私と貴女の 今とこれから

 ミオリの告白を受けて、イスミが返事をしてから、早一か月。


大きな変化と言えば、何にもましてミオリの、イスミに対する態度が”甘く”なったこと。おかげで、頭がクラクラとするような、あっという間の、4週間である。


 その実、いっしょに過ごしたのは、カレンダー通りの休みよりも、ずっと少ない時間であるのだから、驚きもする。以前と、さして変わっていない。それでもミオリから、たまにメールが来る。電話も、「ただ声を聴きたかったから」という理由で、二度ほど昼間にかかって来た。


理由や、はっきりとした目的の無いことを嫌うミオリが、イスミと接する時間を増やそうと努力している。それは間違いが無かった。


 一方、イスミはというと、ミオリと会う時、これまで気負っていたのだろう肩の力が抜けように思う。


ミオリの話すテンポや、休日のリズムに、少しずつだが、合わせられるようになって来ている。意図的にそうしたいと思った訳ではないが、ミオリが自分を見て、”好きだ”、と言ってくれた事実が、イスミに、紛れもない自信を与えている。



 これまでイスミが、毎朝、起きて見つめた鏡の中には、ずっと不安そうな目をした自分がいた。人のことを深く信用できない、でも、それを表だって言うことも出来ない。そんな不満を浮かべた固い口元は、殊の外、貧相にも見えた。


自分の顔とはいえ、そんな表情を見て、楽しい訳もない。けれど、あまりにそういうものだから、うんざりしつつも、慣れて行ったのだ。


 そのイスミが、この一カ月で、変わっていた。


今、鏡を見つめて映る自分の姿に、イスミはただ、気を取られ過ぎないようにする必要が、あるだけである。



「イスミのまぶたと、眉と、その下の眉骨の形も好き。鼻の高さも、唇の形も、私は好き。後は、輪郭が…もう少し丸くても、かわいいかもしれない」


これは、ミオリの言葉である。そう言って、イスミの顔にそっとふれつつ、柔らかく大きな化粧筆で、ミオリは、仕上げのパウダーをいてくれた。


いつもは、自分でやってしまう化粧を、互いに相手の代わりに施すという”遊び”を、先日、やってみたのだ。


 同じ道具を使っても、全く印象の異なる顔になったのが面白くて、次にやらせてもらえるのはいつだろうかと、イスミは、ひそかに心待ちにしている。



 また、これはミオリから言い出したのだが、週末に限って、2人で同じ部屋に眠る、という習慣を、作ろうということになった。


 そのためには、眠るスペース、ないしは場所が必要になる。毎週末外泊と言うのも、2人らしくないし、非経済的である。イスミのアパートは、一人で暮らすには十分だが、そこまでの広さではない。可能性としては、ミオリのマンションなのだが、それについては、ミオリが"待った"をかけた。


「ダブルベッドは買う。でも、ここにイスミを引っ越させるのは、気が引ける。もう少し、時間が欲しい」


「そういうことなら…うん」


ミオリがとにかく真剣なので、押しかけるのはやめようと、イスミは思った。いわゆる、”通い婚”の形なのだということで、話に決着がついた。


ミオリが言うには、長い目で見て、働き盛りの年齢での家の購入は、ローンを組むには有利であること。しかし、いったん手に入れてしまった家は、資産として当然、税金もかかり、二人の残りの人生分、耐用年数が期待できる家を買うとなると、総じて高くつく。何よりこのままなら、イスミとミオリ、どちらかだけの所有財産にせざるを得ず、それは後々、不安だと言うのだ。



「日本の法律で、基本的に個人の”共有財産”っていうのは、夫婦間のものなの。結婚に近い同棲関係でも、男女間なら類推適用が可能。でもね、同性となると、二人の間で細かい内容を決めて、婚姻、と呼べる関係を結ぶ契約はできても、当事者である私たちへの効力を、保障出来る制度や法律が、まだ無いんだ」



 二人の間でなら、”約束事”は可能。けれど、結婚やパートナーの認定というのは、根本的に、社会が認めて、法的な権利義務関係を保障するものでなくては、意味が無い。そもそも結婚と言うのは、ミニマムな単位で築かれた、"新しい人間関係"の法的担保なのだと、ミオリは言い切った。


 

 自分自身を、半分以上男性だと思っているミオリは、付き合っている今も、どこか、色んな生活の基盤を、ひとりで、整えようとしている気配がある。そんなミオリも確かにカッコいいが、イスミだって、ただそれに甘えているつもりは、毛頭ない。


ミオリが目指す処には、必ず、自分がいるのだ。今の仕事も、続けていく。管理職はなにかと大変そうだが、ずっと、今のままでいたいわけでもない。長く続けていくなら、同じ場所でも、変化が欲しい。


 

 毎日働いて、ミオリも弁護士を続ける。そういう生活の全てで、ミオリを応援したい。家にいるときのミオリと、仕事をしている時のミオリ。昔のミオリと、今のミオリ。みんな、少しずつ違っていて、パートナーとして、完璧に理解しているかといえば、そうじゃないと思う。


でも、これから「知っていきたい」と思う気持ちを持って、素直にミオリと向き合っていけるなら、不可能じゃないかもしれない。そういう「夢」を見たいと、イスミは想っている。



*



ミオリの目から見て、イスミは、いつもどこか、”不思議な”女性だった。


出会った時から、ミオリの一番できないことを、一番簡単にやってしまえる、それがイスミだったように思う。



「私、女の子が好きなんだよね。胸とか脚とか、腰のくびれとか、ついつい目で追っちゃって…そういうの、引かない?」


「別に?」


 

 そんな、無頓着な言葉を返したミオリだったが、内心では、「こいつ、凄い」という、感嘆の言葉が浮かんだ。


なんてストレートに言葉を吐くんだろう、どういう勇気だろうと、その後、何度もそのときのイスミの顔を、胸に思い出したものだ。



 はるか高校時代、イスミは、自分の背の高さを気にして、やや猫背に歩くのが癖だった。ミオリは、そんなイスミの背中をポンと、指摘ついでに叩いては、よく声を掛けていた。ミオリも、背の低い方ではなかったが、手入れの曖昧な、長い前髪に隠れた大きなイスミの瞳を見つめるのは、なかなか、どうにも骨が折れた。


イスミが、男性教師や男子生徒を始め、道すがら、行き交う男という男に、ただ、見られるだけでも嫌悪を感じていたのは、ちょうどそのころだ。そんな彼女を構う自分は、正しく、そうした男共となんら、変わらなかったのかもしれない。


しかし、なんの因果か、友達付き合いは続き、たくさんの時間を一緒に過ごして、その間に、イスミが明るくなっていった変化を、ミオリはずっと、隣で見守ることが出来た。そしてようやく先月、告白をした。自分の中におそらくは、違う性別の人間がいること。そういう目でも、イスミが好きなこと。



 それを告白したタイミングは、今思い返しても、かなり、ズルかったのだと思う。「付き合ってください」と言った後での、カミングアウト。本来なら、「ずっと騙していたの?」と、派手に一蹴されてもいい、話の順序だった。


 でも、イスミの反応は違った。


 期待していた通り、とは言わない。ただ、期待していなかった、と言えば、嘘になる。


イスミは、「私たち、どれだけ付き合いが長いと思ってるの」と、ミオリに言った。

隠し果せていると勘違いしていたことが、案外、バレているという、いい例なのかもしれない。ただ、これがイスミ相手だから、ミオリは笑って済ませられる。仕事なら、笑い事では済まない。



 互いの仕事に、今のところ、大きな障害はない。それは何にも代えがたく、幸福なことだと、ミオリは思う。仕事は生活の基盤であり、それは金銭を対価として戴くものであっても、そうでなくても、人の命に通じる。

 充足すれば人の心にも通じ、過度に過ぎれば、人の心を擦り減らしもする。逆に仕事が不足すれば、人の心を乾かし、あまりの所在なさと不安に、自身の存在意義を見失うかもしれない。


それは社会の産業構造が変わり、人の生活が変わっても、何ら変わらぬ事実だと、ミオリは思う。



 イスミと考える将来設計。自分一人でも決められる将来なんて、きっと存在しない。イスミが居なければ、自分は、家の定める運命に、何であれ、身を任せていたかもしれないと、ミオリは思う。でも、そうならなかった。


イスミが決めたのではない。イスミに出会って、ミオリが決めたのだ。


他の人間よりも、多くの責任や、人に囲まれて育ったミオリが、与えられたものの中だけで、上手くやっていくことを選ばず、その「外」に、仕事を求めた。それは何より、イスミがそんな厳しい社会で、一人、立とうとしていたからだ。


恋よりも先に、強い憧れを抱いた。


芯は強いけれど、肝心なところで、人に色んなものを譲ってしまうところのある彼女を、護りたいと、願ったのだ。


 変わり者のイスミに魅せられるのは、同じく変わり者の自分だけだと、ミオリは常々、思っている。




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