第66話 グレーターデーモン汁をどうぞ

「暮田さん。忍者の格好をしませんか?」


 長屋の管理人である花江殿が、艶やかな黒髪を揺らしながら忍者道具一式を揃えた。


 穏やかな午前中の日差しが、忍装束を照らしていた。だが我輩の胸中は穏やかではなかった。


「花江殿は、我輩になにをさせるつもりだ?」

「商店街の老舗料亭が、最近極上の野菜スープをメニューに追加したんですよ。あんまりにもおいしいからレシピを教えてもらおうとしたんですけど、断られてしまいました」

「つまり忍者になってレシピを盗んでこいと?」

「盗むなんて人聞きの悪いことをいわないでください。ただちょっと調べてくれればいいんです」


 うーむ、秘蔵のレシピか。少々興味があったから、とりあえず忍者道具一式を装備することにした。


 紺色の忍装束を身に着けるのだが、翼と尻尾が通るように穴を開けた。さらに腰には手裏剣ホルダーと、投げ縄を懸架した。さすがに銃刀法があるから忍者刀は背負っていない。


 うむ、どこからどう見ても忍者だな。


 しかし花江殿は不服そうだ。


「暮田さん。ぜんぜん似合ってないですね……」

「着させておいてそれはないだろう……」

「まぁ、見た目よりレシピですよ。じゃあ朗報を待っていますからねっ」


 花江殿は、鼻歌を歌いながら管理人室へ引っこんでいった。


 うーむ、秘蔵のレシピか。老舗料亭ともなると、調理方法を知ったぐらいでは再現できないほど極上の素材を使っているんだろうなぁ。


 がぜん興味がわいてきたぞ。


 我輩は老舗料亭目指して、ずしずし足音を立てながら商店街を歩くわけだが、バカみたいに目立った。


 どうやら忍装束は時代と適合していないらしく、まったく忍べていなかった。しかも翼と尻尾があるせいで、商店街の人々は忍者の正体が我輩だと気づいていた。


 まずは恒例の八百屋のおじさんだ。


「暮田さん。なんだって忍者のコスプレをしているんだい?」

「普通に考えたらコスプレだろうな。否定できない」

「へぇ。もしかしてなにか盗むのかい? 忍者の技で」

「盗むなんて大げさなものじゃなくて、ただレシピを知りたいだけだ」

「あっ! さては料亭のだろう。最近噂なんだよ。めちゃくちゃうまい野菜スープを作ってるから、絶対秘密があるって」

「ほぉ。商店街で噂になるほどうまいのか」


 そんなにうまいうまいと評判だと、実際に食べてみたくなった。いきなり盗むのもアレだし、とりあえず普通に料亭に入った。


 老舗と名乗るだけあって木製の店内は渋い光沢を放っていた。そんな店の奥から、痩せ型の中年男性が出てきた。名札からして店主のようだ。あまり商店街では見かけない顔だから、お店に閉じこもりがちなんだろう。ミステリアスな男であった。


「いらっしゃいませ! ……あの、忍者が一名様ですか?」

「うむ。忍者が一名だ。噂の野菜スープを食べたい」


 丁寧に磨かれたカウンター席に座ると、さっそく噂の野菜スープが運ばれてきた。


 見た目は、普通の野菜スープだ。黄金の油分が泳いでいて、各種野菜はしっかり火が通っている。湯気も適量で食べやすい温度だろう。


 次は味だ。器を持ってスープをすする。味覚を刺激するのは、鶏がらのスパイシーな旨み、ニンジンとジャガイモの甘み、ニンニクの下味――だが隠し味がわからない。商店でよく売っているコンソメの顆粒タイプに近い味だ。


「店主。隠し味はなにを使っているんだ」

「そりゃあ愛情に決まってますよ」


 ごまかされてしまった。


「なぜ秘密にしているのだ?」

「企業秘密ってのは、外に漏れたら利益を失うからですよ。うちだって慈善事業じゃないですからね」

「ふーむ。シビアな話だな」


 いきなり盗むのも悪い気がしてきた。でも花江殿は知りたがっているし、商店街の人たちも知りたがっているし、なにより我輩も隠し味だけはっきりしないのは奥歯にモノが挟まったみたいに落ち着かなかった。


 少々良心の呵責を感じたが、魔法で成分を分析した。


 ――なぜか人間の皮脂と毛髪と微量な体液の成分がふくまれていた。


 ま、まさか……人のよさそうな顔をした店主が実はサイコパスで、人間を料理しているとか…………。


 いや落ち着け。この物語の作者がそんなアカウント削除されかねない話を書くはずがない。


 だが分析の結果からして、人間をスープに使っているのは間違いない。謎を解く義務が発生した。もし事件性があったら警察に通報しなければならないだろう。


 せっかく忍者の格好になっているし、料亭を密偵することにした。


 お勘定を払って料亭を出てから、こっそり店の裏手に回った。


 厨房から、もくもくと煙が出ている。きっと件のスープを作っているんだろう。


 もし厨房に突入して、万が一スプラッタな映像が描写されたら、みんなブラウザを閉じるんだ!


 それじゃあ準備はいいな?


 我輩も心の準備を整えると、えいやっと厨房の勝手口を開いた。


「あ! お客さん困りますよ!」


 痩せ型の店主がドラム缶風呂に入っていた。しかもドラム缶の底面には成分の抽出装置がついている。どうやら彼の体から排泄されたアレやコレがスープの素になっていたらしい。


 我輩、クラっとしてしまった。


「なんてことだ……自分の身体を出汁にしていたのか……」

「バレちゃあしょうがないですね。秘密にしてくださいよ」

「そんな問題ではないぞ、こんな気持ち悪いものを食べさせて金を取るなどと!」

「でもおいしかったでしょう?」

「う、それは…………」


 野菜スープの味を思い出すとヨダレが出るぐらいから、おいしいのは事実だ。しかし中年男性のアレやコレを使ったスープと考えたら吐き気を感じた。


 我輩が葛藤していると、店主はドラム缶風呂の縁に頬杖をついて、サイコパスみたいに微笑んだ。


「なにも知らなければ、みんな幸せなままなんですよ」

「だがしかし……」

「もし忍者さんが秘密を漏らしたら、みんな気持ち悪がって、うちの店にこなくなっちゃいますよ。でもなにも知らなければ、おいしい野菜スープを食べられるわけです」

「おいしい。あれはたしかにおいしい」

「じゃあ、いいじゃないですか。ちゃんと体も洗ってから出汁をとっているし、今まで食中毒だって発生していません」


 店主に説得されてしまって、我輩は長屋へ戻った。


「暮田さん。どうでした?」


 花江殿が無邪気に聞いてきた。


「いや……うーん……それが……」

「レシピ、手に入らなかったんですか?」

「いや、方法はわかったんだが、普遍性があるとは思えなくて」

「でも、食べてみないとわからないですよ。作ってください」


 作るのか。我輩が――我輩を出汁にして。


 ちょっと興味があったので、自分の部屋の風呂釜に身を浸して、グレーターデーモン汁を抽出。とりあえず自分で飲んでみることにした。


「…………うまい」


 塩に負けないほどのパンチがあって、コンブ出汁に近いコクがあって、魔界のスパイシー成分がアクセントになっていた。


 がらっと風呂場のドアが開いた。花江殿が怒りの形相で仁王立ちしていた。


「く、暮田さん! なんでお風呂で汁を抽出してるんですかっっっ!」

「え、なんでって、そりゃあレシピを再現するためだ」

「うそおっしゃい! 汗で汚れた体で出汁を取ってわたしに嫌がらせしようとしてるんでしょうっ!」

「と、思うだろう? ためしに飲んでみればいい」


 花江殿は、くんくんと鼻をかがせてから、一口だけ出汁を飲んだ。


「う、おいしい……」

「やっぱり」

「でも、どうしたらいいんです? これがレシピなんですか? 料亭で提供してるんですよね?」

「心配する気持ちはよくわかる。だから逆の発想はどうだろうか」


 ――我輩と花江殿は、商店街の人々に隠し味の作り方を教えてまわった。すると商店街限定で、お風呂の残り汁で料理を作るのが流行した。


 おかげで料亭は潰れなかったし、商店街の人々の秘密を知りたい欲求は満たされたし、おいしい料理も食べられた。


 これがウインウインの関係というやつだな?

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