貴方にイルニの耳飾りを

 同じ意匠の耳飾りと指輪を身につけた両親はとても仲が良かった。

 なにも死ぬ時まで一緒じゃなくてもよかっただろうに、でもあの二人らしいのかもしれない。

 異世界からやってくるって言われている魔物に親が殺されてしまったのはもう三年前、二人が経営していた酒場を僕が継いだすぐ後のことだった。

 悲しみに沈む間も与えられずに店を切り盛りして最近ようやく売上が安定するようになった。

 こうなると、周りの目は「そろそろ誰かいい相手を見つけて、亡くなったご両親を安心させてあげなさい」となってくる。

 父も母も、僕が家庭をもって幸せになればと願っていたのは本当のことだけれど。

 けどこればかりは自分一人ではどうしようもない。

 実は好きな人はいる。酒場で従業員として働いてくれている幼馴染だ。

 それを知ってか知らずか、周りも「誰か」と言いながらその実、彼女を指しているのも知っている。

 肝心の彼女はきっと僕の気持ちには気づいていないだろうな。

 どうか周りの人達にはよけいな世話を焼こうとしないで静観していていただきたい。

 周りにつつかれたら、きっと彼女は変に意識してしまうだろうから。


 それからも彼女とは幼馴染としての距離を保ちながら過ごした。

 いつの間にか僕も――もちろん同い年の彼女も二十代半ば。

 独身を貫くのもいいか、と思いながらも彼女に決まった相手がいないことを知るたびに、それなら少し思い切って告白してもいいんじゃないかとも思う。

 ちょうど、あと半月で今年が終わろうとしている。新年になったら耳飾りを彼女に渡してみるのもいいかもしれない。

 僕はイルニの意匠の耳飾りを用意した。

 イルニは五枚の細い花弁の花で、新年に入った頃に咲きはじめる。最盛期を迎えるのが新年のめでたい雰囲気の頃だから「新しいこと」という花言葉もあるらしい。みんなに親しまれてる花だ。

 幼馴染の関係を脱して新しい交際を、と差し出すにはうってつけだと僕はイルニの花を意匠に選んだ。

 これを彼女に差し出し、愛の告白をする。

 耳飾りを異性に差し出すのは、付き合ってくださいの告白なのだ。

 それを相手がどちらの耳からつけるかで、返事が変わってくる。

 左耳からなら「私も好きです」。

 右耳からなら「友達でいましょう」。

 彼女はどのように応えてくれるだろうか。

 ひそかに心を高鳴らせながら、新年を迎えた。

 町どころか国中が浮かれた雰囲気だ。

 僕は彼女を誘って町の中心から少し外れた広場の隅っこへ連れ出した。

 いつもは子供達が遊ぶだけのここも、今は露店が所せましと並べられて、新年を祝う人でごった返している。

 店の並びから外れたところに彼女を連れて行った。

 そばの茂みに、イルニの花が咲いている。一番咲きだ。

 彼女も花を見つけて幸せそうに笑っている。今年もいい年ならいいなと、それこそイルニもかすんでしまうのではないかという笑顔だ。

「あの、さ」

 話しかけると彼女は笑顔のまま小首をかしげた。

 素敵だ。

 見惚れていると「何?」と問われたので慌てて鞄から赤い箱を取り出しててのひらに乗せる。

 蓋をそっと開けながら、精一杯の勇気を振り絞り、告げた。

「耳飾りをつけてください」

 僕の告白に彼女は目を見開いた。驚き顔で僕の顔と掌の上の箱を見ている。

 あぁ、心臓が爆発しそうだ。

 箱と同色の、細い花弁をかたどった一対のイルニの花の耳飾りに、恐る恐るといった様子で彼女が手を伸ばした。

 困惑と、戸惑いなのか、耳飾りに触れた彼女の手が細かく震えている。

 耳飾りの一つを、彼女は手に取って、また僕を見た。

 明らかに迷いが見て取れる。

「君の気持ちのままで」

 僕が言うと、彼女はうんとうなずいて、決めたみたいだ。

 彼女が耳飾りをそっと顔の高さに持ち上げた。彼女は首を左に少し傾けた。

 それは、右耳につけるってことか。

 そっか、友達、か。

 そう思った時。

 遠くから悲鳴が聞こえた。それも複数の。

 なんだ? と考える間もなく、たくさんに人達のいろんな声が押し寄せてくる。

「化け物だ!」

 はっきりと聞こえた声に戦慄した。なんで、町の中にっ?

 いや今は安全を優先しないと。

 広場を見ると、逃げてきた人達と元からいる人達が入り乱れて大変なことになってる。

 でも化け物の姿は見えない。

「上からくるぞ!」

 えっ。上?

 見上げると、翼をはためかせて魔物が上空で広場を見下ろしている。

「こっちだ」

 僕は彼女の手を取って、林へと走った。上空からの襲撃なら、木が生えているところの方が隠れやすいと思ったんだ。

 林の中で彼女と身を寄せ合って息をひそめる。遠くに見える広場では駆けつけた兵士が空中の魔物と果敢に戦ってる。

 よかった。これなら広場を迂回して町の中央に戻っても大丈夫だろう。

 僕は彼女を立たせて道順を説明して、移動し始めた。

 もうすぐ林を抜ける、って時に、後ろから獣のうなり声みたいなのが聞こえた。

 振り返ると、黒い四つ足の魔物が、そこにいた。

「ひっ」

 彼女が驚いて悲鳴を上げて、足を止めてしまった。

「走るよ」

 僕が彼女の手を引いても、恐怖で固まってしまったのか彼女は動かない。

 そうしてる間にも魔物はこっちを睨みつけながらゆっくりと近づいてくる。

 怖い。けど、彼女を守らないと。

「助けてくれ!」僕は目いっぱい叫んだ。「こっちにも魔物がっ!」

 僕の声がきっかけになったのか、魔物が跳びかかってきた!

 もう怖いとか言ってられない。僕は両手を前に出して魔物を受け止めようとした。

 右手に激痛が走った。

 彼女の叫び声。

 魔物は僕の右側に着地して、まだこっちに牙をむいている。

 そいつの牙、口の周りが、赤い。

 血だ。

 口の中に何かある。くわえてる。

 僕は自分の手を見た。

 右手首の先がなくなっている。

 あ、手首やられたんだ。

 そう思ったら頭がくらくらしてきた。

 魔物の黄色く輝く目が、少し迷ったように見える。くわえた手首をどうしようか考えてるんだろうか。

 とにかく手どころか手首から頭まで、どこが痛いのか判らないぐらい痛い。

 きっと僕はもう走れない。動けない。立ってるだけがやっと。

「逃げて」

 僕は後ろの彼女に言った。

 言ったけど、頭が割れるほど痛くて、彼女がどうしたのか感じ取る余裕もない。

 涙でぼやける視界の中で、四つ足の真っ黒な魔物は僕の手を吐き出して、また僕を見た。

 あぁ、とどめを刺してから食う気か。

 それならせめて、一発で殺してくれよ。

 そんなふうに考えながら僕は意識を手放した。


 目が覚めたら、僕は治療師の家の寝具に横たわっていた。

 助かったんだ。

 と実感して同時に右手を見た。

 あれは夢か幻で僕の右手は無事。

 なんてことはなかった。

 包帯を巻かれた手首の先は、ない。

 部屋の扉が開いた。花瓶を持った彼女が驚いた顔をして、嬉しそうに笑った。

 花瓶の中にはイルニの花が、たくさん。彼女はそれを枕元に置くと僕に抱きついてきた。

 あぁ、よかった。彼女も無事だったんだ。

 けれど僕は彼女に振られるところだったんだなと思うと苦しくなる。

「あなたが目が覚めたら、ちゃんとお返事をしようと思ってたの」

 彼女はそう言って衣嚢いのうからあの耳飾りを出してきた。

 今度はためらいもなく、左耳に着けた。

 えっ?

 驚く僕の目の前で、もう一つを右耳に着けて彼女が微笑む。

 すごく、きれいだ。大好きな笑顔だ。

 もちろんすごく嬉しかったけれど、同時に申し訳なく思った。

「僕は右手を、利き手を失ったんだよ。これから店をやっていけるかどうかも判らない」

「だからこそわたしが支えていくわ」

「すごく嬉しいけれど、もしも僕が君をかばったからこうなったんだって気持ちなら、それは考えないでほしい」

 彼女は途端にむっとする。

「考えるわけないでしょっ」

「そうなのか?」

「……ごめんなさい、ちょっと考えました」

 照れ笑いする彼女が可愛らしくて、僕も噴き出した。

「でもあの時、君は本当は右耳からつけようと思ってたんじゃないのか?」

「ううん。緊張して『わたしも好きです』がどっちだったか一瞬忘れただけ」 

 なんだ、それっ。

「こんなそそっかしいわたしだけれど、いいの?」

「もちろん、君がいいんだ」

 彼女が僕の胸に飛び込んできた。耳飾りのイルニと、枕元のイルニの花の赤色が、太陽の日差しを受けて柔らかく光っていた。



(了)



 Twitterの「こんな話を書いてほしい」というつぶやきから一部抜粋。


 設定:

 異性に「耳飾りをつけてください」と頼むのは愛の告白、という風習で左耳からなら「私も好きです」右耳からなら「お友だちで」というお返事の仕方をする国。

 更に薬指に指輪で「結婚してください」になり、既婚者は耳飾り、指輪は同じモチーフのものをつけている。

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