第75話 ヤケ酒とコンビニケーキとテープレコーダー

 我輩はおでんの屋台でヤケ酒をしていた。すでに一升瓶を二本空けていて、ほどよく酔っ払っていた。


 少々ろれつの回らなくなってきた口で、店主におかわりを頼む。


「オヤジ。もう一杯」

「お客さん、これ以上は身体に毒ですよ」


 屋台のオヤジが肩をすくめた。彼はスキンヘッドで樽みたいな体型であった。白い割烹着も相まって、まるで直立するアザラシである。


「いいからもう一杯だ」

「しょうがないですねぇ、これで最後ですよ」


 屋台のオヤジは渋々と日本酒をコップへ注いだ。


 我輩は注がれたばかりの日本酒を一息で飲み干すと、尻尾をビタンっと路面にぶつけた。


「なぁオヤジ、役立たずっていわれたことあるか?」

「嫁さんにいわれますね、たまの休みでゴロゴロしていると」

「我輩はなぁ、ついさっきいわれたのだ」


 ゴミ掃除の当番を真面目にこなしたのだが、夕暮れになってから不備が見つかり、花江殿が我輩に向かって『暮田さんの役立たず!』と罵ったのだ。


 地味にショックだった。そもそも我輩、花江殿に召喚されて地球にきたのだぞ。なのに真面目に仕事をこなした結果が『役立たず』では酷くないか? だからムキになって反論して、ひどい口論になって、長屋を飛び出して、今にいたる。


 店主が、遠くに見える線路をしゃもじで指した。


「お客さん。そろそろ終電の時間ですけど、大丈夫ですか?」

「心配するな。家は歩いて帰れる距離にある」


 長屋に帰るかどうかはわからないが、と心の中でつけたしておく。


「そりゃ結構ですが、ちゃんと帰れますか、そんなに飲んじゃって」

「当たり前だ。我輩は高貴なるグレーターデーモン族にして、魔界の二等書記官だぞ。酒ごときで帰宅困難になるなどありえない」

「こりゃダメだ……飲みすぎて幻覚が見えてる……もうお会計しちゃいますからね」


 おでんと酒の代金をお勘定となったのだが、我輩の手持ちでは微妙に足りなかった。


「オヤジ、百円足りないみたいだ。マケてくれ」

「こりゃまた微妙な額ですねぇ……家が近いなら、ご家族に迎えに来てもらって、足りない分を払ってもらったらどうです?」


 ご家族――長屋の花江殿か、それとも魔界の実家か? さすがに結婚もしていないのに花江殿を家族の選択するのは図々しい気がして、実家の兄上に頼むことにした。


 どうせまた説教されるんだろうなぁ。でも百円足りないからしょうがない。通信魔法で兄上を呼んだら、屋台の隣に魔法陣が出現した。


「わが弟よ、そんなに酔っ払って、なにをしている?」


 パジャマ姿の兄上が登場した。尻尾と翼も眠そうに折りたたまれていた。どうやら就寝前だったようだ。これは悪いことをしたなぁ。


「実は百円足りなくて……」


 我輩は空っぽの財布をひっくり返してみせた。ぱらぱらと埃ばかりが落ちる。もしかしたら誇りも一緒に落ちたかもしれない。


「…………わかった。私が払おう」


 珍しく説教しなかった兄上が代わりに払ってくれてお会計は終わった。オヤジも本日は店じまいするらしく、屋台を軽トラックに接続すると、東京の夜景に消えていった。


 兄上が、千鳥足の我輩に肩を貸してくれた。


「わが弟よ。なんでそんなに飲んだのだ?」

「実は花江殿と喧嘩してしまってな……」

「帰るに帰れないわけか」

「うむ……」


 我輩は、がっくりと肩を落とした。帰りたい場所に帰れないのは、つらいなぁ。


 すると兄上が翼を大きく広げて朗々と語った。


「だが意外にも、そういうときの女性は帰りを待っているものだ」

「本当か?」

「ああ。だから今すぐ帰るといい。女性が喜ぶ甘いお菓子を忘れないことだ」


 妻帯者である兄上がいうんだから、信じていいんだろう。


 兄上が魔方陣で魔界へ帰ったので、我輩も勇気を出して長屋へ帰ることにした。もちろん女性が喜びそうな甘いケーキをコンビニで購入して。


 我輩の部屋には電気がついていた。玄関の曇りガラスの向こう側に人影が見えた。グレーターデーモンなら気配だけで誰かわかる――花江殿だ。


 ちょっぴり心臓が萎縮した。いくら兄上のアドバイスがあっても、ひどい口論のあとでは、顔を合わせるのが気まずかった。


 だが仲直りしたい一心で「ただいま」と玄関を開いた。


「おかえりなさい」


 花江殿が待っていた。煮え切らない顔で。


 だから我輩は、コンビニで買った甘いケーキを無言で渡した。


「まぁ、コンビニのやつですか。まったく、遅く帰ってきたと思ったら、こんな安物を」


 といいながらも、すぐさま包装を解いて、むしゃむしゃと食べ始める花江殿。どうやら気に入ってくれたようだ。兄上がいっていたことは真実であった。さすが人生の先輩だな。


「普通のお店はすべてしまっている時間帯だからな」


 我輩は花江殿の隣に座った。丸一日働いた女性の汗と皮脂の香りがした。きっと我輩がいつ帰ってくるかわからないから、風呂にも入らずに待っていたんだろう。なんて健気なんだろうか。


「暮田さんも食べますか?」

「ああ」

「それじゃあ、どうぞ」


 なんと花江殿はフォークでケーキを一口サイズに切り分けると、我輩の口へ運んでくれた。


 びっくりした。まさか食べさせてくれるなんて。もしや不幸のどん底から幸せの絶頂へ駆け上がっている最中なのでは?


 しかも花江殿は、ゴミ掃除の当番表を指先で軽く叩いて、こんなことを言いだした。


「わたし、ちょっと言いすぎました。せっかく真面目にゴミ当番やってくれたのに、あげつらったように怒鳴る必要なかったですね」

「いや、我輩のほうこそ悪かった。次回からは、もっと真面目に仕事をすることにしよう」


 かちり――なぜかレトロなテープレコーダーの録音停止ボタンを、花江殿のしなやかな指先が押していた。


「知っていましたか暮田さん。証拠能力としては加工の難しいアナログ機器のほうが強力だと」


 さきほどの我輩の発言である『真面目に仕事をする』の部分がアナログ音声で連続再生された。


 我輩は滝のように汗を流した。


「…………は、花江殿、どこでそんな悪知恵を手に入れたのかな?」

「お母さんに教えてもらいました。お父さんが浮気したとき、二度と浮気しないと誓わせたときに同じことをやったそうですよ」


 困ったときに身内を頼るのは、グレーターデーモンだろうと人間だろうと同じらしい。


 ――こうして我輩は、テープレコーダーの発言を基にして、極悪な奴隷労働(あらゆる長屋の雑事を不眠不休で徹底して)に勤しむことになったとさ。とほほ。

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