イムルと森の妖精
イムルは、かわいらしい見かけとは似つかず、とてもわんぱくな男の子だ。いつも友達のアザセと一緒に学校の近くの森を拠点に日が暮れるまで遊び回っている。探検ごっこや剣士ごっこと称して、木の棒を振りかざしながら森の奥の方へと進み入って、親や先生に叱られるのが日常茶飯事だ。
「イムル、また森の奥の方に行ったんでしょう。まぁまぁ、そんなに服を汚して。あ、やっぱり破れてる。これで何枚目かしらね」
母親は、夕方の空が徐々に東側から藍色に呑まれて行く中、門の前に腕組みをして立ち、帰ってきたイムルをたしなめる。
これだけわんぱくな息子を、なぜもっと厳しく叱らないかと言うと、イムルは他人に乱暴なことをするわけでもなく、勉強も他の子には少々遅れを取るものの、落第するほどでもないからである。
男の子は少々わんぱくな方がいい、と父親がイムルの味方についているのも理由の一つであった。
冒険心が強く、たくましく育つ方が芯の強い大人になるだろう。人様に迷惑をかけるわけでなければいい、というのが父親の教育方針で、妻である母親もそれに従っていた。
ただ、森の奥には危険が多い。野生の動物に襲われでもすれば、子供ではとてもではないがかなわない。懸命に走っても逃げ帰ることはできないだろう。
母はそれがとても心配であった。
「わんぱくなのはいいわ。でも森の奥には入っちゃだめ。何があるか判らないのよ。言うこと聞かないと、おうちに帰ってこれなくなっちゃうわよ」
懇願にも似た顔で母は言う。
「ごめんねお母さん」
イムルは、丸く大きな目をくるくると動かして母親を見上げた後、ぺこりと頭を下げる。
本人は意識していないが、元気の良さとは対照的な、このかわいらしいしぐさもあって母親はついつい許してしまう。
(でもね、楽しいんだ。森で遊ぶの)
母親に謝った後、自分の部屋で一人になったイムルは、ついつい森の奥に入って行ってしまったことを反省しつつも、楽しかった遊びを思い出しては、にこにこと笑う。
従順に親の言うことに従ってきただけの幼児期を脱し、少年の域に到達したイムルは、母に申し訳ないと思いつつも、ほとぼりが冷めたか冷めないかの数日後にはまた、学校から帰るや否やアザセとともに森に入っていくのである。
待ち合わせの曲がり角にイムルは走っていくと、もうアザセが立っていた。
わんぱく友達のアザセも、母親に対するちょっとした反抗心から、何度叱られても懲りずに森での遊びをやめるつもりはない。
見かけはかわいらしい、大人しい印象のイムルと、見るからにわんぱくなアザセがとても仲良しであることに、学友達も親たちも、ただただ首をかしげるのだ。
「今日もまた、かーちゃんに怒鳴られたよ。『奥の方まで行くんじゃないよ!』って、どこに遊びに行くとも言ってないのにさ」
「でも、今日も行くんだよね?」
イムルが尋ねると、アザセはそばかすの浮いた頬を指で軽く掻きながら、「あったりまえだろ」と答える。
二人は笑って、駆けだした。いつもの森へと。
入り口付近ではまだ木々の間隔が広く、陽の光も届いていたが、奥に入っていくとだんだんと暗くなってくる。
そこここにそそり立つ大木と、その周りの、つき従うような細い木々が、まるで王族と騎士団のようだ、とイムルは思う。
昼間でも薄暗く、足元もでこぼこだが、二人は庭を駆けるみたいに何の苦もなく突き進んでいく。それもそのはず。すでにここには何度も来ていて、木の根っこの張り方や、地面の凹凸を把握しているのだから。
しかし、ふとイムルは違和感を覚える。
「あれ……?」
立ち止まって、辺りをきょろきょろと見た後、もう一度、進もうとしている先を見る。
「どうした?」
イムルがついてこないことに気づいて、アザセも立ち止まり、振り返る。
「いつもと、ちょっと違う」
「違う? 何が?」
「この先、なんかいつもと違うんだ」
どこが、なにが、と具体的なことは言えなかったが、イムルは自分の感じた通りを言葉にする。
抽象的なイムルの答えに、アザセは首をかしげる。
「でもほら、ここの木の印は三日前に俺がつけたものだぞ」
アザセはすぐ近くの木の幹に、自分がとがった石で引っ掻いてできた傷を見つけてイムルに向き直った。表情が、別にどこも違わない。いつもの森だと言外に語っている。
気のせいかな? とイムルも気を取り直して、アザセにうなずいた。
しかし、イムルが感じた違和は現実のものとなった。
ふと気がつけば、見覚えのない景色の中に二人はいる。
「あれ……? ねぇ、ここ、どこ?」
イムルの不安そうな顔と声に、石と木の枝を使って基地づくりに夢中になっていたアザセも顔をあげる。
「なんで……。俺ら、いつものコースでいつもの場所に来ただけだろ?」
生い茂る木々が彼らを遠巻きに取り囲んで見下ろしているかのようだ。いつもは、まだこの時間ならうっすらと陽の光が射してきているのに、真上を見れば青空が枝葉の隙間から覗くものの薄暗い。
それでいて辺りを、ほんのりと光が照らしている。よく見れば、木には苔がたくさん生えていて、なんだかその苔がぼんやりと光っているみたいに見える。
綺麗、と感じる心と裏腹に、イムルは恐怖も覚えた。
『言うこと聞かないと、おうちに帰ってこれなくなっちゃうわよ』
少年のわんぱくをたしなめる母親の常套句が、イムルをちぢみあがらせる。
「ど、どうしよう、アザセ。ぼくら、うちに帰れないかも」
イムルの切羽詰まった声に、それまでは興味深そうに周りを眺めていたアザセも、不安をあらわにした。
「そんな……、そんなことないだろ」
アザセは、ぶるっと一つ震えると、くるりと後ろを向く。
「そうだ。もと来た道を戻ればいいんだよ。ほら、行こう」
手を取られ、引っ張られ、イムルは涙目でアザセの手を握り返して足を進める。
だが、見たことのない幻想的な景色が元の森に戻ることもなく、やがて空気がひやりと冷たさを増すのを感じる。
こうなるともう、子供達の胸には恐怖しかない。
「いやだ、いやだよぅ。お母さんごめんなさい!」
イムルは泣きながら、母に詫びる。普段は絶対に泣かないアザセもイムルに釣られるように声をあげた。
「もういいつけ破ったりしないよ。俺らをここから出して!」
恐慌状態の子供達は無我夢中で見知らぬ景色の中を駆けた。
どれくらい走っただろうか、イムルもアザセも疲れ果て、大きな木の根っこに腰を下ろした。
森の中の木々は、やはりうっすらと光っており、いつも見る光景ではなかった。
(僕らは、おとぎ話の主人公みたいに、知らない別世界に迷い込んだのかもしれない)
どこからか、何かの鳴き声がする。動物だと思うが何なのかまでは判らなかった。
そう言えば、森の奥には他の動物を襲う動物もいると聞いたことがある。もちろん人間とて例外なく襲われる。準備もなしに入っていくと、食い殺されても不思議ではない。
アザセもその話を知っているのだろう。膝を抱えて顔をうずめ、小刻みに震えている。
いつもは頼りになる相棒のそんな姿に、イムルは涙目になって、それでもどうにか帰り道を探そうとした。
「うん? 人間の子供か? こんなところで何をしておる?」
ふと聞こえたしわがれ声に、イムルはびっくりして飛びあがった。
声の方を見ると、背の低いおじいさんが、斧を手に立っている。ずんぐりとした体に長いひげを蓄えた彼は、まるでおとぎ話の小人族のようだ。
イムル達は驚き、ぽかんとおじいさんを見つめた。その後でじわじわと思いだされる恐怖でまた顔がこわばってくる。
二人の様子を見ていたおじいさんは、ほっほっほ、と笑う。
「心配せずとも、とって食いはせん。見るに、迷い子だな? どれ、しばらくワシの家に来るがいい」
イムルとアザセは顔を見合わせた。この周りの景色ほど怖くはないが、かといって、このおじいさんを信用してついて行っていいものかどうかはまた別問題だ。
「脅かすわけじゃないがの。今このあたりには、お主らにとって危険な精霊達も割拠しておるでのぅ。初対面のワシに警戒するのはよいことじゃが、そ奴らに見つかれば警戒するまでもなく命を取られるやもしれぬぞ」
おじいさんが、朗らかな顔でさらりととても怖いことを口にしたので、イムルは体が縮みあがった。
「お、おい、とにかく、行こうぜ。ここにいる方が危険っぽい」
アザセも、よほど怖かったのだろう。あからさまに声を震わせてイムルを突っついた。
子供達の反応を見ると、おじいさんはまた、ほっほっほ、と笑ってくるりと背を向け、とことこと歩きだす。
二人は、おっかなびっくり、おじいさんの背を追った。
小人のおじいさんについて行くと、ひときわ大きな木の根元に木の扉がついているのが見えた。
イムルはふと首を傾けて木の幹から梢を見上げた。今まで見たこともないような巨大な木がイムルを見下ろしている。幹の方には周りと同じく、うっすらと光る苔がついていて明るいが、梢の隙間からはもう空の青が見えなくなっていた。
(夜になっちゃったんだ。お母さん心配してるだろうな)
ふと母親のことを思い出して、また不安になる。
「おい、入ろうぜ」
感傷的になっているイムルの袖をアザセが引っ張った。彼の顔には不安はなく、安全と言われる場所に落ち着ける安堵と、それ以上に見知らぬ場所への興味が見えた。
視線をアザセの先に向けると、扉を開けた小人のおじいさんが柔らかい笑みを浮かべて二人を見ている。
とにかく今はこのおじいさんの言う通りにしておいた方がよさそうだ、とイムルはうなずいて、子供達は木の幹の中へと身をかがめて入っていった。
幹の中の家は、とても快適そうだった。
ランタンの柔らかい明りに包まれて、切り株の机といす、部屋の端にはベッドもある。何かの動物の毛で作られたクッション部分がとても柔らかそうで、思わず飛び乗りたくなるほどだ。
「おじいさんは、ここに一人で住んでいるの?」
イムルの問いかけに、小人は、ほっほっほ、と笑ってうなずいた。
「そうじゃ。ワシは樵をしておる」
「今日、精霊がいるって言ってたけど、それ本当?」
「本当じゃとも。ほれ、窓からそっと外を見てみぃ。そっとじゃぞ」
言われて、イムルもアザセもおっかなびっくり、でも興味を抑えきれず、窓に静かに駆け寄った。
こっそりと外を覗いてみると、ふわふわと何か光るものが、あちこち飛び交っている。
よくよく目を凝らしてみると、動物や人の形に見えなくもない。
「あれが、精霊?」
「そうじゃ。今夜は精霊の祭じゃ。お主らのような『人』にとっては悪しき精霊も来ておる」
小人のおじいさんは、言いながら、ゴブレットに飲み物を注ぎ入れて、二人の前に出してくれた。
「祭はもうしばらくで終わる。それから森の外まで送ってやろう。これでも飲んで、待っておるがいい」
イムル達はお礼を言って、木の実をしぼったというジュースを飲みながら、おじいさんと話をした。
小人のおじいさんは、自らを妖精だと名乗った。普段は人間には見えないが、この特別な夜に、イムルとアザセには見えたのだろう、と。
「ワシらは、この森を好いておる。だから守っておるのだ。人間があまり深く立ち入れないように、な」
「おじいさんは、人間が嫌い?」
「嫌いではないぞ。だがな、住む世界が違うのじゃ。人間同士も、互いが立ち入るのを許す距離があるじゃろう? それと同じことじゃよ」
イムルは、よく判らないが、なんとなく判った気がした。
他にも、いろいろと話した気がする。
しかし、気づけばイムルは眠っていた。
夢の中で小人の妖精が言う。
「もう会うこともあるまい。しかしお主らが森を大事にしてくれるなら、妖精らの加護があるじゃろうて」
はっと目を覚ますと、森の入り口にアザセと背中合わせに座っていた。
日はすっかり暮れ、夜の帳が辺りを包む中、イムルとアザセを呼ぶ大人達の緊張した声が聞こえてきた。
きっとすごく叱られる。そう思うと憂鬱で怖い。
(けれど帰らなきゃ。ぼくたちの住む世界に)
イムルはアザセを揺り起こしながら、大人達の声に、大きな声を返した。
「なぁ、イムル。……内緒、な?」
目をこすりながら立ち上がったアザセが言う。
森で見た秘密も、この森も、守って行かないといけない。
イムルは力強くうなずいた。
きっと、アザセも同じ気持ちなのだろう。
か弱い少年は、少しだけ、大人に近づいた。
(了)
サイト開設記念リクエスト
お題:森の奥の小さな家
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