第20話 ロングブーツをはいた猫・略してロン猫
花江殿から頼まれた買い物をすませた帰り道。天気がよかったから、新しい風景を知りたくて、いつもと違うルートを選んだ。遊具が錆びるほどに古ぼけた公園を通り抜けようとしたら、草むらから低くて渋い声が聞こえた。
「我はカリカリを所望する。さぁ今すぐ買ってくるのだ。一番高いやつだぞ」
猫だった。黒にも白にも染まらない灰色の毛並みだ。なぜか猫サイズのロングブーツをはいていて、ぷぅーんっと臭った。ちゃんと洗っていないのだろう。
臭いロングブーツのことはさておき、なんで普通の猫が喋るのだ? 地球の猫は喋らないはずだろう。魔界の猫だと突然変異で魔力を帯びたやつが人語を解することもあるのだが、こいつはどこからどうみても地球生まれの地球育ちだ。
いや、偏見はよくないか。地球の猫だって人語を理解することだってあるかもしれない。カリカリといえば猫が食べる定番の餌だが、もしかしたら食欲が常識を突破して言葉を発してしまったのかもしれないし。
ちょっと興味がわいたので、ロングブーツをはいた猫と交流してみようか。
「我輩は暮田伝衛門である。お前の名前は?」
「我はロングブーツをはいた猫だ」
「ではロン猫と略して呼ぶぞ」
「好きにしろ。大事なことはカリカリを買ってくることだ」
「もしかしてカリカリを食わせると見返りがあるのか? お前はそういう不器用なコミュニケーションが好きそうな顔をしているな」
「…………猫が喋ることを普通に受け入れるやつは会話がおもしろくないな。もっと驚きたまえよ」
「冷静に考えてみろ。我輩はグレーターデーモンなのに、地球に存在しているのだぞ。猫が喋るより摩訶不思議だ」
グレーターデーモンと喋る猫。どちらが普通じゃないか。火を見るよりあきらかだった。
「お前は本当につまらないやつだ。もう帰れ。カリカリはいらない」
ロン猫は、ぺろぺろと顔を洗ってから、大きなあくびをした。
まるで軽くあしらわれたみたいで、我輩ムカっとした。
草むらに帰ろうとしたロン猫を、我輩の立派な尻尾で捕まえると、スーパーマーケットのペットコーナーへ小走りで入った。
「ほらロン猫。好きなのを選べ。カリカリみたいな定番じゃなくて、高級猫フードでもいいぞ」
「ふーん。まぁ食わせたいっていうなら食うさ。だがカリカリだ。あれが好きなんだ」
棚においてあるやつの中で一番高いカリカリを買うと、スーパーマーケットの駐車場で食わせることになった。いつのまにかニャーニャーと他の猫まで集まってきて、獣臭い集会になっていた。
どうやらロン猫が近くの野良猫を呼んだらしい。
「なんとロン猫。他の猫に食わせるために人語を使うのか。偉いではないか」
我輩はロン猫の背中を撫でてやった。
「野良の世界も厳しくてね。狩りの苦手なやつは飢えて死ぬ。だから人間の言葉を使って餌を手に入れるのさ。見返りとして、ちょっとした悩みを解決してやるよ。まぁ時々自分の願望をかなえるためにやっているがね。好きな音楽が聞きたいとか」
「仲間のために食い扶持を稼ぐ行為を、我輩は尊敬する。よし、いつもと逆のことをしよう。我輩がお前の願い事をかなえてやる」
「へん。よけいなおせっかいさ。あくまでカリカリと等価交換するからクールなんだ」
「かわいくないやつだ。こうなったら意地でも願い事をかなえてやる」
ロン猫を強引に抱きかかえた。するとロン猫はじたばたもがいて抵抗した。鋭い爪が我輩の皮膚をかすったが、グレーターデーモンの皮膚は頑丈だからノーダメージだ。でもロングブーツから漏れてくる臭さはちょっとつらかった。
「放せよ暮田。我は自由きままが好きなのさ」
「自由きままだからこそ、頼みたいことがあるのではないか?」
「あるけどない。お前にはいいたくない」
「ふふん。ますます願い事をかなえてやりたくなってきたぞ」
とりあえず長屋まで持ち帰ると、管理人室から花江殿が出てきた。
「あら暮田さん。猫さんを拾ってきたんですか? でもうちは動物飼うの禁止ですよ」
「飼うのではない。このロングブーツをはいた猫・略してロン猫が、なかなか願い事を教えてくれないのだ。花江殿からも聞いてやってくれ」
花江殿も、ロン猫の顎先を指先でくすぐりながら聞いた。
「猫さん。なにか欲しいものでもあるんですか?」
「どうせお前では我の言葉を聞き取れまい」
というのは本当で、花江殿はにこにこしたまま、ロン猫の手足を撫でていた。猫が喋ったことへのリアクションがないのだ。
我輩、念のために花江殿へ確認をとっておく。
「花江殿。本当にロン猫の言葉が聞き取れないのか」
「え、だってさっきからにゃーにゃーって鳴いてるばっかりですよ。可愛い子ですね。素直じゃないところが猫らしくていいです」
どうやらロン猫の言葉は特定の相手にしか聞き取れないようだ。魔族の我輩でも理解できないことがあるとは思わなかった。なら難攻不落の猫というわけか。生意気なやつめ。意地でも嫌がる顔を見てやろう。
「ロン猫よ。そろそろ観念したらどうだ。このままだと花江殿がお前を気に入って、餌をやりに公園に通うようになるぞ」
「やめろやめろ。そういうベタベタしたのはよくない。自由が減る」
「なら願い事を話してみろ。花江殿を説得してやってもいい」
ふにゃーっと鳴き声まじりのため息をつくと、ロン猫はようやく願い事を口にした。
「……明日、とある高校生のバンドがライブをやる。だがチケットの売れ行きが悪いから、聞きにいってやってくれ」
願い事まで他人の幸せとは。おせっかいなのは、ロン猫のほうではないか。
――翌日。花江殿を連れて地元のライブハウスへやってきた。
薄暗いスペースにまばらなお客さんがいた。我輩と花江殿、ライブに参加する高校生の同級生たちが数名、そして影からひっそりロン猫だ。
お客さんが少ないと演者がやる気を失うのが世の常だが、ステージ上の高校生たちはやる気がみなぎっていた。きっと客の数なんて関係ないんだろう。長寿の我輩が羨ましくなるほどに若さがはじけていた。
ボーカルが簡単な挨拶と前置きをしてから、ついに演奏が始まった。
演奏技術は拙く作曲技術も甘いのだが、ほとばしるほどに熱意が伝わってきた。激しい音なのに、どこかせつない。
ロン猫は、獣耳をぴくぴく動かして、まばたきすらしなかった。よっぽどお気に入りの音楽なのだろう。
やがて白熱した演奏が終わると、観客をやっていた高校の同級生たちが拍手喝采を送りながらステージに上がって、バンドのメンバーと抱き合った。青春の汗が、宝石みたいにキラキラしていた。
我々大人は邪魔になるから静かに退散することにした。
ロン猫も同じく邪魔をするつもりがないらしく、すーっと肉球を滑らせて帰ろうとした。
するとバンドメンバーたちが大声で声をかけた。
「おーい足の臭い猫・略して足臭猫、また聞きにきてくれよな!」
足臭猫! 我輩はこらえきれずに笑ってしまった。
「おいロン猫。なんで足とブーツを洗わないのだ?」
我輩が物陰のロン猫に話しかけると、ロン猫はふてくされた。
「縁起物は洗ったらゲンがなくなるからさ。こいつのおかげで人語を操れるようになったからな」
どうやらロングブーツに人語を解する秘密があるらしい。だが、上級魔族である我輩に解明できないのだから、よくわからない力が働いているんだろう。そもそも解明するのは無粋な気がした。ロン猫と高校生の思い出と絆を汚す気がしたから。
――ライブから数日後。買い物から帰ってきた花江殿が、手を真っ赤にはらして帰ってきた。
「うー、公園でロングブーツをはいた猫さんに餌あげようとしたんですけどね、ひっかかれました。なついてくれませんね。残念」
自由きままな野良の生活か。用事のあるとき以外は、あの公園を通り抜けないほうがいいのだろう。彼のペースを乱さないためにも。
※筆者が小説家になろうに投降した短編「ロングブーツをはいた猫」のセルフパロディになっています。
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