癒しの温泉旅行

 俺はなんてラッキーなんだ。

 うまい料理に暖かい温泉。日頃の疲れを癒すに余りある贅沢だ。

 彼女が温泉旅行の招待券をくじで当てたから、と誘ってくれた。

「夕食はかに尽くしだって! 楽しみだよね」

 旅館で早速入浴の支度をしながら彼女が言う。

 混浴でないのが残念だ、と思いつつ、俺も着替えとタオルを持った。


 露天風呂は最高の眺めの中にある。

 眼下には青い海、海岸に打ち寄せる波がところどころで小さく白波をたてている。遠くには島が見え、そちらに向かって船がゆっくりと進んでいる。本当はとても速いのだろうが、この景色の中ではすべての動きが穏やかだ。

 ゆったりと湯につかりながら絶景を一望に収める。

 湯は熱すぎず、水質は軟らかめで肌に心地よい。

 あぁ、なんて贅沢。

 このまま、ずーっと浸かっていたくなる。

「ねぇ、そろそろあがらない?」

 なぜか彼女の声が聞こえた。女性の風呂も近くにあるんだろうか。


 部屋に戻ると浴衣姿の彼女が机の前に正座していた。湯上りの彼女はなんだか魅力的だ。

 そして机の上には、豪勢なかに料理の数々。

 うまそうだ。早く食べたい。

「ちょっとお待ちくださいね。まだ準備中ですので」

 ふと気付くと仲居さんが膳の支度をしている。

 あれ、これが全部じゃないんだ。

 その時。


 ピピピピ……、ピピピピ……。


 あれ、何の音だ? 鍋が出来た合図?


「……って、夢かよっ!」

 思わず起きざまにそんなツッコミが出るほど、目覚めたくない夢だった。

 あぁ、今日も忙しいんだった。仕事山積みだよ、と思うと夢の余韻が急速に冷めてゆく。

 ま、現実なんてそんなもんか。せめて夢の中でもいい思いが出来たんだからよしとするか。

 無理やり前向きに考えて、支度をして家を出る。

 いつものように駅に急いでいる途中で、ふと家の塀の上にいるネコを見つけた。真っ白で毛並みがよく、黄色の目がとても綺麗だ。

 塀の上に器用に座って、後ろ足で顔の横をかいている。かと思えば、前足をぺろぺろとなめて顔を洗い始めた。ひげが足で弾かれて、ぴんぴんとゆれている。目を細めて気持ちよさそうだ。

 おもわず立ち止まって、そのかわいらしいしぐさを眺めた。

 すると、ネコと目があった。

 逃げるかな? と思ったら、何を思ったのか、俺の足元にぴょんと飛び降りてきた。そしてごろんと仰向けに寝転んで、うにゃにゃっと鳴きながら体をくねくねとよじっている。

 うははっ。可愛いぞ。

 なんか朝からいいもの見た気分になって気持ちいい。

 温泉旅行にはいけなくても、ちょっと探せばいろんなところに癒しってあるよな。

 よーし、今日も頑張るぞ。

「おはよー!」

 あ、彼女だ。極上の笑みを浮かべて駆け寄ってくる。朝から元気だな。その勢いにネコも驚いて飛び上がるほどだ。

「あのねっ、聞いてっ! 温泉旅行があたったの!」

 ……もしかして、本格的な癒しはこれから?


(了)


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 お題:サラリーマンの癒し

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