異世界
臥薪嘗胆
少女を一目見た時、男は恋に落ちた。
まず目を引くのは愛くるしく大きな金の瞳。その瞳だけでも十分に男を魅了する力を持っていたが、少女は天より二物どころか、その身にあまるほどの寵愛を与えられていた。
ふっくらとした桃色の頬は健康的で、亜麻色の髪はゆるくカールして華奢な肩にかかる。バラ色の唇はみずみずしく、今すぐ跳んで行って口づけたいほどだ。
笑顔はまるで天使。丈の長いドレスに納められている体のラインは成人女性のそれではないものの、ゆっくりと大人の階段をのぼる途中の、独特のアンバランスさが奇妙な色気を醸し出している。
男は、ほぅとため息をついた。あぁ、彼女が私の妻になるなら、私は何でもしよう、と。
しかし少女は豪商の娘。小さな店をやっとの思いで切り盛りする男にとって雲の上の人だ。少女の父親は娘の結婚相手はそれ相応の身分の男にと公言している。彼の性格からして、意にそぐわない男との結婚など認めない。娘をくださいと言おうものなら、袋叩きにあうことだろう。下手をすれば街を追い出される。
そこで男は考えた。父親を騙せばいいのだ。陥れればいいのだ。
そうすれば、あの少女は私のものだ。
どうすれば娘を手に入れられるのか、男は考えに考えた。
そして男は八方手を尽くし、一年かけて、禁断の薬を手に入れる。
体に残らない毒薬。これを商人に飲ませればいい。
男は屋敷に忍び込み、大商人が夜ごと嗜む酒に毒薬を混ぜた。
寝心地を良くする酒は、その日、彼を常世の国へといざなった。
眠るようにこと切れた商人の、机の引き出しに、罪深き男はあらかじめしたためておいた手紙をそっとしまった。
――我が娘、アリッサは、マーデルと結婚させる。
手紙は、商人の筆跡をマーデルが真似て書いた遺書だった。
かくてマーデルはアリッサを手に入れた。
何も知らないアリッサは、父の願いならとマーデルとの結婚を受け入れた。
しかし、父をきちんと供養して喪が明けてからでないと結婚はできない、と言う。
それくらいなら待ってもいい、とマーデルは承知した。
もう望みの者は手に入れた。後は待つだけなのだから。
そして三月ののち、マーデルとアリッサは結婚式を挙げた。
純白のドレスに身を包んだアリッサはとてもきれいで、しかしどこか憂いを帯びていた。
「お父様に、この姿を見せたかった」
「きっと見ていてくださっているよ。幸せになることが、お父様への供養だよ」
可愛い新妻の顔を曇らせたままではいけないと、マーデルはそっとアリッサに口づけた。
夜、二人の屋敷となったアリッサの家の、彼女の寝室。
初めてアリッサを見て、一目ぼれしてから一年あまり。ようやく彼女を名実ともに自分のものと出来る。そう思うとマーデルは踊りだしたい気分だった。
月の光に照らされ、美しく微笑むアリッサのドレスの肩をするりと落とすと、すべらかな肌が露出する。
マーデルは微笑みを浮かべ、甘くかぐわしい体を抱きしめた。
熱い情熱は、耐えがたい痛みにかき消される。しかしそれも一瞬のこと。
マーデルは何が起こったのか判らずに、いとしい人を抱きしめたまま、命の炎を吹き消された。
力なく床に倒れるマーデルに、アリッサは酷薄な笑みを落とした。その手にはおどろおどろしい装飾を施したナイフ。マーデルの血を吸ったことで、刃の部分が赤く光っていたが、不思議なことに血液が刃にしみ込んでゆく。しばらくすると、その刃はガラスのように透明になった。
「お父様の、仇……」
アリッサは見ていた。あの日、マーデルが忍び込み、父の酒に毒を混ぜたところを。
彼女は何も知らないふりをしてマーデルの目を欺き、こっそりと、呪いのナイフを手に入れていた。
月が隠れてゆく。今宵は月食。
月が完全に翳にのまれ、闇に支配された世界に、魔物が舞い降りた。
「契約はおまえの死をもって完全に果たされる」
耳障りな声に、アリッサは極上の笑みで、うなずいた。
再び月が世界を照らす時、部屋には、欲望の末に愛する女に命を奪われた、哀れな男の躯が残るだけだった。
(了)
お題バトル参加作品
提出お題:アンファンテリブル アリア 花嫁 臥薪嘗胆 てんこもり パズル 遺跡 夢 硝子 寄生虫 紫陽花 月食 ムーンウォーク
使用お題:花嫁 臥薪嘗胆 夢 硝子 月食
執筆時間:80分(20分オーバー)
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