メッセージ

 指輪がない。

 いつものようにジュエリーケースを開いて中を確認したわたしは、その異変に驚きに目を見開いた。


 彼が大学生の頃から、わたし達は付き合ってた。

 いつもお金がないってひーひー言ってる彼に、短大を出て社会人になって、ある程度自分のお金を持つようになったわたしは多くを求めなかった。ただ一緒にいて、楽しく遊んで笑いあって、それだけで幸せだったから。

 でもあの年の誕生日だけは、おねだりした。

『ねぇ、指輪ほしいな』

 金がないから、いいのが買えないとしぶる彼に、どんなのでもいいから、ってわがまま言ってもらった指輪。

 フリーマーケットで買ったらしい、いかにも安物で、手入れしててもすぐにコーティングがはげて錆びが浮きそうな指輪だったけど、すごく嬉しかった。

 ずぅっと右手の薬指につけてて、ずぅっと彼と一緒にいるみたいで幸せだった。

 でも、彼とはその次の年に、別れた。

 彼も大学を何とか卒業して、社会人になって、これでもうちょっと大人らしいお付き合いができるって思ってたのに。

『おまえの「我慢してやってる」って態度が、気に障ってた』

 別れる時に言われた彼の言葉は、かなりショックだった。わたしそんなつもりはなかったのに。

 でももしかしたら、知らず知らずにそういうのが表に出てたのかもしれないね。

 だから反論せずに別れた。

 いつかまた再会して、もしもまた付き合うことになれたらって変な期待しちゃってた。

 あの誕生日にくれた指輪は、指からはずしちゃったけど、また会えた時にいい思い出話ができればって、ジュエリーケースに入れて取っておいた。


 それが、なくなってる。

 昨日まで確かにあった。

 じゃあ、朝ちょっとお部屋の片付けをした時にケースを動かした時に落ちちゃってたのかな。

 わたしは、部屋の中を探した。普段掃除しないようなタンスの後ろや机の横の隙間なんかにも懐中電灯の光を当ててじぃっと目を凝らすけど、あるのはほこりだけ。

 ほこりをハンドクリーナーで取り除きながら、カラカラって音がしたらすぐにスイッチを止められるように緊張して耳をそばだてて、スイッチの上に乗せた指を緊張させていた。

 けど、それらしき音もしないし、鈍く光る物体もない。

 まさかまさか、落ちてるのを知らずにけっとばしてしまって廊下に転がってるとか。

 そんな間抜けな仮説にもすがる思いで廊下も隅々まで探した。

 けど、ない。

 あぁ、もうあれは戻って来ないんだ。

 ふとそんな確信めいたことを思って、ぺたんと廊下に座り込んだ。

 彼と別れた時、悲しかったけど、まだ心のどこかで復活できるかもって都合よく考えて自分を慰めてどうにかしてた。まだこの指輪がある。指輪がまたわたし達をつなげてくれるかもしれない、とか。

 でもその指輪がなくなっちゃった。

 わたしの望みはしょせん独りよがりの妄想でしかないって、彼がいなくなって日が経つにつれて心のどこかで気づき始めてたけど、そんなことない、って指輪を見て元気づけてた。

 あぁ、もう彼は戻って来ないんだ。

 指輪と一緒に、消えちゃったんだ。

 わたしの望み薄な望みと一緒に。

 ……わたしのそばを離れることで、指輪がそれを教えてくれたんだ。

 目がしらがじんと熱くなって涙がこみあげてきた。

 彼にフラれた時にも泣かなかったのに、指輪がなくなってから泣くなんて。

 夜の廊下はしんしんと冷える。

 わたしはうつむきながら自分を抱きしめて、声を殺して涙した。冷たい床に心からこみ上げる熱いしずくが落ちる音が小さく聞こえた。


(了)



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 お題:夜の廊下で主人公が泣く 指輪が出てくる

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