逢いたい想いと仲直りの証


 向坂イスミは、ミオリから送られてくるメールを読み、考えていた。


『会って話がしたい』というメールの合間に、イスミに対する謝罪の言葉も混じっていた。


『ミオリは、何を、謝っているのだろう』



 思い込みで、まるで、ミオリの友人以上のように振る舞っていたイスミを、ミオリが正気に戻してくれた。それだけのことなのに、どうしてミオリは、こんなにも気にしているのか。


ミオリは昔から、メールも電話も、それほど好きな方ではない。だから、受け取ったメールや、イスミが出なかった着信を数えて、それが10回にも満たなくとも、イスミには、十分すぎる程伝わっていた。あれから1カ月。五月も残すところ、数日になっていた。



 今年は月曜日の今日は、亡くなったイスミの母の、誕生日だった。そのためイスミは、午後から半休を取り、東京駅に向かう。朝から持ち出していたリュックの中には、掃除道具や、新しい線香の箱が収まっている。最寄り駅に着いたら、いつも立ち寄る和菓子の店で、お供えを買おう。


ミオリからは昨日、連絡があった。こんな状態でも、年二回の墓参を覚えていたミオリは、仕事の都合をつけて行くと、書いてくれた。それが嬉しくて、でも、駅で待ち合わせをしようというミオリの誘いに、イスミは一切、返事をしなかった。



 何より気まずくて、どこか、息苦しい。


それは何より、自分の心の中のことだった。ミオリの家での出来事の後、ユミと話をして、何とかなる、大丈夫だと、自分を信じ込ませようとした。連休も、ミオリに会うのを我慢して、友人たちと過ごした。みんな優しかった。十年越し、いや本当は、二十年近くも付き合いのあった友人と、『別れた』のだと、そんな大きな話になっていた。イスミは、否定しなかった。



ミオリに会っても、どんな顔をしたらいいか、分からない。何を言えば、正解だろう。このまま会わないでいて、友人としての関係まで切れるようなことは、避けたいのに、それがどういう関係だったかも、巧く言えない。ミオリからのプレゼント、一緒に写った写真、会えていないネコ太の手触り、握った小さなミオリの手。



 それから時々、仕事の合間に、意識が突然、昔の記憶に、トリップすることが多くなった。おかげで、しょうもないミスがあっても、気づくのに遅れる。部長に叱られるのも、時間の問題だろう。



ぼんやりとした意識に、最初の光をもたらすのは、生きていた頃の母の笑顔と、その柔らかい声の記憶。


初めて、外行きの服を着せてもらって、お出掛けをした日に見た空と、雲の形。

幼稚園でしでかした、男子顔負けの悪戯の数々と、反省の涙。


背の高さをからかわれて、すっかり暗くなった、小学生時代。

女友達に対する好奇の目と、自身の身体の変化。


中学で出会った、金髪の不良女子。自分を見下ろしたその強い瞳と、

自分の前ではじめて、笑みを湛えて細められた時に感じた、焼けるような衝動。



低めの声質で語られる、男っぽい言葉遣いの一つ一つが、ひどく考え抜かれた後に出てくるものだと知ったときの、世界が反転するような感動の大きさ。隣で話をしているときにも気付かないくらい、静かで、深い、呼吸音を捉えたときの、酩酊感にも似た、心の昂ぶり。


 

 想うだけで満たされることが、同時に、ひどく疚しいことのように感じる。当のミオリと話もしないでおいて、記憶とイメージだけに、ひたり続けている。



『ミオリに逢いたい』



友人なんて、本当は嫌だ。


ずっと、そう想っていた。どうしたら、友人以上を望んでくれるだろうか、そんなことを想って、ミオリの横側を見つめていた自分は、たしかにだった。



**


 羽村ミオリは、朝一に家を出て、事務所で、土日からの持ち越し仕事だけを終えると、残りの予定をすべて火曜日に変更した。


 11時30分、注文していたピンク一色のバラの花束が届くと、仕事鞄を持って事務所を出た。四月の一件以来、気の済むまで自分をこき使ってくれと言う早田に、車を回させ、東京駅に向かう。



「墓参りに、なんでバラ?」



花束と一緒に後部座席に乗り込んだミオリに、早田が尋ねる。



「これは、誕生日祝いだから」



ミオリは素っ気なく答えると、携帯でイスミの返信が無いことを確認し、時刻表を再度、検索する。


信号待ちになると、イライラとして、エンジンを噴かす癖がある早田に、ミオリは軽く舌打ちをして言う。



「うるさい、ハル」


「はいはい、ミオリ様」



「…反省してないね、お前」


ミオリは静かにそう呟くと、カバンからタブレットを取り出し、今日の分のメールをチェックする。


客からの依頼メールで返せるものはすぐさま返事を返し、サツキさんと倉橋さんにお願いできるものは、そのまま転送する。英文メールや他の言語のメールは、とりあえず、エミリーさんへ回せばいい。



「着きましたよ」


早田がそう言ってシートベルトを外そうとするので、ミオリはそれを制して、タブレットの納まった鞄を、助手席に押し込む。


「あと、宜しく。所長代理」


嫌そうな顔をする早田の肩を叩くと、ヒールの足を繰り出し、ミオリは車から薔薇と、財布を入れ替えたクラッチバッグを持ち、駅へ急いだ。



 入り口のホールを抜けて、改札を通り、一番近くにある専用エスカレーターから、中央線を目指す。上り切って、ホームを見渡し、イスミの姿を探す。見当たらない。やはり、そんな偶然を、あてにはできないだろうか。もしかしたら、朝のうちに行ってしまって、今ごろ帰りの電車の中なら、今日会うことはもう、叶わない。



***


 イスミは、急勾配の、中央線のエスカレーターを見上げて、ハッと気づいた。まばらな人数ひとかずのせいで、昇るエスカレーターの先に、スーツ姿のミオリが見えたのだ。何の約束もしていないのに、まるで示し合わせたように、ミオリがそこにいる。願っても無い必然に、心が震えるのを感じた。



 相変わらず、上から下まで、黒で統一されているミオリの仕事姿は、あの日のことを、思い出させた。またもし、ここで頭を下げられたら、今度こそ我慢が出来ない自信がある。ただ、ここは駅の中。昼間の風も光もある中で、平日の通勤客も入り混じる構内だ。


先を行くミオリが、エスカレータを降り、ふらふらと周囲を気にしながら、ホームを見渡すのを、イスミは黙って、背後から見つめた。



 後ろから見ていても分かるのは、ミオリが、去年も見たバラのブーケを抱えていることだ。彼女の細身の身体の陰から、ぷわぷわとこぼれるように、ピンク色の大きな花弁が揺れて、その存在を主張している。イスミの母の好きだったバラを買うのは、いつぞやの言い出しっぺである、ミオリの役になっていた。イスミは、今日、自分が花を買い忘れた理由はこれだったと、思い出した。



 ミオリが振り返りそうな気がして、さっと、イスミは時刻表の裏に、身を隠した。おりしも、向かいの1番線に快速が到着し、たくさんの人が降車して来る。ミオリは、どこで自分を待つ気だろうか。終着駅の高尾までいくのだから、特快を待つ方がいい。それでも、逃げ出したい気分だった。


後ろポケットに入れた、携帯が鳴る。イスミがおそるおそる取り出すと、やはり、ミオリだった。出ようか、出まいか、悩んでいるうちに、呼び出しが止んだ。


ほっと、一息ついたところで、後ろから声が掛かった。



「イスミ…ようやく会えた」



イスミが振り返ると、悄然とした様子の、ミオリが立っていた。









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