第11話 運転免許? なんで空を飛べる我輩が?

「暮田さん。そこ一時停車ですよー。わかってますかー?」


 助手席に座った教官が、ネチネチと我輩に指示した。陰湿な男である。ハゲあがった前髪とベタついた頭皮からも性格がにじみでているな。


 我輩は思わず愚痴をもらした。


「窮屈なルールばかりだな、運転というのは」

「あなた本当に免許ほしいんですか?」


 欲しいのではない。花江殿が『免許も持ってないのに偉そうにしないでください』と舐めたことをいってきたので、意地になって取りにきたのだ。


 だが、どうもうまくいかない。


 機械の操作という魔界にはない技術と、慣れ親しんでいない交通ルールのダブルパンチで混乱してしまうからだ。


「我輩、自分で空を飛んだほうが早いというのに、なんで自動車に乗っているんだろうか……」

「妄想に逃げてないで、はやく免許とっちゃいましょうよ」

「それは同感だな」


 だが、本日は不完全燃焼のまま終了時間となった。


「お情けでハンコを押しときますけど、次はこうはいきませんよ」


 教官は渋々といった感じでハンコを押した。なんでこの男は支配者づらしているんだろうか。


 文句をいう気力も残っておらず、トボトボ歩いて帰宅した。


「調子悪そうですね、暮田さん」


 花江殿がニコニコしながら、我輩の部屋に入ってきた。


「我輩が失敗するのが、そんなに嬉しいのか?」

「暮田さんってば、マナーはともかく、勉強と運動は得意だから、わたしでも勝てるところがあるんだと思ったら、ちょっと気分がよくなりました」

「はっきりいうではないか」

「あらあら、優しい言葉をかけてほしかったんですか?」

「とんでもない。我輩は甘えんぼうではないからな」


 といいながら、ささくれた心を癒すために、ニンテンドーD○の愛犬ケルベロスと戯れた。あぁ犬はいいなぁ。薄汚れた人間みたいに上から目線で偉そうなことをいってこないから。久々に実家に帰って本物のケルベロスと遊んでもいいかもしれない。

 

「そんな本気で落ち込まないでくださいよ。わたしみたいに勉強苦手なタイプでも免許とれたんですから、暮田さんならすぐとれますよ」


 花江殿が、教習所時代に使っていたテキストを持ってきた。まっさらだ。書きこみもなければ手垢もついていない。どうやら肉体の感覚だけで運転を覚えてしまったらしい。


「驚異的な覚えかただな。なにかコツはあるのか?」

「反復ですよ。教習所のコースと教官の注意点って同じだから、そこに気をつければいいんです」

「それでは公道へ出たとき大変ではないか」

「赤信号で止まるのと、左折と右折で通行人に気をつけるぐらいですよ。気を大きく持つぐらいでちょうどいいんですって」

「ふーむ、そういうものか。よし、次はうまくやってやろうではないか」


 ――時は流れて、次の教習日。


「暮田さん。感覚だけで覚えようとしてません?」


 教官がハゲた額で太陽をキランっと反射した。花江殿から授かった秘策を見抜かれてしまったらしい。


 なんだか言い訳するのも腹立たしいので、開き直ることにした。


「だからどうした。お前は指をくわえて見ていろ、車の運転ごとき我輩なら――」


 だが本日はバンパーを曲がり角でこすってしまった。


 助手席の教官が、わざとらしく肩をすくめた。


「やれやれ、指をくわえて見ていろといったわりに、こんな簡単なコースで失敗するとはね。今日はハンコを押せませんよ」


 我輩、人間には考えられないほどの時間を生きてきたが、久々の挫折に悔しくてしょうがなかった。


 どんよりした曇り空みたいな無言の姿勢で帰宅したら、花江殿が土鍋でぐつぐつと肉と野菜を煮こんでくれた。


「花江殿……どういう風の吹き回しかな?」

「落ちこんだときは鍋っていうのが実家の決まりごとだったので、元気のおすそわけでもしようかなって」


 我輩、ほろりと心で涙を流した。花江殿は実家の母親みたいに優しかった。


「ありがたくちょうだいする」


 ぐつぐつ沸騰する土鍋を素手でつかむと、ずざーっと一気に飲みこんだ。

 

 あぁ、しょうゆと野菜の甘みが心身にしみわたる。これが花江殿の気づかいか。


「……あの暮田さん。鍋を一気飲みって、熱くないんですか?」

「ファイヤーブレスより温度が低いからな」

「不思議な人ですねぇ。なんでそんな熱い鍋を飲めるのに、教習がうまくいかないんでしょう。ほかに乗れるものあってありますか?」

「馬なら乗れるぞ」

「えぇ!? 乗馬のほうが難しいって聞きますけど」

「そうなのか? 我輩は車の運転のほうが難しいのだ。あいつらは会話が成立しないから」

「会話。なるほど。でも、車だって会話してると思いますよ」

「どこで会話するのだ?」

「ハンドルを切ったとき、きゅりりってタイヤが地面をこするじゃないですか。あの音、機械との会話だと思うんですよ」

「不思議な感性だな」

「でも、乗馬ができるんだから、車だって会話して乗りこなせますよ」


 不思議なもので、花江殿の励ましがあったら、どんな困難だって乗り越えられる気がしてきた。


 さらに時が過ぎて次の教習日。


 いつもの教官が露骨に嫌な顔をした。


「今日はバンパーこすらないでくださいよ」


 反射的に言い返そうとしたが、花江殿の顔を思いだして、すーはーと深呼吸した。


「大丈夫だ。今日は車と会話するからな」


 今日はタイヤの音やエンジンの振動も感じ取って、運転することにした。


 そうしたら、いつもより感覚がつかめてきた。


 だが、やっぱり苦手なものは苦手で、ちょっと混乱しそうになる。


 そうしたら、教習所の敷地を囲むガードレールの手前で、ぶんぶんと手を振る人物がいた。


「暮田さん! がんばって! もうちょっとですよ!」


 花江殿が、ぴょんぴょんっと飛び跳ねながら、声援を送っていた。


 我輩、感動のあまり少々涙が出てしまったのだが、それは格好悪いと思ってぐっと飲みこむと、一生懸命運転した。


 こうして本日の結果――ハンコをもらえた。


「暮田さん。今日はずいぶん調子よかったですね」


 めずらしく教官が我輩を褒めた。ハゲた前髪も、いつもよりナチュラルに光っていた。


「我輩には土鍋の女神がいるからな。どんな困難も恐れる必要はないのだ」

「へー、あの美人さん、彼女さんですか?」

「いや、大家さんだ」

「ああいう素敵な女性、いまどき貴重ですから、大事にしなきゃダメですよ」


 人間の女性を恋愛対象として見てこなかったので、新鮮な視点だった。


 ふーむ、花江殿が、お嫁さんか。


 あんまり考えすぎても相手に失礼だから、一つの意見として心の片隅に収容しておこう。


 ――後日、ついに我輩は運転免許を取得し、初めてのドライブに花江殿を連れていくことにした。


「おー、暮田さんもついに免許持ちですねぇ」


 花江殿は助手席で我輩の運転免許証を検分していた。男前のグレーターデーモンが映っていて、カメラに向かって『勇者を迎え撃つボスキャラ』のポーズをとっていた。


「そういえば、花江殿の運転する車に乗ったことがなかったな」

「まかせてください。帰り道はわたしが運転して、本格的な運転テクニックをお見せしますよ」


 …………なぜか、とてもいやな予感がした。


 いざ帰り道。運転を交代した花江殿がハンドルを握った瞬間――ぎゃあああああんっと急加速!


「は、花江殿安全運転を心がけて!」

 

 我輩、なぜか教官みたいなことを口走っていた。


「安全ですよ?」


 花江殿は、ほんわかとした顔で猛スピードを出していた。


「急ブレーキもやめてくれ!」


 こうして急加速急停止の連続で心身ともに疲労していくなかで、せつに思った。


 どうして行政は彼女に運転免許を与えてしまったのだろうか、と。

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