第8話 魔王、凌辱さる。

「その土竜怪人の力ならそこな少年を破壊すること容易し」


「おのれ……!」


「無抵抗だけを許可する」


ブラックムーンの全身が振動すると昆虫のような甲殻がぬめっとした表皮に変化した。大きな丸い赤い目以外は人間に似た形になった。しかし表面はナメクジのようにぬめぬめとした粘液で覆われ、濃密な花粉のような臭いがした。頭蓋部には毛髪は一本もなくつるつるで、耳の部分にはそれぞれ親指で開けたような穴が開いているだけ。皮膚をカミソリで切り裂いた跡のような口からは、歯が一本もなく、妙に長くのたうちまわる舌がべろんとまろび出てきた。


まるで昆虫が一瞬で変態を成し遂げたようだった。


「く、我が軍にもお前ほどおぞましい姿のものはおらんぞ」


「私がその感想を考慮する理由があるか?」


ゆったりとブラックムーンが右手を持ち上げたかと思うと、それが振り下ろされたと同時に魔王の制服の襟元からスカートまで身体の前部が引き裂かれていた。


「っく! この」


「ほう、まことに防御は鉄壁か。切り裂けたのは服だけで肌は無傷とは」


ことさら視線を強調するようにブラックムーンが角度を変えながら、剥き出しになった魔王の裸体を眺める。


それに対し、魔王は敢然と対峙している。


「ほう? 一応我は異性なのだがな? 異界の魔王は羞恥心を持ち合わせていないか?」


「は! 下等生物に肌を見られて恥じる理由などなかろう。犬に裸を見られて恥じる人間がいないのと同じことよ」


魔王は無数の瓦礫が転がる地面へと倒された。ブラックムーンは顔を殴った手を握ったり開いたりしながら魔王へと近づいていく。


「これでも我は敬意をもって接している。敬意をだ。異界の魔王よ。お主は最低限のそれすら持ち合わせていないというか?」


そういい終えると、魔王の腹を宙に飛ぶほど蹴とばし、その身体を荒れた地を二転三転させた。


泥と油に塗れ、わずかに上半身に制服の欠片をまとっているだけになった魔王は不敵な笑みを崩さなかった。


それでも今の身体が人間ベースなだけに魔力の運行が上手くいかないのだろう。部分によっては傷がついているし、血が出ているところもある。


そしてそのように汚されてもなお、その肢体は美しく、艶めかしい。衣服から解放された豊満な乳房は自由を謳歌しているようであり、その乳首はつんと天へと向かっている。乳房の豊かさと対照的な細い胴体に消えゆくような細い腰。そして思わず抱え込みたくなるような大きさの腰つき。


この魅惑的な裸体を改めて見せつけられ、ブラックムーンは目的を達するために再度魔王に近づいた。左手だけで魔王の両手を押さえつけ、股の間に腰を割り込ませる。


「ほう……本気で私の魔力が欲しいか」


「然り。が、別世界の”悪”。本気で抱いてみたくなった」


「なんという我が魅力……ところで気にならんか?」


「なにか」


「さっきから人質が静かなのが不自然だと思わんか?」


「なに?」


確かに魔王がどんな目にあってもずっと京一郎が無言のままだ。


とっさにブラックムーンが京一郎がいるはずの方へと顔を向ける。土竜怪人の腕の中には間違いなく京太郎の姿があった。しかし……。


「間抜けたな」


魔王の右手の先から放出される魔力の刃が、ブラックムーンの首へと突き立てられた。そのまま一気に横へと掻っ切られる。魔王がブラックムーンから離れる時にはその首はゴロリと胴から落ち、切り口から盛大に血を放出する。


「やれやれ、とりあえずは時間を稼げたか」


魔王が指を鳴らすとたちまち元の制服姿に復活した。そしてそのそばの瓦礫からは繭上のものが浮上してきた。また魔王が指を鳴らすとその中から京一郎の姿が現れる。その現象に土竜怪人も目を白黒させている。京太郎の身体が確かにその腕の中にあるのだから。


魔王はその全身を自らの魔力で生成している。それは衣類も例外ではない。元の世界ならともかくこの世界ではその魔力に耐えられるものがないからだ。そこで衣類も己の魔力で作るしかなかった。


ある意味では魔王は常に全裸といえる。だからこそ衣類が損壊しても魔力ですぐに修復できる。


京一郎を隠したのもその魔力のちょっとした応用だった。


この世界の”悪”の性質から京一郎が人質に取られる可能性を危惧し、ブラックムーンが登場した時の一連の騒ぎに乗じてあらかじめ生成しておいた偽物と本物を入れ替えたのだ。


隠れる場所は瓦礫の山なので事欠かなかったし、上手い具合に怪人が土竜型ということで地面に出る時にタイミング良く偽物を掴ませることができた。


「さて、あとは逃げ出せれば上々なのだが……」


「え? あれ、首が……死んでいるんじゃ?」


「あの程度で死ぬくらいなら”世界”を敵に回せぬよ」


事実、ブラックムーンが倒れている周囲では動揺が見られるが、全体の動きにはまるで隙がない。


「VooooOOOOObbbbbBBBooooOOEEExxxXXWWW!!!!!!!!」


不意の絶叫に鼓膜が圧され、わけもわからないまま京一郎は耳を抑えた。音というよりも巨大な空気の津波だった。


「やはりな」


魔王の目線をたどると、ブラックムーンが自らの頭部を抱えながら立ち上がるところだった。


「今の音はブラックムーンの?」


「さしずめ怒りをまぎらわすためのわめき声ってところか」


めちめちめち……という筋肉繊維と繊維がつながる音がここまで聞こえてくる。


なにごともなかったかのようにブラックムーンの首は元に戻り、皮膚も硬化していた。おそらくこれが戦闘態勢なのだろう。


「に、逃げた方がいいんじゃ?」


「私だけなら可能だがな」


「う……なら、目的は君なんだから君だけ逃げれば」


「いや、私の目的を知ってるからな。間違いなく結城を狙うな」


「な、な、なんつーことだ! 神も仏もないとはこのことだ!」


「どっちもないかもしれんがな。大事なものを忘れているぞ」


「なにを?」


「”世界”には私のような”悪”があるならば、それに対する”光”がある」


「……え? まさか」


「まあ、私の今の力じゃキツイんでの。この世界の本職に頼ることにする」


「ねえ、君、まさか、正義の味……」


まるで京一郎を中心点にしたように三点で突然爆炎が上がり、怪人や戦闘員たちが吹き飛ばされたり、叩きのめされたりしだした。


力強いバイクの爆音。


戦闘員たちを紙のように吹き飛ばしこちらにやってくる。


「まさか、まさかまさか、まさか?!」


「どの世界でも遅れてくるものだな、正義の味方とやらは」


魔王がニヤリと笑う。


「さすがに悪の魔王を助けるのは初めてだ」


突進させてきたバイクをターンさせて停車したマスク・ライダー1号はさすがに苦笑気味の声で応えた。



続く。

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