第4話

 安原伊織は優しい嘘をついた。

 僕は,近所のコンビニで買った弁当のビニール袋を一つしかない腕にかけ、雨の中、傘をさして帰路に着く。

 右腕は、ナイフで神経と筋肉がズタズタに裂かれいて、切断するしかなかったらしい。意識が戻った僕に園絵恵子が説明してくれた。冷静沈着でポーカーフェイスの彼女が珍しくどこか悲しそうな顔をしていた。

 病院にしばらく入院していた時に、安原さんが一回だけお見舞いに来た。

 彼女は嘘を詫びた。

「嘘をついてごめんなさい。」

 僕は「気にしないでください。」と答えた。

 意識が朦朧としていた僕に対して、安心させるために右腕を失った事実を知らせることを先延ばしにしたことは、普段の彼女を見ていれば解る。僕はというとそんな彼女に嘘をつかせた申し訳なさや無力さを感じていた。

 風雨が勢いを増し、パーカーの右袖が風になびいて少しづつ雨に濡れていく。

 僕は、心も体も冷えてきたので急いで、アパートに向かった。


         ****

 アパートの部屋で濡れたパーカーや体を拭きながら、テレビをつける。

 ニュース番組が流れた。

 <厚生労働省が実施しているストレスチェック制度は効果を上げており、労働者のメンタルケアのおかげで、色々な企業が業績を上げているようです。>

 僕は、テレビをすぐに消した。イライラしたからだ。

 今の仕事に就く前に、勤めていた会社があった。その頃の僕は新入社員でそれなりに働いていた。数年前から厚生労働省が導入したストレスチェックは労働者のメンタル的な不調を未然に防止するために設けられた制度で年に一回労働者は検査を受けることになる。僕もその時、初めてストレスチェックを受けた。

 検査の結果は僕に絶望をもたらした。

 テストの結果を受けてすぐに医師に問診を受けた。問診の結果も最悪ですぐに休職することになった。しかし、僕は精神的にも健康で、職場の仲間とも仲が良かった。

 「なぜ」という言葉を休職している間、ずっと考えている日々が続く。

 そんなある日、勤めていた会社のサーバーの情報がハッカーに盗まれた。

 直後にハッカーがネットでサーバの情報―社員のストレスチェックの結果―を世界中にばらまいた。

 結果的に社員の中で最も結果が悪かった僕―谷崎潤―の情報がSNSにより拡散されることになる。

 その後、僕のfacebookやtwitterは炎上し、会社もクビになった。

 困った有名人になってしまった僕はハ―ロワークに行ったりして、仕事探しをしたがどこにも雇ってもれえなかった。そんな時、安原伊織が現れた。僕に彼女はよい仕事があると勧めた。

「待遇や給料が良いし、働きがいもある良い仕事よ。」

「どんな仕事ですか?」

「社会の清掃業よ。」

抽象的な言葉で安原伊織は嘘をつく。どうとでも解釈できる言葉で相手を揺さぶる嘘。彼女の得意技。

 瀕死だった僕の優しい嘘は彼女の思慮からでたものであると思っている。だからこそ、彼女に感謝している。

そんなことを想いながら、慣れない左手で箸を持ち、弁当を食べた。


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