長」
桜子はにっこりとほほ笑んだ。それはまさに無意識に男を殺すナイフのような切れ味。
「え……あ……」
課長は突然笑みを向けられ思わずたじろぐ。
本来なら春哉以外の男に笑みを向けるのだって嫌なのだ。だが、春哉の言葉は守らなければならない。
桜子は外面を整えた後、体裁をでっち上げ始めた。
「実は身内に不幸がありまして……その人は私にとってとても大事な方なので、今すぐに向かわなければなりません」
「……だが、それでは職務が……」
課長は事情を理解しつつも、答えを渋っている。
「本日の職務内容は確認しましたが、残りは少しの接客演習とレポートのみ」
「へ?」
桜子はカバンの中にしまった書類一式を課長に渡す。
「本日の事務処理と先輩方との実習レポート、ついでに数日分の書類整理も全部まとめてあります。どうぞ」
「あぁ……」
課長は呆気にとられながらも確認するが、指摘すべきところが一つも見当たらない。完璧だ。正確には何とでも言えるのだが、桜子の無言の圧力に押され、その選択肢が見えなくなっていた。
「では私はこれで。あぁ、それと一身上の都合によりしばらくお休みさせていただきます。よろしいですよね?」
「え? ……あ、はい」
そう言って桜子はその場を後にした。
「……えぇ」
「……無茶苦茶だ」
凛は開いた口がふさがらなかった。言ってることもやってることも破天荒すぎる。だが、なんというか勢いですべて納得させてしまった。
「あらあら。愛の力ねぇ」
加奈子は頬に手を当ててうっとりとした表情をしていた。
三人は口を揃えてこう言った。
「「「……かっこいい」」」
・2・
「……マズい」
さっきまでのやり取りを見直して、ようやく春哉は事態の深刻さを理解した。
(……桜子さん、絶対ここに来るよな)
何せ彼女はここのOBだ。迷うことなく一直線にここへ来るだろう。そもそも会社の場所だって、春哉と離れたくないとのことで近くの企業を選んだくらいだ。すぐに来る。
「朝子くん」
「はい、何でしょう?」
朝子は春哉に呼ばれて首を傾げる。
「今日の活動はこれで終わりにしよう。いやー僕もレポートに詰まっててね。受け取ったレポートは明日添削して渡すから」
「まだ始めてから一時間も経ってませんよ?」
「うっ……とにかく早くここから――」
トントン。
扉をノックする音。
「……」
春哉は額に手を当てる。
「先輩、お客ですよ? はっ! もしや新入部員では!? イヤッホー!」
「あ、いや……」
朝子はスキップで
「はいはーい。私と先輩の犯研へウェルカムです!」
「ちょっ!!」
春哉の声もむなしく、朝子は扉を開けてしまった。
開いた扉の向こうには案の定桜子が立っていた。彼女は春哉を視界にとらえると幸せそうな笑みを向ける。
「春哉くん。見ーつけた」
「……どちら様でしょう?」
朝子は怪訝そうな顔で桜子を見た。桜子は可愛く首を傾げる。
「私は春哉くんの彼女よ?」
「えっ……」
その言葉で朝子は固まった。
「えーっと」
朝子は春哉の正面。桜子は春哉の横で腕にしがみついている。
「桜子さん。一旦離れましょう」
「イヤ」
桜子はその申し出を流れるように拒絶する。
「ぐぬぬ」
朝子は朝子で何やら異様な雰囲気を醸し出していた。
「とりあえず紹介するよ。この人は祭礼桜子。僕の彼女だ」
ドン!
「えっ!?」
突然朝子が顔面をテーブルにぶつけた。彼女の中ではきっと今試合終了のゴングが鳴っていることだろう。
「朝子くん……大丈夫?」
「ム」
桜子は春哉の言葉に頬を膨らませる。どうやら春哉が目の前の少女を下の名前で呼んだことが気に食わないようだ。
「改めて、初めまして。私、春哉くんの彼女の祭礼桜子です。よろしくね。小日向朝子さん」
ドンドン!
朝子はさらに二度テーブルに頭部をぶつける。もはや頭突きだ。
「桜子さん。どうして来たんですか?」
「だって……春哉くんが浮気してるかと思って」
桜子は唇に手を当てて、そう言った。
「しませんよ。一応言っておきますけど僕と彼女はそんなんじゃないですよ?」
ドンドンドン!
「フフ」
何やら桜子の思惑にはまってしまったらしい。彼女は暗い笑みでしてやったりといわんばかりにテーブルに突っ伏した朝子のアホ毛をツンツンしている。もうやりたい放題だ。
「とにかくもう帰りましょう。これ以上は……いろいろと不毛だ」
「うん♪」
春哉がそう言うと、桜子は再び春哉の腕に手を通し立ち上がる。
「それじゃあ朝子くん。戸締りをよろしくね」
「……Yes,Sir」
彼女の左手が持ち上がり親指を上に立てる。
「さぁ早く行きましょう? 今夜は寝かせてあげないんだから♡」
チーン。
朝子の心は完全に撃沈した。
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