第62話 三匹の動物を追って(4)~言葉を贈る~

 常軌を逸した強敵と戦うためにも、魔女のおばばに作戦を伝えた。


「支援魔法を我輩に施したら。戦いの被害が周囲に広がらないように結界を張ってくれ」

「とにかく死なないことだね、二等書記官さんはまだ若いんだから」


 魔女のおばばが我輩に肉体強化の魔法を使用した。攻撃力の強化ではなく防御力の強化だ。骨格と筋肉が補強されて、骨折や断裂に強くなる。


 それからおばばは地上へ降りて、我輩と高山王を囲い込むように結界を張った。まるで黄色い箱にすっぽり閉じ込められたみたいだ。


「グレーターデーモン、なぜ今になって封印を解いた?」


 高山王は、空中に浮かんだまま、前屈みの姿勢で唸った。


「一身上の都合だ」


 まさか『高山の外に出てしまったアルパカのペリペリを群れに戻すため』なんて本音をいえるはずがない。もし群れに帰ることができても、高山王に恨まれてしまったなら、生まれ故郷の領土で生きていけなくなってしまう。


「隠すなら、吐かせるまでだ」


 鬼火みたいに青白い毛玉が動いた。羽毛が何百枚にも複写されたように残像が発生――音よりも速く高山王の鋭い牙が、我輩の首に迫った。


 上半身をそらして回避。しかし鉄より硬い胸毛がばっさり刈られた。切り口が鋭すぎて繊維がプリンの断面みたいに滑らかだ。こんな威力で噛まれたら、一撃で首と胴体が泣き別れしてしまうだろう。


 久々の実戦に背筋を凍らせていると、高山王の黒い双眸が死神の鎌みたいに輝いた。ガンっと鈍い衝撃が両肩へやってくる。いつのまにか両肩を前足で押さえこまれていた。支援魔法で強化してあるはずの関節がパキっとひび割れて、音速を越えたことによるソニックウェーブが耳元で弾けて、高山王の真っ赤な口内が視界を塞いだ。


 生存本能が尻尾を盾にした。すぱんっと先端を噛み千切られてしまう。痛みはあったが、生き残ったことによる安堵が上回った。


「トカゲの尻尾きりならぬ、悪魔の尻尾きりだな」


 高山王は、ぺっと食いちぎった尻尾を吐き捨てた。


「どうせ噛み切ったなら、我輩の尻尾を食べてくれてもいいのではないかな。きっとうまいぞ」

「こんなまずいものが食えるか」


 高山王は愚直にも喉笛への噛み付き攻撃を狙った。


 だから我輩は、暴れる猛犬を抑えるように、高山王の上半身をがっちりホールドして動きを止めた。


「我輩は、高山王も傷つけるつもりがない」

「余を傷つけることもできないザコの分際で、なぜ手加減を口にできる」

「なにも見なかったことにして、帰ってもらえないか?」

「舐めるな下っ端!」


 高山王の尻尾が鉄の鎖みたいに跳ねた。がっちりホールドしている我輩の背中を突き刺すつもりだ。我輩も先端が千切れた尻尾で応戦。まるで剣の鍔迫り合いみたいに、尻尾と尻尾が火花を散らす。しかし耐久力に差があった。


 我輩の尻尾は、まるでヤスリで削られたみたいにガリガリ細くなってしまった。もうすぐ根元から削りきられてしまうだろう。


「さぁ命を落とす前に吐けグレーターデーモン。なぜ封印を解いた」


 いえるはずがない。か弱き生物の安寧を差し出して、誇り高きグレーターデーモンが助かることなどあってはならないのだ。


「一身上の都合なので、なにもなかったことにして帰ってもらえないか?」

「ならばもう手加減はせぬぞ!」


 高山王は、力任せに我輩のホールドをといてしまった。なんて怪力だ。本当に今まで手加減していたのか。


 我輩が自らの命が風前の灯であることを悟ったときに、高山王は残光を残すほどの速さで前足を振りぬいた。


 我輩の顔に激痛。ちかっとまぶたの裏に星屑が瞬く。意識が数秒ほど消失して、気づいたら森の地面に深くめり込んでいた。


 真っ暗な穴の底でごほごほと咳きこむ。まるで全身が砕けたように感覚が麻痺していた。魔王殿に殴られたときと同程度のダメージ。あともう一発か二発食らったら死ぬだろう。命の危機に瀕していると、我輩がめり込んだ穴の入り口に、高山王が顔を突っ込んだ。逆光で表情に陰影が刻まれていた。


「二等書記官。おぬし魔界統一戦争のときより、弱くなってないか?」


 そう、自他共に認めるほどに弱くなってしまった。だからこそ、強敵を前にして、さきほどまで心に秘めていた外交の前提条件が吹っ飛んだ。


 我輩は自由に動かせる口を開くと、グレーターデーモン族が得意とする魔力を含んだ熱線を吐き出した。我輩がめり込んだ穴より巨大な赤い光線が、穴の側面をガリガリ掘りながら、出口へ向けて一直線。穴を覗き込んでいた高山王の顔面に直撃。


 余った光線が天高く伸びて、高山への階段の一部を消滅させた。


 それほどの威力にもかかわらず、高山王の顔面の皮膚や筋肉にはまったくダメージが通っていなかった。


「グレーターデーモン。ようやく余を攻撃したな。面白くなってきおった」

「しまった……つい……」


 我輩は翼を使って穴の外へ脱出しながら、己の愚行を後悔した。もし今の光線を高山への侵略行為と受け取られたら、魔王殿の立場が悪くなる。もし魔王殿の権威性が弱まったら、他の地域にまで悪影響が出るかもしれない。


 かといって、このまま無抵抗でいると本当に死ぬ。もちろん封印を解いたのは我輩だから自業自得だ。しかしなにもせずに死ぬのもイヤだった。


 我輩が誇りと命の瀬戸際で葛藤していると、突如魔方陣が顕現して、もう一体のグレーターデーモンが登場した。


 父上である。城で働いていたときみたいにオーダーメイドスーツでばっちりきめていて、やや衰えたが今でも立派な角と尻尾が魔力で輝いていた。


「これはこれは高山王さま。お久しぶりでございます」


 父上は慇懃無礼に挨拶しながら、我輩に回復魔法をかけていく。どうやら我輩が空に向かって放った光線を見て、現状を理解して、わざわざ正装してからかけつけてくれたらしい。いつもだったらおせっかいだと思うが、今日ばかりは心の底から感謝した。


「む、先代の一等書記官か」


 高山王は父上を警戒していた。かつての魔界のナンバーツーだ。単純な腕力では魔王殿に一歩劣ったとしても、策略や経験値を加算すれば、魔王殿に勝つことだってできる魔界の重鎮である。


 そんな強敵と相対する高山王が、じりじりと間合いを開いたところで、父上が我輩に小声で聞いてきた。


「封印を解くなんて正気か? お前は現役の官僚だぞ」

「すまない父上……一身上の都合があって、やるしかなかった」

「…………今日は珍しく真面目な顔をしているな。ならいいだろう。定年退職した父が助けてやろう。現役時代と違って立場に制約がないのでな」


 てっきり一緒に戦ってくれるのかと思ったら、いきなり父上は高山王に頭を下げた。


「見逃してもらえませんか?」


 意外にも効果があった。高山王はむぅと悩み、一時的に牙を引っこめた。


「余はおぬしにだけは弱い。魔界では珍しく真面目な人材であり、魔界統一戦争後の処理で汗水たらして働いておった。おぬしが作った一定以上の知能を持った動物を食わない協定。さすがの高山も導入したぐらいだぞ」

「あれは魔王様の考えを基にして、私が各地と交渉しただけであります」

「なんであんな怠惰なやつに唯々諾々と付き従う? 協定を作るときだって、やつはサボっていたではないか」

「魔王様が、少々だらしないからこそ、他の種族との違いを乗り越えられるからですよ。もし過剰に真面目だったら、種族の特性によって不真面目な行動をとりがちな人物を粛清してしまうのです」


 父上がすらすらと持論を述べたら、黒くて小粒な影が飛んできた。ぱたぱた、ぱたぱた。どことなくめんどくさそうに羽を揺らして、一匹のコウモリが飛んでいた。


 なんと魔王殿である。彼は高山王の前まで飛んでくると、一瞬で人型形態に戻った。いつものように顔を布で隠している。だが雰囲気が違った。とってもやりにくそうに、ぽりぽりと後ろ頭をかいて、重い口を開いた。


「見逃してくれないか、高山王」


 なんと、あの、魔王殿が、頭を下げた。


 高山王も面食らったらしく、ぱちぱちと瞬きをしてから、首と尻尾をかしげた。


「おぬし本物の魔王か?」

「どっからどうみても本物だろうが」

「…………はっはっはっはっは! あの魔王が余に頭をさげるか! そんなにバカな二等書記官が大事か! いいだろう、今日だけは見逃してやる。封印については……お前たちが政治として結論を出してから、伝えにくるがよい」


 高山に帰ろうとした高山王に、父上が助言した。


「我々は誰とも遭遇していない。いいですね?」


 遭遇していないことにすれば、なにも軋轢が発生しない。魔界でも高山でも余計な政治的な手続きが減るのだ。


「うむ。余と魔王勢はいっさい接触していない。ではな」


 高山王は満足して帰っていった。さすが父上だった。引退しても一等書記官なんだろう。兄上だってここまで綺麗に丸くおさめることはできないかもしれない。


 我輩が感服していると、白い目をした魔王殿が我輩の首をだるそうに掴んだ。ぎしりと指先が喉笛に食いこむ。もう少し力を入れたら、我輩の首など潰れてしまうだろう。


「オレに頭を下げさせたんだ。覚悟してるよな?」

「申し訳ありませんでした」


 なにも言い返せなかった。無許可で封印を解いたし、主君に頭を下げさせたのだ。たとえ処刑されたって文句をいうほうが間違っている。父上も覚悟の上なのか、次男が処刑されるか否かを事態を静観していた。


 魔王殿は、父上の顔を横目で確認したあと、我輩に向かって小さく舌打ちした。


「なぁ二等書記官。お前はオレが暴走したときに殴ってでも止めるって約束があるから、様じゃなくて殿で呼んでるんだろ? そんなやつが規則を破ってどうするんだ」

「…………どうしても助けたい生命がいました」

「自分の命と肩書きを失ってでもか」

「はい」

「わからん。お前の父親と兄はそこまでバカをしない。なんでお前はバカをするんだ?」

「バカだからでしょうね」


 魔王殿は脱力すると、我輩を父上のところへ投げ飛ばした。


「父親がしっかり説教しとけよ。見逃すのは今回だけだ」


 ――後日、魔王殿の善意によって、高山への階段の封印は解いたまま試験運用されることになった。そうすることで我輩が処罰されるのではなく、高山との交流をためしに復活させる政治的な決定として動くことになるからだ。


 高山王も三匹の動物たちを気に入ったらしく、封印を解いたままにする試験運用を受け入れた。


 こうして迷子のアルパカ・ペリペリは、無事群れに戻れたのである。でもあの三匹はそれぞれの生活圏へ戻らなければならない。たとえ最高の仲間であっても、アルパカのペリペリは魔界の動物、サルのウキ助と、タヌキのタヌ吉は、地球の動物なのだ。


 三匹は、自分たちの流儀で、お別れを済ませた。


 我輩は、サルのウキ助と、タヌキのタヌ吉を地球へ送り届けると、言葉を贈った。


「大丈夫だ。お前たちはまだ生きている。生きてさえいれば必ず会える」


 ウキ助とタヌ吉の顔が、魔界統一戦争で亡くなった友達の幻影と重なった。


 もしかしたら、我輩が命と肩書きを賭けてでも、迷子のアルパカを高山へ送り届けるのを手伝ったのは、亡くしてしまった友達との未来を、補完するためだったのかもしれない。

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