夕焼け街の黒い男

※ ジャンルはミステリーにいれますが、どちらかというとサイコホラーっぽいです。



 仕事帰り、見慣れた街中まちなかを歩く。

 まだ夕焼けが一番綺麗な季節じゃないけど、黄色がかったオレンジから、どんどん赤みが増していくのを感じるのが好きだ。

 今日も空が燃えるような色に染められていくのを見ながら駅へと向かう。

 職場から最寄り駅までは徒歩十分ほどだ。この十分で夕日がどんどん地平線に近づいていきながら、より強く輝くんだ。

 昼間の殺人的な暑さから、やっと「殺人的」なが抜けるぐらいでかなり不快指数高いけど、この色合いは好き。

 ビルの壁も太陽があたる面は輝き、裏側は急に暗くなる。同じビルの壁なのにこんなに色合いが違うなんてすごいよね。

 そんなふうに景色を楽しみながら歩いてた。

 ふと、後ろから強い視線を感じた。

 反射的に振り向くと、逆光の中に人影がある。

 多分男の人と思われる黒い人影が、明らかにわたしの方に近づいてくる。

 知り合い?

 じっと見るけど、あんまり顔が見えない。多分知らない人だと思う。

 誰が誰やらわからないから夕暮れを黄昏時って言うんだっけ?

 そんなことを思ってたら、男の人のだらりと下げた手の先が、きらりと光った。

 なにあれ? ……ナイフ? もっと大きい、包丁!?

 逆光で顔が見えない男が、にやっと笑ったのが輪郭の変化で判る。

 殺される!

 わたしは走り出した。とにかく駅へ向かわないと。

 こんなに全力で走るのは何年ぶりだってぐらい必死になった。一気に汗が噴き出る。

 大通りに出て、人がいるからそんなに速く走れなくなる。誰かが男のナイフを見て通報してくれればいいのに。

 しばらく走って後ろを振り返る。

 男は、いない。

 ほっと息をついて走るのをやめた。

 途端にもわっとした夏の空気がうっとうしく感じる。

 なんだったんだろう、変質者? 殺人鬼? 他に犠牲者が出ないといいけど。

 息を整えながらゆっくり歩いてると、前方のビルとビルの間から、男が出てきた。

 黒い帽子、黒い服。

 明るい夕日の中で男だけが黒かった。そしてやっぱり手には包丁。

 でも誰も男を気にする様子はない。

 なんで? 誰も気づいてないの? それとも男が見えてないとか?

 夕日を浴びてるのに男の顔は暗いまま。帽子のせいもあるだろうけど、すごい不自然。ミステリー漫画の犯人かってぐらい違和感しかない。

 男の横をすり抜けないと駅に行けない。

 けど、男のそばを通るのは嫌だ。直感がアレはダメだって訴えてる。

 わたしはくるりとうしろを向いて、来た道を引き返した。

 大回りになるけど男とまた出会わないように進まないと。

 駅までのルートはたくさんある。そうそう重なるものじゃない。

 そう思っていたのに。

 ビルの陰に、店の前に、通りの後ろに、時には前に、男がいる。

 他の人は男が凶器を持ってることを全然気にしてない。

 黒い男、手にはオレンジの日の光を受けて光る刃の包丁。

 どこへ向かっても、ふぃっと姿を見せる。こっちを見て、ニヤッと笑って、ゆるゆると近づいてくる。

 怖い。

 なんでわたしだけ追いかけてくるの?

 わたし、普通の会社勤めだよ? 追いかけまわされるようなこと、何もないよ?

 恋愛とかのトラブルもないし。家族だって普通だよ。

 なんでこんな身に覚えのない怖い思いしないといけないの?

 心臓がバクバクする。早歩きし続けてるからだけじゃなく、冷たい汗も背中を流れる。

 目に入る人影が全部あの男みたいに見えてくる。

 早く駅へ。

 すっかり息が上がってしまったけど立ち止まれない。

 この路地を抜けてあとは駅まで二十メートルほど。

 大通りに出て、視界がオレンジに染まる。

 前にはいない。

 後ろは……。

 五メートルほどのことろに、いた。

 またわたしを見て、にぃっと笑う。

 もうこのまま駅に走ろう。

 ダッシュした。

 男がゆっくりとこっちに歩いてくる。でもあのスピードじゃ追いつけないだろう。

 オレンジ色に輝く景色の中、懸命に走った。

 駅の券売機近くにたどり着く。

 もう体も精神も限界近い。

 怖い、息が詰まって苦しい。

 ICカードを取り出して、男の位置を確認しようと後ろを向いた。

 目の前! ナイフをこっちに向けて、ニタァっと笑った。

 悲鳴を上げようとしても喉がかすかにふるえるだけだった。

 目をつぶって体を縮こまセルことしかできない。

 刺されるんだ。痛いかな。痛いだろうな。

 死ぬのかな。後遺症とか残るぐらいなら死んだ方がいいのかな。

 親とか、友達とか、泣くかな。

 そんな混沌カオスな思考がぐるっと頭の中を駆け巡ったけど。

 痛みはない。

 恐る恐る目を開けた。

 男は、いない。

 街はさっきより暗くなってる。もう沈んでしまった夕日の残滓があるだけ、って感じで。

 そばを通り過ぎる人が、ちょっと心配そうだったり、イタいのを見るめだったりするから一気に恥ずかしくなって、そそくさと改札を抜けた。

 何だったんだろう。幽霊? 幻? 白昼夢? ……白昼じゃないけど。

 なんでもいいや。何にもないならそれでいい。

 安心がやってきて、脱力感が半端ない。

 ジュースでも買おうかな。

 疲れ切った足を引きずるようにしてホームに上がって、自販機に向かった。

 甘いのがいい。でもさっぱりもしたい。よし、果汁の風味の天然水にしよう。

 ベンチに座ってペットボトルのキャップを開けた。一気に三分の一ぐらい飲んで、やっと落ち着いてきた感じ。

 ふぅっと一息ついた時。

 強い視線を感じた。

 そっちを見ちゃ駄目だ。

 でも反射的に顔が視線の元に向かって、――!



(了)



 Twitterのフォロワーさんの夢を題材にいただいた。

 夢の内容:真夏の夕方の町で包丁持った男の人に緩やかに追いかけ回される。

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