サスペンス
ついてくる
ほろ酔いの体に、電車の揺れってすっごく心地いい。
終電間際の電車に乗って、空いてる席を陣取ると、わたしらは家に向かっていた。
今日は金曜日。職場の友達らと飲み会だった。仲のいい子ばっかだから、ついついいつもよりたくさん飲んで、いつもより話にも花が咲いた。
友達に彼氏ができたとか、いい話もあったけど、やっぱ最後は職場の話題になるんだよね。それも愚痴と悪口。
まぁきっとそんなもんだよね、どこのグループも。
そろそろ帰らないと、ということになって店を出て、みんなできゃーきゃーと楽しい雰囲気を引きずりながら電車に乗った。
友達が、一人、また一人と電車を降りてく。さすがに三人くらいになると、酔いがさめてきたこともあって、テンションも下がってくる。
その頃になって周りの人達の視線がちょっとイタいなって気付いたけど、気にしない、気にしない。たまには羽目外しちゃってもいいじゃない。
そういう言ってる間に、わたしが降りる駅へと電車が到着。
「それじゃあ、また月曜ね、ばいばーい」
最後の一人にならなくてよかったかも、なんて、友達には悪いなぁと思いつつほっとして、電車を降りた。
さすがにこんな時間になると、ホームにはほぼ人がいない。
駅のあたりはわりと開けてるけど、少し行けばすぐに住宅街で、しかも金曜日の、こんな日付が変わる間際の時間帯に帰ってくる人は少ない。わたしだっていつもはちゃぁんと、二十代前半の女の子がふつーに帰ってくる時間に、帰ってくるんだから。
電車が走り去ってしまうと、途端にホームは静かになる。数人の足音がまばらに聞こえるくらいだ。
夜中のホームって、なんか寂しくて、怖いな。
早く帰ろ、と足を速めたら、ホームの屋根に、急にぱらぱらっという音。
えっ? 何? と思ったら、地面に水が跳ね、つんと鼻をつく雨独特の匂い。広がってく水のしみはすぐに地面の色を濃く染めていく。
「あぁ~、最悪~」
ちっちゃな声でつぶやいて、出口に通じる階段を上った。
改札を抜けて、さて困った。傘がない。
家まで歩いて十分ほど。この雨の降り方だと結構濡れちゃうよね。
でも夜中まで遊んで帰ってきてるのに傘持ってきてなんて家族に言ったら、家の中で雷が落ちそう。それはマジ勘弁。
贅沢してタクシーでも乗ろっか。
空と、落ちてくるたくさんの雨粒を睨んで、そう決めるとタクシー乗り場に向かった。
……嫌な予感は、ちょっとしてたんだけど。タクシーが一台も停まってない。しまった、先に降りた人達にやられた。もっと前の車両に乗っとけばよかったなぁ。
多分タクシーは行ったばっかり。いつ帰ってくるか判らない。待ってもいいけど、「午前様」になったらお父さんうるさいしなぁ。
しょうがない。覚悟を決めるか。
かばんを頭の上に掲げて、雨の降りしきる道へと、駆け出した。
あーあ、髪濡らしたくないのに。頭のてっぺんはかばんで防げても、肩から背中の真ん中あたりまで伸びたストレートヘアまでは隠せない。自分で言うのもなんだけど結構手間かけて綺麗にしてるのに。
もちろん他のとこだって濡れたくないけど、雨は遠慮なくブラウスからしみ込んでくるし、走る足が蹴り散らかした道路の水がスカートや脚にかかっちゃう。
ああ、もう、帰ったらすぐにシャワーだ。
パシャパシャ、……パシャ……。パラパラ……。
雨がはねる音だけが、しんと静まり返った住宅街に響いてる。
少ない街灯を頼りに家へと走ってると、なんだか変な感じがして、今まで不満たらたらで走ってたわたしは、ふと速度を緩めた。
雨の跳ねる音が、後ろから聞こえた気がした。
わたしの後ろに、誰もいなかった、はずなのに。
ゆっくり歩きながら、ちらと後ろを見てみる。
……うん、誰もいない。
なんだ気のせいか。
また走りだす。早く帰んなきゃ。
……パシャ、パラパラ……。
えっ? また? 後ろから雨が跳ねる音。今度は、ちょっと離れたところに人がいる感じまでする。
何なの? 追いかけられてる?
って、考えすぎだよね。たまたま帰る方向が一緒な人がいるだけ、だよね。
でも暗いところで訳のわからない物音を聞いたら、やっぱ、怖い。
――そう言えばちょっと前に、ここから三つほど離れた駅の近くで事件があったんだっけ。若い女の子が刺されたとか。
うわー近所の事件だ、物騒ー、くらいにしか思ってなかったからあんまり詳しく知らない。犯人、男だっけ? 捕まってないんだっけ? 通り魔なのかな。だったらわたしも危ない?
嫌なことを思い出しちゃった。雨にぬれた寒さだけじゃない。心臓をぎゅっと捕まれたみたいな感じがして、体が震える。
降りしきる雨の音、冷たい。寒い。
後ろの足音、やっぱり聞こえる。けど怖くて振りかえれない。
家まであと五分くらい。このまま走りきっちゃおう。もうかばんを頭の上に乗っけるなんて悠長なことやってらんない。
無我夢中で、走った。
でもあんまり運動なんて慣れてないから、足が痛くなってきちゃった。そんなにかかとの高くない靴だけど、スニーカーとかじゃないし、走るのに向いてないよ。
それにお酒入ってるし、醒めたと思ってたのにひどく酔いが回ってきた。
曲がり角を折れたところで、息切れして立ち止った。
後ろの足音、近づいてくる。くっついてくる。
走ってるわけじゃなさそうだけど、こっちに来るのが判る。
もう思いすごしなんかじゃない。絶対わたしを追っかけてきてる。
どうしよう。
心臓ばくばくいってる。走ったのと、怖いのとで、どうしようもないくらい。
早く逃げなきゃ。
でももう走れない。
……けど、待って。勝手に通り魔とか思ってるけど、違うかも。そうだよ。わたしの想像にすぎないんだもん。
足音はまだちょっと遠い。曲がり角の壁にぴったりくっついて、しゃがんで、そっと覗いてみた。
傘さして歩いてる人が、いる。
顔は傘で見えないし暗いからよく判らないけどスーツ着た男の人っぽい。
速足で、こっちに向かって――。
あれ、曲がってった。
なんだ、なぁんだ! 違った! よかった……。
もう、涙出てきちゃったよ。あはは。一人で勝手に怖がって損しちゃった。
もう安心、と立ちあがって家へ向かおうとしたら。
「わっ」
思わず声が出ちゃった。だって目の前に赤い傘持った人が立ってるんだもん。後ろの人ばっかり気にして、全然気づかなかった。
「あ、しゃがんでたから大丈夫かなって思ったんですけど……」
相手の女の子、と言っても歳は多分わたしとそう変わらないくらいの人が困ったような声で言う。街灯の明かりが傘で陰になっちゃって顔はよく見えないけど、大人しそうな感じかも。
「すみません。走ってて、息切れしてしまって……」
通り魔がいるかもしれないから怖くて、なんて、ちょっとかっこ悪いから言えない。
「雨、ひどいですからね。よかったら一緒に傘に入って行きますか? わたしの家、近所なんです」
女の人は傘を差し出してきた。
せっかくだから厚意に甘えよう。体も疲れてるし、精神的にもかなりまいっちゃったから。
世の中、そう捨てたものじゃないよね。
「結局送ってもらっちゃって、ありがとうございます」
「いいえ。わたしもここの近所なんですよ」
そう言って、彼女はにっこりと笑う。
ん? 近所?
それにしては見覚えないけどな。
まぁ、ご近所さんの全員を覚えてるわけでもないんだけど……。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『先月に起こった連続通り魔事件において、警察は市内に住む二十五歳のOLを殺人容疑で逮捕した。
容疑者は二番目に殺害された被害者と犯行前日の夜に偶然道で会った際、次の殺害目標に定め、雨天を利用し家まで送り届けたと供述している。
また、犯行の動機は日ごろのストレスと述べ、「とんでもないことをしてしまった。反省している」と反省の弁を口にしている』
(了)
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