第6話 愛犬(ケルベロス)の粗相は飼い主の責任

 私事で気になることがあって、仕事が手につかなかった経験はないだろうか?


 我輩は愛犬ケルベロス(ニンテンドーD○で飼っている柴犬)が病気になってしまって、長屋の屋根を掃除するどころじゃなかった。


「暮田さん。わたしが出かけてる間、サボらないでくださいね」


 花江殿がジロっと湿度たっぷりの目で、屋根で掃除中の我輩を見上げた。


「しかし花江殿。我輩の愛犬が病気でそれどころじゃないのだ」

諸悪しょあく根源こんげんは没収しますっ!」


 無慈悲むじひな花江殿はニンテンドー○Sを没収すると、町内会の集まりへ出発してしまった。


 なんてことだ……。


 花江殿はゲームにまったく興味がないから、ケルベロスが『苦しい苦しい助けてキャンキャン』と訴えても無視するだろう。


 もし病に苦しんだあげく亡くなってしまったら……そんなのダメだ!


 よし、こっそりニンテンドーD○を取り戻そう!


 すぐさま屋根から下りようとしたら、カバンを忘れた花江殿が戻ってきた。


「暮田さん。掃除が終わってないのに、なんで屋根を降りるんですか?」

「ははは。誤解に決まっているではないか――あいだっ」


 今日は弓道の弓矢で眉間みけんを撃ち抜かれてしまった。とほほ。

 

 しかし我輩まったくめげずに町内会の集まりへ潜入せんにゅうすることにした。愛犬のためなら悪鬼羅刹が相手だろうと怖くないのだ。いやちょっと怖いけど。


 とにかく我輩は集会場へやってきた。平凡な平屋の建物だ。正面玄関は危険すぎるので、裏の勝手口を通って集会場へ潜入した。


 絶対に音を立てないように、抜き足差し足で廊下を進む。


 発見されたら終わりだと思ったほうがいい。 


 最近の花江殿は情け容赦ようしゃないから、見せしめにニンテンドー○Sを壊すことまで想定そうていしておかなければ。


 廊下の中ほどまで進んだところで、わいわいがやがやと会議の声が聞こえてきた。


 音をたてないようにフスマをわずかに開くと、そろりと会議室をのぞきこむ。


 大きなちゃぶ台を中心にして、代表者たちが町内会のもよおしごとについて語り合っていた。


 みんな会議に夢中であり、花江殿のカバンからは没収したニンテンドーD○が見えていた。


 これは運がいい。


 フスマの隙間から魔力の紐をゆっくり伸ばして、ニンテンドー○Sに巻きつけた。


 そしてクイっと引っ張ったら、ピピピピピっとブザーが鳴った。


「……防犯ベルをゲーム機にくっつけておいたんですけど、効果てき面でしたね」


 本職の悪魔よりも怖い顔になった花江殿が腰に手を当てて、我輩を見下ろしていた。


「ち、ち、違うのだ。ただ我輩ケルベロスが心配で心配で――あいだっ!」


 今日も今日とてナギナタが炸裂した。


「お仕事サボってゲームに夢中になるなんて、暮田さんは本当にいいかげんな人ですねっ!」

「しかし愛犬が病気なら仕事なんてできないだろう!」

「だからこれゲームでしょう!?」

「ゲームといえど愛犬だ!」

「現実に馴染みなさいっ!」


 口論が白熱してきたら、小太りの町内会長さんが仲裁ちゅうさいに入ってくれた。


「まぁまぁお二人とも落ち着いて。ところで最近なにかと話題の暮田さんですが、愛犬家でいらっしゃるようで」

「いかにも。我輩、実家でも犬を飼っていて、子犬から大事に育てたのだ」

「どうでしょうか、その実家の愛犬を連れて、今度の町内会運動会に参加するのは」


 本日の会議の議題は『町内会運動会・愛犬参加型お散歩レースについて』であった。


 というわけで町内会運動会当日になった。実家の兄上――我輩より賢くて強い――に頼んで、本物のケルベロスを魔方陣で転送してもらった。


「わんわんわんっ!」


 大型トラックと同じサイズの犬が、三つの頭で我輩の顔をべろんべろん舐めた。


「おおケルベロス、実家を離れて久しい我輩のことを覚えててくれたのか。お前は本当に賢いなぁ」


 ちなみに兄上いわく『最近のケルベロス、食いしん坊すぎて食費がたいへんなんだ』らしい。ふーむ、まぁ賢くて可愛い犬だから、ちょっとぐらいの食費はしょうがないのではないか?


 さぁ人間ども、我が愛犬ケルベロスの可愛さにひれふすのだ!


 まず町内会の人たちはの反応だが、


「あれ、大きすぎないか」「どこの国の犬種だろ……」「犬種の前に三つ頭があるって聞いたことないぞ」


 と常識的な反応をしていた。


 次に花江殿だが、


「まぁ、大きなワンちゃんですね」


 と頬に手を当てて感心するだけであり、おかげで町内会の人たちも一応は納得してくれた。


 今日は彼女の天然ボケがプラスに働いたようだ。よしよし、この機会に本物のケルベロスがどれだけ愛らしいやつか、人間どもに証明してやろうではないか。


「では花江殿、このお散歩レースで優勝して商品券を手に入れたらニンテンドーDSを返してもらうぞ」

「いいですよ。でも優勝したらですからね。二位でも返してあげません。あと商品券はわたしのものです」

「ふん、我輩とケルベロスの強い絆にほえ面をかくところが楽しみだな」


 勝ったも同然である。グレーターデーモンとケルベロス、賢くて強いモンスターの組み合わせならば、人間と普通の犬の組み合わせに負けるはずがない。


 我輩は自信満々に構えていれば、レースの時間がやってきた。他の愛犬と飼い主たちと一緒にスタートラインに並んだ。


 突然、兄上の注釈ちゅしゃくが我輩の脳裏をよぎった。


『最近のケルベロス、食いしん坊すぎて食費がたいへんなんだ』


 食いしん坊――ケルベロスは、ヨダレをだらだら垂らして、パン食い競争コーナーのパンだけを見ていた。


 ……とてつもなく嫌な予感がした。


 やがて「いちについてよーいドン」っとピストルが鳴った瞬間――ケルベロスはコースを無視してパンへ突っこんでいった。


「こらケルベロス! 先に網をくぐって次に平均台を歩くのだろう!?」


「わんわんわんっ」


 ケルベロスは飼い主である我輩をおもちゃみたいに引きずると、コースに設置してあったパンを平らげたばかりか、隣に用意してあった次のレース用のパンまでバクバク完食してしまった。


 おまけにケルベロスの悪行を見た他の愛犬たちも、なるほどその手があったかと学習して、会場に存在する飲食物を食べて食べて食べまくる。


 ついには観客たちのお弁当や露天のたこ焼きなども犠牲になって、まるで山賊に略奪された小さな村のような有様となり、町内会運動会は台無しとなった。


「…………あれ、もしかして我輩の責任?」

「そうに決まっているでしょう!」


 花江殿だけではなく、町内会のすべての人たちが各々の武器を構えて我輩を狙っていた。


「ま、待ってくれ、これは犬がやったことであって我輩のせいでは」

「飼い犬の問題は飼い主の責任です!」


 あれよあれよと袋叩きにされたところで、兄上が魔方陣でケルベロスを迎えにきて「だから食費が大変だといったろう……」と同情の言葉を残して帰っていった。


 ひどいな兄上、さては結末をわかってて多くを語らなかったろう……。

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