第69話 バスに乗ろう

 曖昧なお天気の夕暮れ時。我輩は買い物を終わらせるとバスに乗った。都営バスにはよくあるタイプの型番で、外装はイチョウの葉っぱみたいな色をしていた。しかし車内の様子がおかしかった。


 夕暮れ時となればサラリーマンや学生が頻繁に利用するはずなのだが、我輩と運転手以外に三名しか乗っていなかったのだ。その三名も次々と目的の停留所で降りてしまうと、我輩と運転手だけが残った。


 がたごと、がたごと。エンジンの振動とタイヤが路面を踏み越える衝撃ばかりが座席に伝わってくる。


 なぜか寒さに強いグレータデーモンであるはずの我輩が冷えを感じた。肉体が物理的に冷却されているのではなく、魂が異界の冷気に接している感じだ。


 ふと気づく――運転手が半透明なことに。肉体だけではなく制服まで半透明だった。顔はゆでたまごみたいにツルンとしていて表情もない。


 おもむろに運転手が語りかけた。


『お客さん、人間じゃないみたいですけど、まだ生きてらっしゃいますね。早く降りないと現世に戻れなくなりますよ』


 どうやら幽霊専用のバスに誤って乗ってしまったらしい。我輩が魔力の強いグレーターデーモンだから紛れこんでしまったんだろう。こういうこともたまにある。慌てず騒がず次の停留所で降りればいい。


「行き先はあの世か?」

『ええ。天国か地獄かは到着してからのお楽しみ』

「となると、さっき降りていった連中は?」

『現世に未練のある人たちです』


 誰かに対する恨みが濃すぎたり、現世でやり残したことがあったりするため、成仏できなかったわけだ。彼らは自らの死に納得するまで、さまようんだろう。


 納得する死とはなにか?


 太古の時代から問われてきた設問だが、答えは存在しない。なぜなら死者は死後の意志を生きている者へ伝える術がないからだ。


「我輩が死んだら、天国かな、地獄かな?」

『それを決めるのは、あの世の偉い人たちなので、ワタシにはわかりかねます』

「戦争でたくさん敵を殺していたら、地獄行きになるのか?」

『それを決めるのは、あの世の偉い人たちなので、ワタシにはわかりかねます』


 あの世の秘匿事項に関わる質問には、マニュアル返答が行われる仕組みなんだろう。きっと地球と魔界であの世は共通なのかどうか質問しても教えてくれないんだろう。どうしても知りたければ死後のお楽しみというわけだ。


 やがて車内アナウンスが流れた。


『次は長屋前、次は長屋前。車内に落し物をなさいませんようにご注意ください。ご乗車、ありがとうございました』


 きっと我輩のために予定にはないところで停車してくれるんだろう。粋な運転手であった。


 バスが長屋前で停車したので、我輩が降りようとした。


 すると入れ替わりで乗ってくる人物がいた。


 商店街でタバコ屋を営んでいた老人である。七十歳ぐらいの男性で、山高帽が似合っていた。我輩が地球に召喚されたときには、すでに病に臥せっていて、ほとんど顔をあわせたことがない。このバスに乗ってしまったなら、病と寿命に身を委ねたのだろう。


 我輩はバスから降りながら、運転手に聞いた。


「かの老人は成仏できるのか?」

『ええ、ちゃんとあの世までお連れしますよ』

「彼は満足したんだな。己の死に」

『わかりませんよ。もしかしたら満足はしていないけど、さまようほどじゃなかったのかもしれません』


 ぷしゅーっと扉がしまると軽やかな足取りで発車。テールランプの光がお別れの挨拶みたいに光ると、幽霊バスは虚空へ消えた。


 喪服姿の一団が、横断歩道を渡りながら商店街へ帰っていく。彼らはタバコ屋の老人の親族であり、葬儀を終わらせた帰り道らしい。彼らの表情から悲哀と達観を嗅ぎ取れた。きっと故人とのお別れは慎ましやかに完了したんだろう。


 なぜか幽霊バスの消えた方角から、かすかな声が聞こえた。タバコ屋の店頭に愛用の杖が置いてあるから我輩に回収してほしいそうだ。それこそが山高帽の似合う老人のやり残したことなんだろう。


 死者の声に従って、我輩はタバコ屋へ寄り道すると、店頭に立てかけてあった杖を回収した。


『暮田さん。おじいさんの杖に興味があるのかい?』


 タバコ屋のおばあさんが、しゃがれた声で聞いてきた。天然パーマが特徴で、タバコ屋の名前が刺繍された前掛けをつけていた。


「おじいさんの遺言でな。この杖を回収してほしいそうだ」

『死者の声が聞こえるのかい?』

「ああ」

『だからあたしの声も聞こえるのかい』


 おばあさんの足は薄っすらと透けていた。彼女は去年亡くなったはずだ。だが未練があって現世をさまよっているわけだ。


「おばあさんの未練は、なんだ?」

『おじいさんが、なにを大切していたのか、気になってね』


 もしやと思って杖を見た。


 おばあさんの名前が刻まれていた。


「よかったな。おじいさんの心残りは、おばあさんを成仏させることみたいだぞ」

『おじいさんはあんまり喋らない人でね。てっきり家族なんて大切にしてないのかと思ってたよ』


 おばあさんは曲がった腰に手を添えてゆっくり歩き出すと、道路に停車した二便目の幽霊バスへ乗った。


『じゃあね暮田さん。花江さんにもよろしくいっておいてくれ』


 こうしておばあさんを乗せた二便目の幽霊バスは虚空へ消えた。


 我輩は杖をくるくる回しながら長屋へ帰ることにした。なるべく未練は残さないように死にたいものだな。

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