青い影は成長したか

 彼とケンカした。

 ううん、わたしが爆発しちゃった。

 昨日、誕生日の朝、おめでとうメールは送った。返信がないのは仕方ない。見てくれてるなら、ちょっとでも喜んでくれてたならいいな、ぐらいに思ってた。

 だからそれとは別にサプライズを用意したんだ。

 いつもアパートに帰ってくると一階にある自分の部屋の郵便受けを確認するから、そこにおめでとうカードを置いておいた。部屋の中に隠したプレゼントの場所も一緒に書いた。

 で、次の日に、つまり今日のお昼ごろ電話した。今日は休みだって聞いてたから。

『あー、なんだよ?』

 電話の相手がわたしだと判ると、すっごい眠そうでだるそうな声で彼が言った。これは今電話で目が覚めたって感じかなって予想してたけど、聞いてみた。

「昨日誕生日だったでしょ。プレゼント置いておいたんだけど、気づいた?」

『え? 知らない』

 あんまりにもそっけなかったから、一瞬胸が苦しくなった。

「知らないって、じゃあカードは? 見た?」

『カード?』

「郵便受けに入れといたの」

『あぁ、昨夜、チェックしてなかった』

 全然悪いって思ってない、ううん、面倒くさいことを言うなって声だった。

「じゃあ、直接渡すよ。今日空いてるよね?」

『今日……、いや、無理。これから会社の人と会うから』

 何それ。彼女ほったらかしで会社の人と会うんだ。

 むかっと来た。

「あ、そ。判った。じゃあ判りやすいとこに置いとくから。後で見といて」

『うん、ごめんな』

 わたしの声が怒ったのに気づいて、さすがにマズいなって思ったのか、彼が謝ってきた。

 こういうところが、ちょっとかわいらしいんだよね、と気を取り直して、わたしは彼の部屋に行った。

 もう出かけた後みたいだったから、合鍵で部屋に入って、プレゼントを台所のテーブルの上に置いた。

 相変わらず散らかった台所だからちょっと片付けてあげて、せっかくだからおでんとか、日持ちのするものをつくっといてあげようかな、なんて張り切っちゃって、近所のスーパーで買い物してきて夕食を作って……。

 この時は幸せだった。

 でも。

 彼が帰ってきた。女の人と一緒に。

 彼はわたしを見てぎょっとなった。彼が何か言う前に、わたしはついに、爆発した。

「ふぅん、会社の人とデートだったんだ」

「いや、ちょっと待てよ」

「いいわけなんて聞きたくない!」

 わたしは部屋を飛び出した。

 で、今に至るって感じ。

 彼のアパートの近くの公園で、寒空の下でブランコに座って軽く揺らしてる、みじめなわたし。

 いつの間にか空は茜色から藍色に変わってて、わたしの周りの熱がどんどん冷えてくのが判る。

 寒いな。コートも鞄も彼んとこに置いてきちゃった。でもどんな顔して帰ればいいのかも判んない。

 きぃっ、きぃっと鉄が軽くこすれる音が、ブランコの立てる音じゃなくて、まるでか細く泣いて助けを求めてる声みたい。

 ふと足元を見ると、公園の青白いライトに照らされてできた、わたしの青い影。

 小さい頃、遅くまで遊んでたらママが迎えに来て、一緒に手をつないで帰った時のことを思い出した。

 あの頃は、この影が大きくなる頃には、なりたい自分になれてると思ってた。

 大好きなパパのおよめさんにはなれないって、すぐに気付いたけれど、それなら誰か優しい男の人と結婚して、子供もいて、笑いがたえない、うちみたいな明るい家族で……。

 その、誰か優しい男の人が、彼だって思ってたけど……。

 最初は優しかった彼。仕事が忙しくても休みの日には時間を作ってくれた。最近じゃ寝てる方がいいって電話にさえ出てくれないこともある。

 優しくない。

 優しくないどころか、浮気なんて、最低。

 ……寒い。体がぶるぶるっと震えた。

「よかった、見つかった」

 そんな声と一緒に肩にかけられた、わたしのコート。見上げると彼がいた。

「おまえなぁ。人の話も聞かないで飛び出すなんて。こんなところでそんな格好で風邪とかひいたら大変だぞ」

 呆れた声の彼。わたしのことを一番に気遣ってくれる、前のまま残ってる優しさが、冷たくなっちゃった心に痛い。

「わたしのことなんて気にしないで、あの一緒に帰ってきた人といればいいじゃない」

 つい憎まれ口を叩いてしまう。

「あの人は会社の人で、仕事の書類を取りに来ただけで、もう帰ったよ。おまえにもごめんってさ。カノジョに誤解させて飛び出させるぐらいなら部屋まで来ないでアパートの入り口のところで待っておけばよかった、って」

 本当? って思ったけど、判ってる。全然嘘じゃないって。

「ほら、マジ風邪引くから、とにかく部屋行こう」

 彼がわたしの手を握って、一緒にアパートに戻った。

 余韻で揺れてきぃきぃ鳴ってるブランコが、なんだかすごく寂しそうにわたし達を見送った。

「ごめんな。おれ最近おまえに甘え過ぎてた」

 部屋に戻って、彼がコーヒー淹れながら言った。

「なかなか会えないの、おまえがすっかり許してくれるもんだから、つい、居心地良くてさ。会えなくても大切にされてるのが当たり前になっちゃって。おまえのことほうったらかしすぎたな」

 彼がマグカップを持ってきた。あったかくていい香り。

「でもさ、話ぐらい聞けよ。急に走ってったら弁解の余地もないじゃないか。ってかまず心配だし」

 それは、うん、わたしが悪かった。

「……ごめん」

「うん。それと、プレゼントありがとう」

 彼が大事そうにプレゼントを手にしているのを見て、涙が出てきた。

「わー、泣くなよ。あ、ほら、せっかく作ってくれたおでん食おう、な?」

 彼の慌てた様子に、泣きながら笑っちゃった。


 おでんを食べて、彼が家まで送ってくれた。

 もうすっかり仲直りできて、よかった。

 彼の車が行ってしまって、わたしはまた足もとを見た。

 月明かりに照らされてできた青い影。あの頃より大きくなった、わたしの影。

 わたしはなりたい自分になれてるのかな。

 優しさって難しいよね。相手のことを気遣ったつもりなのに伝わってなかったりする。

 わたしは彼が喜んでくれればって、我慢したり、張り切ったりしたけど、……たまには彼がそんなわたしに気づいて、ありがとうとか言ってくれるのを期待してたところも、あるんじゃないかな。

 それって本当の優しさじゃなくて、結局自分のためにやってることなのかも。

 でも彼が心地よく思ってくれたら、って思ってたのも、本心なんだよね。

 誰のために、何のために、わたしは生きてるんだろう。

 判んないことばっかりだけど。

「彼のこと、大切にしたい」

 この気持ちだけは、大事にしていきたいな。


(了)


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 お題:足元に青い影を見る

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