路面電車

「路面電車に乗ろう」

 彼が唐突に言い出した。

「なんで?」

「今日は路面電車の日だから」

「はぁ? なんで?」

「一九九五年に広島で開かれた路面電車サミットで、六月十日を路面電車の日に制定したんだよ。六が路面で、十は、英語のテンから電車って語呂合わせ」

「……あ、そう……」

 最近付き合い始めた彼は、いわば鉄道オタクだ。てっちゃん、という軽い雰囲気の呼び方も嫌うような筋金入りのオタク。

 彼の鉄道関係の薀蓄が披露されはじめたら、わたしはもう相槌をうつしかない。そして正直、わたしにとっては鉄道の知識なんてどうでもいいことだった。

 普段はいい人っぽいけど、なんか疲れるのよね。やっぱ付き合うのやめたほうがいいのかなぁ。

 わたしがそんなことで頭を悩ませているなんてきっとつゆほども疑っていないだろう彼が、さっさと路面電車の乗り場に向かう。

「ほら、早く早く」

 そんなおっきな声でせかさないでよ。恥ずかしいじゃない。

 仕方がないから付いてった。

 大阪でもまだ残ってる路面電車。わたしたちが乗るのは天王寺駅前から我孫子あびこ道へと向かう路線だ。

「我孫子って大阪の地名の中でも難読だよね」

「そうだね」

 地名ってどうして難読なのが多いんだろうね。もっと読みやすくしたらいいのに。

 路面電車に乗り込んで、座席についてすぐに電車が走り出した。

 思っていたよりも速い。外から見る分にはもうちょっとゆっくりなイメージなのに。

 普段、歩いたり車の窓から見る景色が違って見える。そうか、視線の高さが違うんだね。

「チンチン電車、なんでチンチン言うん? どこにチンチンついてるん?」

 隣に座っている小学生のちっちゃな男の子が母親にしきりに尋ねてる。ああ、そういやチンチン電車って言うよね。

 母親は子供に何度も尋ねられて、ちょっと困った顔をしている。「電車の中では静かにしなさい」としかっているが子供は「えー、なんでー」とふくれっ面だ。

「昔はね、電車が走ったり停まったりするときに、鐘をチンチン鳴らしてたからだよ」

 彼がそっと子供に囁いた。

「へー。じゃあその鐘の音が違ったら、りんりん電車とか、ぴーぴー電車とかぷーぷー電車とかになったかもしれないんやね」

 男の子は、おもろー、と笑った。母親は彼に「ありがとうございます」と小さな声で言って頭を下げた。

 へぇ、オタクな知識もたまには人の役に立つんだ。

 ちょっと感心しちゃった。

 それからは特に何も話すわけでもなく、車窓からの景色を楽しんだ。

 電車はビル群を抜け、次第に景色は開けたものへと変わっていく。

「そろそろ降りよっか」

 彼が唐突に言い出す。そこは住吉大社の近くだった。

「お参りしてこ」

「初詣でもないのに」

「せっかくの路面電車の日だし、住吉大神さまに航海安全をお願い、ということで」

「路面電車は海はわたらないよ」

 わたしが笑うと、彼もそうだねと言って笑った。

 まぁ、もうしばらく付き合うのも、悪くないか。

 路面電車も、鉄道オタクな彼のことも、ちょっぴり見直したデートだった。


(了)


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 お題:路面電車

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